自分に起こることはすべて自分のせい。自分の課題。このことを、家族を通してみせられた。

母親とひさしぶりの電話で。
自分たち夫婦がどらの兄夫婦からはぶにされていることをぼやいていた。
どら兄夫婦と、嫁の両親とで旅行へ行ったと。自分たちはお土産をもらったが、そこで初めて知り、誘われもしなかったと。

他にも。
孫達の運動会のとき。昼食は生徒たちと父兄とは別々だった。生徒は校舎内で弁当。父兄は各自それぞれで、ということだった。
そのとき、どら兄夫妻と、嫁の両親とで食事にでたのに、自分は誘われもしなかったと。自分だけ家で食事を摂り、また後半のプログラムを見に行ったのだと。

その話を聞いたときは、正直、兄夫妻に対して感情的な怒りを覚えたのだけれど。
この問題の根っこは実は深いのだということに気が付いた。

もう20年も前。
兄夫妻がマンションを買うとなり、両親に保証人になってほしいと訪ねてきたことがあった。
そのとき、母はそのお願いを断った。
大きなローンを組むには必ず保証人は必要なはず。多分、兄の奥さんの両親が引き受けてくれたのだろう。

断ったことそれ自体がいいとか、悪いとかは言わないけれど。
母は自分の親から、「たとえ親兄弟であっても借金の保証人にはなるな」と言われていたらしく、それが一種の信念になっている。
母は不安症な人で、それも手伝いお金に関してはかなりシビアな人だ。

それ以降の、現在に至るまでの兄夫妻と両親との関係は、表面上なにもないように見えるけど、実は冷めきっていた。
僕は随所随所で、兄の奥さんの、両親に対する冷えた態度や言動を目にしていて、正直言うと人間として嫌いであった。
けど今回・・・

思うに、兄というよりも、兄の奥さんは、そのことに蟠りを持っている。悪く言えば、根に持っているのだと思う。
この家族を覆っている、とてつもなく冷たいなにか。それを見せられたように思う。

今回。
何年にもわたり冷たい扱いを受ける両親を想い、何年にもわたって恨みで自分を焼いている兄の奥さんを想い、間に挟まれた状態で葛藤する兄を想い、とても心がいたんだ。
でも、今更何から、どう話せばいいのかも分からない。

僕ら家族は。
表面的なことばかりをべらべらとくっちゃべって、本当に話さなければいけないこと、本当に向き合わなければいけないことに蓋をして、ずっと見ないようにしてきたのだ。

自分に起こることは、すべて自分が招いたもの。自分のせい。自分の課題。
自分の撒いた種は、必ず自分で刈り取らなければならない。

でも人は。
これをなかなか理解できないばっかりに、自分に起こることを相手のせいにしてしまう。
ひとつひとつの事象を個別に見た場合に、表面的には自分に非がないように見えることもしばしばあるので、そう思ってしまうのだろう。

肝に銘じようと思う。
人は、与えられた自由のなかで、無責任には生きられない。
自分からでる言葉、行動、思考、意識、すべてに対して責任を持っているんだ。