科学の世界で新発見とされることも、昔の日本人は古くから実行していて。
「これは新発見ではなく、再発見だなぁ」とつくづく昔の日本人に尊敬の念を抱く。

米を冷やして食べたり、生米を浸水して食べたりして2週間(米中心の食生活)。
摂取から排泄までのスパンが短くなった。腸内細菌叢が整ってきているのだと感じている。炊きたてを食べていた頃と明らかに違う。


精米したての米の旨さに感嘆したのだけれど。
4日目に食べたときに「あれっ」となり、気づいたことがある。
精米したての米の旨さと香りの最高潮は、精米した日を含めて3日間。それ以降はガクッと落ちる模様。

100歳超えの健康老人が大勢いたかつてのフンザ。そこを何度も訪れて調査した日本の研究者グループのレポートを読んだことがある。


フンザの人たちは、全粒粉の小麦を、その都度臼で挽いて粉にして、パンを焼いて食べていた。粉の状態で保存しておくことはしないようだ。

日本でも、食べる分だけを都度精米してる人は一定数いるらしい。このことを納得した。

そして

フンザの人たちの食事はごく単純だ。
調査団は現地の人々の話す言葉を日本語へ訳すのに通訳を4人も介していたのだけれど。

「朝食はなにを召し上がりましたか?」

「パンと茶」

「昼食はなにを?」

「パンと茶」

「夕飯は?」

「パンと茶」

こんな調子だったため、調査団は「パンと茶」だけは通訳なしでもすぐに理解できるようになったという。

しぼりたてのミルクとか、生野菜とか、食べるものは他にもあったようだけれど、ほぼパンと茶。

日本人も同じだったのではないだろうか。
米や小麦、芋などの穀物、準穀物が中心にあり、他は漬物が数枚と味噌汁。味噌汁だって、具沢山とかはなかったと思う。

今でも日本では米を指して「主食」と呼ぶけれど。
サラダがあり。おかずに肉があり。多種類を、それもごちゃまぜで食べている。主食が形骸化している。

この頃はかなり単純な食事をするようになった。
米だけとか、おにぎりと海苔とか、茹でたじゃがいもを粗めに潰して塩だけで食べるとか。

話変わるけど。
じゃがいもを食べているとき、またシンクロが起こった。

【人間は、さまざまなものを一緒くたにして食べている。それそのものを味合わない。ありのままを食べない。なにを食べているのかを意識していない。】

ど「じゃがいもだけでも、こんなに美味しいんだよなぁ」

【しかし、これですら神が創造したものから改変されている。すべてを元に戻そう。あるべき姿へ。】

そんな感じだった。

先日はまどろんでいるとき、シリウス側は謝っていた。

【我々はきみの意識を通して世界を視ている。それゆえ、きみに無理をさせてしまうことがある。すまないことをしている】と。

なんのことを言っているのかは、すぐに理解した。
いまはもう自分が何かを無性に食べたくなったり、時折なにか悪い食べものが自分の前にやってきても、あまり気にしすぎないようにしてる。


話しかわって。
この前、山の上の方で立禅をしていると、突然、下方に黒いローブで頭のてっぺんから爪先までまとった変なのが現れた。
目で見ているのではないけど、【いる感じ】がした。

「頭のてっぺんから爪先まで」と言ったけど、正確には頭も爪先も見えない。黒いローブが人型になってるだけ。てるてる坊主みたいな。周囲の木々が「逃げて」と言ってる気がした。

でもそれは、弾き飛ばされるようにしてすぐにいなくなった。なんだったんだろう。

あれと似たものを、うんと幼い頃に夢で見たことがある。
真っ暗な空。雷鳴轟く中、僕は高い塔の中にいて。その塔の螺旋階段でその黒いローブに追いかけられていた。
上からも下からも挟まれて、そこで目が覚めたと思う。

そんな感じ(笑)