川端康成の代表作『雪国』は「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という冒頭の一節で有名である(5)。主人公島村は年に一度東京の家族の元を離れ、雪国の温泉地へ逗留する。駒子という芸者に会うためである(出会った頃はまだ芸者ではなかったが・・・)。

 

 川端の流麗な文章が描き出すのは、島村と駒子の間の性愛模様である。物語の筋だけで言うならば、東京の家族を蔑ろにして逗留先の女性と愛人関係を築く、だらしない男の話である。その上、どうやら島村は親の遺産で暮らすことができる道楽者でもあるらしい。

 

 しかし、二人の恋愛模様、当地の美しい女性葉子、雪国の景色を描く筆致は息をのむほど素晴らしい。例えば、列車の中で窓に映る葉子を窓外の景色を背景に目にしたときの情景がある。「・・・夕景色のなかに娘が浮かんでいるように思われてきた」(11)。この重なり合う景色の中に見えた葉子の姿は、その後、駒子の姿にも重なっていく。

 

・・・汽車の窓ガラスに写る葉子の顔を眺めているうちに、野山のともし火と瞳とが重なって、ぽうっと明るくなった時、島村はなんともいえぬ美しさに胸が顫えた、その昨夜の印象を思い出すからであろう。それを思い出すと、鏡のなかいっぱいの雪のなかに浮んだ、駒子の赤い頬も思い出されて来る。(54-55)

 

窓ガラスや鏡などに映り込む情景として、初めに葉子が、そして駒子が雪景色の中に現れる。そうして、島村と駒子の間の感情が濃縮されて表現されていくのだが、反射の中に見られる葉子や駒子は、そのために島村にとっては「遠い世界」なのであり、結局は東京での実生活からは離れた逃避の世界のようでもある(55)。

 

 最後に火事に巻き込まれた葉子を抱きかかえる駒子を島村は目にするが、やはり現実の惨事を目撃するものの様子とは思えない。「そういう声が物狂わしい駒子に近づこうとして、葉子を駒子から抱き取ろうとする男たちに押されてよろめいた。踏みこたえて目を上げた途端、さあと音を立てて天の河が島村のなかへ流れ落ちるようであった」(173)。愛する女性がその知人を抱きかかえる火事の現場を前景に、島村の意識は雪国の空に広がる星空に吸い込まれていくのである。

 

(2024/02/13読了)