この物語の主人公は、医学校の実験解剖を担当する風早という青年だ。風早は非常に優秀な研究者ではあるけれど、なにものにも心を動かされることはなく、「我々人類生存の意義」を探求する日々を過ごしている。勿論、解剖する死体に対しても「何んの衝動も感覺も無かツた。」

 

 しかし、近頃そんな風早が林檎を「奈何にも樂しさう」に食べる様子が見られるようになり、職員室では「林檎の謎」として噂されていた。物語の始まるその日には、風早は林檎を食べない。なぜなら、林檎売りの少女が一週間ほど前から現れなくなってしまったからだ。風早が解剖室へと赴くと、はたしてそこに横たわっていたのはその林檎売りの少女の死体だ。外界からの刺激に無感動であったはずの風早は、その光景に初めて衝撃を受けて解剖室から出て行ってしまう。

 

 解剖室に行く前、風早は「何うして?……え、何うして林檎が喰ひたいのだ」と自身の衝動に狼狽えている。そして、普段は何とも思わないはずの猫の死体に飛びあがってしまう。この後に少女の死体に遭遇することを物語が予見していること以上に、一週間も姿を見ていない少女の無事を案じ続けている彼の心の内が透けて見える場面だろう。

 

(2019. 8. 23 読破)