みなさん。こんにちは。いつも僕のブログをご購読いただき有難うございます。
個人には向いてることと向いてないことがある。限られた時間の中で最善のやり方を考えて結果を出すって悪いことじゃないと思うのです。そのやり方を考える事自体が気づきであり勉強だから。そしてそれを考える事、産み出すことにも努力がいると思う。
与えられたものや教えられていることをそのまま主体的に何も考えずに素直に受けて、おもいつきと行き当たりでやるのって実は意外と簡単です。
なんでもいいけど要するに個人が苦痛を感じずに、結果出せればそれでいいのでしょうか??
個性やポテンシャル、経験、環境なんでもありとあらゆるものを利用して限られた時間で最善の結果を出す。
人にお金を払って教えを請う。これも立派な手段。
僕は結果を出すうえでその要素の部分もできるだけきちんと書こうと思ってる。
読者の方が俺には出来る。出来ない。判断するのは勝手だし僕が公表するのも自分の自由だから。
ですので他人には別に無理に勧める必要もありません。
ビジネスだって実は同じ構造じゃないでしょうか??
苦痛をかける勉強じゃないとだめだ。とかあるところでは言われる方もいますが苦痛をすることがそれ自体が偉くて褒められることなんでしょうか?
苦痛を感じるのであれば、いわゆる過去問の常識知を高める以上に一部では憲法、会社法や他資格本、学者本をやるような勉強も苦痛を感じるとても素晴らしい勉強になると思うのです。いや行政書士試験の科目に入っている以上、体裁は勉強しますよね。
それも苦痛なのに何故ほとんどやらないのか?一般知識も。苦痛ならそれぐらいやってもいいかな。と。理解が進んで力がつけば、それに時間を回すのも自由だと思う。
そこは何故やらないのか??問えば実はこの試験に出題度が低いから。何が出るか解らないから。結局その時点で効率性や要領を誰でも求めてるし考える事は一緒ですよ。笑ですからこの部分は努力しないのか~??って突っこみどころ満載なんです。
形式だけ?って問いたくなるのです。
簡単に言えば行政法、民法、一般知識?でそこの努力(これも人それぞれ違う)勝負が決まるだけです。
そこを見越して勉強するのが、悪い勉強なんでしょうか?果たして全員に自分の望む範疇の事を要求していくことができるのでしょうか?
むしろ要領や効率性を考える。とても重要なことですよね。
勉強のやり方には正解ないと思います。僕の知り合いには過去問を数百回以上やった人、過去問は全くやらない、両方とる人。様々いるからです。そしてお互いのやり方を批判しないし、努力自慢や頑張り自慢をけなしたりもしない。
結果出せば一緒なんです。異質のやり方で合格することは全然悪くない。どんなやり方でもね。
むしろそんな人の経験や体験や特に元になる思考を知ることってとても為になる。
努力のベクトルは人それぞれ違う。多少周り道しても結果を出して本人がプロセスにも納得すればいいのではないかと思うのです。例えば目的を早期に達成する為に本人が確信犯的にショートカットの手段をとるとか!
本来なら一サポーターのドリームキラー講師がいちいちご自身のビジネスの利害関係ちらつせながら余計な事をいわなくてもいいんじゃない。
嫉妬や劣等感に狂って『隣の芝生が青く見える精神』丸出しで同業や受験生の足を露骨に引っ張ろうとするのは惨めですよ。
あくまでドリームメーカー、イノベーターは受験生自身であり主体的にやることだから。
