みなさんこんにちわ。いつも僕のブログをご購読頂き有難うございます。


勉強していると色んな悩みが出てくると思います。条文集、判例の必要性の有無、問題の解き方。

でもこれはひとまず、自分基準の価値観で動いていいと思うのです。それで結果を出せればなおさら。

プロセスの状況も進捗に対する結果次第です。つまりこの時点であなたは目標に向かって着実に進んでると思っていいと思います。


それを過度に問題意識を深めようとする。真理とは何か?本質とは何か?考えられる余裕のある人は学問として深めて頂ければいいと思うのです。別にその価値を否定はしません。


しかしその真理や本質を究めようとすると、時間が逆にかかってしまい却ってゴールから遠くなってしまう。


そういった事もあると思います。僕は大切な事はもしかしたら本当に大切な部分、それはひとまず脇に置いといた。そういう自分にひとまずの罪悪感(少しいいすぎか?)やルールから外れた部分をやってるな~

という問題意識を持ちながらゴールに向かってほしいのです。


但しこういった問題意識に対するスタンスはあくまで時間をかけるべきではないのです。だからバイアス情報には気をつけるようにと言ってる。受験期間中に1年間もくだらない問題意識には付き合う必要がないのです。


こういった事を述べる為には自分がまず結果をまず出した上で包括的に自分のやり方に対する判断や評価、他人のやり方に対する評価が出来ると思います。


権威のある方は理解や論理、形式的な部分にものすごくこだわります。これはものすごく必要な事だと思います。でも学者本を資格試験に使う事についてのデメリットについて言わない。


なあなあの空気なんです。そのくせ人のツールや価値観に対しては繰り返しの批判や馬鹿にする。一方的に言われたらこちらもそちらの大切なツールや問題意識の矛盾点を提起しますよって事になる。俺も使ったけど俺ならそんな無駄な事しないよって。だって結果も出てるから。何故、効率性や要領を標榜してるのに、俺より非合理的で要領の悪いやり方するのか??って逆に聴きたいわけです。


つまりこういうものに対して異なる意見を述べる事ってこちらが正論を言っているつもりでも意外と気を使うのです。


会社員時代に人事をしていたころに、新入社員から僕はこんな質問をされました。

なぜ髪を短くして髭を剃らなければいけないのか?
なぜ白シャツ、なぜ無地の濃紺のスーツでなければいけないのか?
新入社員は、ずっと「たかだか数十分の面接で自分の何がわかるって言うんだ」というようなことを質問してきました。

それに対して僕はこう答えました。それがルールだから。理屈ないルールだから。と答えました。

いや大人の自己啓発や勉強にも確固たるルールがあればはっきり言った方がいいと思うのです。

ルールを守れない人間はその場所にはいなきゃいいし。自分を変えるか、自分にあったルールがある勉強法を探すか。の選択肢だと思うのです。

そもそもそんなに重要ではないから。お金払って効率性買うか多少要領悪くてどんくさいやり方でも自分でやるかです。

但し僕は自分でやってもどんくささは望みません!!笑いいやり方を考えて実行に移します。

別に悪いとは言いませんがビジネスが出てくると、対立的に自分の虚栄心を満たすために相手の事を批判したり馬鹿にしてしまいがちです。



色んなことに共通すると思うんですが、とにかく今自分のいる場所で今の自分にできることをやっていくしかないと思うんです。今のやり方に満足していないのなら、それを変えるために何かしらの行動を起こせばいいと思うんです。それもしないで出来ない自分を責めたってしょうがない。


自分の中で政治経済社会が得意だからやらない。これも自分で自分の長所を知り、リスクを背負ってやればいい。それが大人の自己啓発です。


他人は長所を要領よく使えなんてあまり指摘してくれませんからね。笑ましてや同じ合格してもそのやり方じゃ~って。。これって何なんですかね?


はっきり言います。そこに自分のビジネスや自分の価値観が多大に絡んでいれば。。。。


『勉強における役割分担。受験生は自分の弱点に目を向けろ!!出来ない部分を考えろ!!』こういのって??上から目線すぎて。


点数が上がらないとか、何故問題がとけないのか?何故最後で迷うのか?こういう問題意識に長くはまらない方がいい。


たとえどんな現状や教材であろうと自分の中できちんと考えて行動すれば絶対にいい方向に向かえると思うし、何かを学ぶこともできるような気がしました。


とにかくたくさんの要素が絡み合って人間ってできているんだと思います。だとすれば、人の数だけ勉強法もあると思います。


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