おはようございます。

今週から日本橋の新オフィスの組織体制が本格稼働し、多くのスタッフが出勤するようになりました。

 

これまで入念に準備してきたオフィスやシステム、各種制度などが実際に利用・運用される運びとなったのは感無量であり、昨日はそのフォローに終始しましたが、それでも苦労より達成感の方が大きかったです。

 

今後は事業の開始に向け、私の部署はバックオフィス部門として下支えするのが主なミッションとなる中、完璧を求め過ぎず組織として上手く回る「ほどよい状況」を実現することをまずは目指したいと思います。

 

その上で、9月くらいには通常の組織としてきっちり体制と実務が整えられればよいと考える今日この頃です。

 

 

  雑多な雰囲気を味わう小倉散策

 

さて、先週末の福岡・大分旅行の中編は小倉城の展望スペースでの休憩タイムから始めます。

 

この展望スペースの一角には小さなカフェカウンターが設けられており、「キャッスルカフェ」として地元カフェやショップと代わる代わるコラボしているそうです。

2024スイーツ記事 #51

 

 

今回は西小倉のcafe Grandeさんが出店しており、ここで一休みということで、

 

人気スイーツのバスク風チーズケーキとアイスコーヒーをいただきました。

 

 

 

ケーキは甘さ控え目の生地に少し辛めのパウダーがよく合い、天守で殿様気分で地元の様々な名店を楽しめる点で、このカフェはとてもよい企画だと思います。

 

以上、小倉城庭園・天守と小倉城跡の2大スポットを散策したところで、駅に戻る道すがら、前回触れた特徴的なデザインの市立中央図書館(写真1枚目)と昭和風の古びた北九州市役所本庁舎(同2枚目)を鑑賞。

 

それにしても、外から見れば廃ビルと勘違いしそうですが竣工は1972年(築約50年)の立派な(?)現役の市庁舎とのことで、失礼ながらあんまりこのビルで働きたいという気分にはならなさそうです…(苦笑)。
 

そして、小倉市内散策の締めを飾るのは小倉駅から徒歩圏内旦過市場です。

 

その発祥は大正時代に遡り「北九州の台所」と称されるこの市場は、すぐそばを流れる神嶽川を上る船が荷揚げをして商売を始めたことから自然発生的に形成されたそうで、

 

 

その雰囲気は昭和の面影を残し、市民の生活の場であると同時に有名な観光地にもなっています。

 

ただ、その雑多かつ狭隘な造りからこれまで何度も水害や火災に見舞われ、直近では2022年に2度の火災で北東エリアが広く焼失しており、

 

 

今はその跡地が旦過青空市場として、再建に向けて細々と営業を続けています。私はいつもどおり市場はブラブラ巡るのみで何も買い物はせず

 

 

適当なタイミングでJR小倉駅に戻りました。

 

 

  4県を跨ぐ九州東部の幹線に乗る

 

 

 

そして小倉駅からは、JR日豊本線を走る特急ソニックに乗車。約1時間半かけて、隣接する大分県の県庁所在地の大分市まで南下しました。

 

(user:ikaxer - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5116242による)

 

このJR日豊本線は、福岡県北九州市小倉北区の小倉駅から福岡県・大分県・宮崎県・鹿児島県を縦断して、鹿児島県鹿児島市の鹿児島駅までを結ぶ路線距離462.6 km・計112駅から成る長大な路線です。

 

九州新幹線とJR鹿児島本線・肥薩おれんじ鉄道と対をなすこの九州縦断路線は、上の地図の7都市を除く大部分を過疎地帯が占めるため営業不振が目立ちます。

 

具体的には、最過疎区間の佐伯~延岡間と都城~国分間の営業係数は200~240と今すぐ廃線というレベルではないものの先行きは明るくないです。

 

 

そんな路線でも小倉~大分間はまだ都市間交通として十分に機能しており、過疎路線という実感を抱くことなく目的地の大分駅に到着しました。

 

 

4年ぶりの大分駅は、特に以前と変わることなく大友宗麟とフランシスコ・ザビエルの像(写真1・2枚目)が広場に建つ赤茶色の建物(同3枚目)で、小雨が降り続ける中で駅前のホテルにチェックインしてから、

 

 

こちらも4年ぶりの駅ビルの飲食店街の大分グルメ専門店「豊後茶屋」を訪れます。

 

 

 

そして前回はご当地グルメを取り揃えた豊後定食(写真3枚目左上)をいただいたので、今回は王道に少しテイストを加えたいと思い、

 

とり天を玉子でとじたとり天丼をいただきました。

2024グルメ記事 #55

 

 

大きな3本のとり天はほどよくしっとりと揚がった味が美味しく、1,000円でいただけるレベルとしてはご当地感を含めコスパは上々といえます。

 

駅ビル界隈で気軽にご当地料理を楽しめる点でもお得で利便性が高く、感染症流行前後を通じて運営を続けられているのも納得ですね。

 

以上、3連休の初日は小倉をメインに散策してから大分まで移動し、行程どおり余裕を持って終えたのでした。

 

 

雨降る中の歴史ある古社・古刹巡り 

 

 

 

続く2日目(日曜日)は、まず駅ビルのコンコース沿いのシナボン・シアトルズベストコーヒーを訪ね、

 

ドリンク付きで530円とお手軽な、たまごとツナの温かいサンドイッチセットを朝食に賞味♪

 

2つとも東京でもお馴染みのお店ですが、旅先でも安定した味をいただけるのはありがたいですね。

 

 

この後は、駅前のバスターミナルから予約済の日帰りバスツアー「国東半島 史跡めぐり」に参加します。

 

大分県の北東部に位置する国東半島は、両子山を中心とする火山群の峰々がそびえる円に近い火山地形となっており、公共交通機関が乏しい一方で多くの仏教寺院等が現存することから「大分の秘境」とも呼ばれています。

 

まあ、大分自体が秘境だろという言葉が頭に浮かびましたが色々な意味で危ないので(以下略)、

 

 

 

大分市から別府市・日出町・杵築市を通り、最初の目的地の宇佐市(写真4枚目:JR宇佐駅)に向かいました。

 

ちなみに、読みにくい日出町(ひじまち)にはサンリオの経営する遊園地「ハーモニーランド」があり、

 

車窓から大きな洋風のお城(写真中央右)が見えたのは、大分には少々似つかわしくなかったです(失礼)。

 

 

そしてこのツアーで最初に訪れたのは、全国の八幡社の総本宮宇佐神宮です。

 

まず表参道を進んだ先の一の鳥居は、中央に額や額束がなく柱の上部に黒い台輪が置かれるのが特徴の八幡鳥居で、

 

 

 

鳥居をくぐるとかつて宇佐市内と神社を結んだ鉄道路線で使われた機関車(写真1枚目)の展示を眺めてから、寄藻川に架かる神橋(同3枚目)を渡ります。

 

そして同じく八幡鳥居の大鳥居(二の鳥居)の先からは、いよいよ境内の中心部に入り、

 

 

 

参道沿いには宝物館(写真2枚目)や菱型池に浮かぶ社殿(同4枚目)が並んでいました。

 

 

 

さらに順路に沿って参道を進んでいくと、次第に周囲は緑が深くなっていき(写真2~4枚目)、

 

イチイガシを中心とした天然記念物の原生林に包まれた石段の参道は、奈良時代初期の725年創建の格式ある古社に相応しい神秘的な佇まいです。

 

 

続いて主祭神の1柱の八幡大神(応神天皇)の皇子たちを祀る若宮神社(写真1枚目)を背に、改修中の西大門(同2枚目)をくぐると、

 

こちらも改修中の南中楼門に囲まれた敷地に上宮が鎮座しており、八幡大神・比売大神・神功皇后の3柱を3つの本殿(御殿)で祀っています。

 

 

なお、この南中楼門からは本来、国宝社殿の一之御殿・二之御殿・三之御殿が並ぶ模様が見られますが(写真1枚目:一之御殿)、門が工事中のため奥を覗けなかったのは正直残念でした…(涙)。

 

 

 

そんなやや物足りなかった上宮拝観を終えた後は、やや急な坂道(写真3・4枚目)の帰路を下り、

 

 

上宮と同じ3柱の神を祀る下宮を参拝します。

こちらも朱塗りの楼門に囲まれた3つの御殿が並ぶ造りとなっており、

 

 

 

皇室の菊の御紋の幕(写真1~3枚目)の向こうには、同じく朱塗りの趣ある佇まいが窺えました。

 

 

以上、皇室との縁も深い古社を参拝しましたが、この宇佐神宮を巡る歴史上の大きな事件として、称徳天皇の治世の769年に起きた宇佐八幡宮託宣事件があります。

 

これは、女性天皇の称徳天皇が寵愛した怪僧・道鏡による帝位簒奪計画を、近衛府の官吏だった和気清麻呂が宇佐神宮の託宣をもって阻止したもので、日本史の授業で学んだ方も多いと思います。

 

日本の歴史でも大和朝廷の成立以降、天皇を傀儡にした重臣は数多あれど、帝位を簒奪・僭称までした逆臣は道鏡・平将門とごく僅かであり、かつ実現可能性を考えると史上最大の皇室の危機だったのかもしれません。

 

この危機を救った和気清麻呂は、姉の和気広虫ともども道鏡の復讐によって改名・流刑など一時は不遇を極めますが、称徳天皇の崩御と道鏡追放後は無事復権し、特に戦前には忠臣の1人として称えられました。

 

ちなみに某小室圭さんは一時「令和の道鏡」とも呼ばれましたが、結婚前はさておき結婚後のNY暮らしに関する報道を見る限りでは、道鏡と違い権力欲というより本当にゴーイングマイウェイの人だったのでしょうね(苦笑)。
 

 

 

話を本題に戻し、宇佐神宮の参拝後は宇佐市から豊後高田市に入り、宇佐神宮と同じ奈良時代初期に開基され、平安時代に宇佐神宮の大宮司が拡張した富貴寺を訪問。

 

この神宮の大宮司が関わる点は、奈良時代以来の神仏習合の文化が顕著に窺えるこの古刹では、

 

 

良質な石を算出するため石像文化が根付く国東半島らしい、世にも貴重な石造りの仁王像(写真1枚目)が佇む仁王門をくぐって石段を上ると、

 

九州最古の木造建築にして国宝建築富貴寺大堂が緑に囲まれてひっそりと佇んでいました。

 

 

 

巨大な榧の木(写真1枚目)が見下ろすこの大堂は、西国唯一の阿弥陀堂であり、内陣中央には榧の大木から彫り出された木造阿弥陀如来坐像が安置されるとともに、平安時代以来の貴重な壁画も現存しています。

 

ただ、この日は生憎の雨天のため文化財保護の観点から内部の一般公開は中止されており、その点はやむを得ないものの少々残念に感じました

 

 

さて、この後は国東半島の誇る石仏文化を堪能していくところですが、こちらは後編で取り上げたいと思います。

ではでは、