こんばんは。

先週末の3連休は全国的に天候が思わしくなく、私が周遊していた九州も北部を中心に線状降水帯が襲い各地で鉄道が遅延・運休する事態でした。

 

とはいえ、私の行程上は若干の遅延がありつつも計画どおり進めることができ、相変わらずギリギリのところで運には恵まれています。

 

この点、九州東部のような新幹線のない地域の旅はあまり交通の代替手段が多くないので、天候が荒れるとすぐ不安が頭をよぎりましたが、逆に九州新幹線の沿線まで来れば最悪新幹線で帰ることができるため心に余裕ができます。

 

これからは夏・秋と台風や豪雨のリスクが付きまとう時期ですが、特に西日本方面や山間部を旅する時には代替手段等の確保に心掛けたいところです。

 

 

北九州のソウルフードを味わう 

 

 

 

さて、本題の3連休の福岡・大分旅行は毎度お馴染みの早朝の羽田空港から開始。
 
今回は往復ともANA便の利用ですが、スターフライヤーの運行便なので間違えないように第1ターミナルに向かい、定刻どおりに搭乗して約1時間40分の空の旅が始まります。
 
 
とはいえ、早朝出発のため機内ではほぼ仮眠して過ごし、海に突き出た人工島に造られた北九州空港には午前10時前に到着しました。
 
(出典:北九州港公式ウェブサイト)
 
ちなみにこの北九州空港、2006年3月に開港した2代目で敷地は北九州市小倉南区と京都郡苅田町に跨っているそうですが、そもそも島なので境目が全く分かりません(笑)。
 
 
そしてこの空港島からの唯一の公共交通機関であるバス(写真2枚目)を利用して、やたら長い連絡橋(同3枚目)を渡り約2年ぶりに九州本土に上陸
 
 
空港から約40分後にJR小倉駅北口前で下車しましたが、鉄道直結の福岡空港や宮崎空港と比べるとどうしても交通の便の悪さが否めなかったです。
 
まあ、大分・長崎・熊本・長崎みたいに県庁所在地にかすってもいないクソ田舎(順に国東・大村・益城・霧島)に造られた空港よりはまだましですが…(苦笑)。
 
 
そんな九州4県に喧嘩を売る邪な考えを抱きつつ、小倉駅南口から平和通り沿いの商店街(写真3枚目)に入り、
 
まずは昼食をとるため、1976年の創業以来、北九州市民に愛され続けているご当地うどん店「資さんうどん」を訪れました。
2024グルメ記事 #54
 
 
 
外観からいかにもご当地の大衆店といった趣のこのお店は、バリエーション豊かなうどんと丼ものをメインに提供しており、両者のセットメニュー(写真4枚目)もあるため、お腹の空き具合に応じてチョイスできるのは便利です。
 
そして店内は広め&メニュー的に回転が早いので、ランチタイムでもそんなに待たないのも、時間が限られた旅行客にはありがたく感じます
 
 
 
そんな賑やかな店内で席を案内された後は、タッチパネル(写真1枚目)の画面表示や季節の限定メニュー(同2・3枚目)を見て少し悩みましたが、
 
結局、定番の肉ごぼ天うどんミニたれカツ丼のセットをいただきました。
 
さば・うるめ・かつお・昆布・しいたけから取ったすっきりした出汁と麺に玉ねぎと一緒に甘く煮た牛薄切り肉とごぼうの天ぷらを乗せたこのうどんは、この店の看板メニューであると同時に北九州市民のソウルフードでもあり、
 
喉ごしのよい麺を中心に食べ応えは十分
 
 
(失礼ながら)絶品と感動するほどではないですが、スガキヤを愛する愛知県出身の私的には「ソウルフードとはそういうもの」と理解した上で、ベーシックなたれカツ丼(写真2枚目)とともに美味しくいただきました。
 
ちなみに値段は単品ではトッピング込みで1,000円前後、ミニ丼を付けても1,200円程度と今時の物価では旅先グルメなら安く感じる水準だと思います。
 

 

  江戸時代を感じる小倉城散策

 

 
そんなご当地グルメで昼食を済ませた後は、商店街を西に抜けて市内を流れる紫川を渡り(写真3枚目)、
 
 
かつての小倉城下屋敷跡に復興された小倉城庭園に入場見学しました。
 
 
1998年に開館し、2019年にリニューアルされたこの文化施設は、庭園と書院・展示室の3エリアから構成され、
 
書院の中を経由し池泉回遊式の庭園の池に沿って一周することができます。
 
 
 
まず、書院の内部は江戸時代の武家の屋敷を「再現」したもののため新しさが残り、居室それ自体にはあまり見るべきものはありませんが、
 
池に貼り出た広縁(懸造)から望む庭園、そして奥の小倉城天守(写真2枚目中央右上)は、再現(再興)とはいえ中々趣のある風景でした。
 
 
そんな書院からの眺めを堪能した後は、庭園に降りて池に沿って回りますが、南側はどうしても昭和風の古臭いビル(写真1・3枚目)が目立つため(苦笑)、
 
 
基本的に南を背にしつつ、ゆっくりと歩みを進めます。
 
 
途中、アジサイの花(写真1枚目)を眺めたり、池面の近くまで下りて水辺の景色を楽しんでから、
 
 
 
書院の向かいの突き出た小島から書院(写真4枚目)を鑑賞すると、書院自体が古い石垣の上に建っていることがよくわかります。
 
 
これは下屋敷の遺構をそのまま活用したもので、池面を見下ろす「のぞき池」らしさを最もよく現わしており、こちらを含め期待以上に見応えのある庭園でした。
 
 
そして最後に訪れた展示コーナーは、小倉城公園を中心に小倉の街と文化を紹介するもので、
 
江戸時代に小倉を治めた小笠原氏(後述)歴代の御家芸である弓や礼法
 
 
 
さらに食事や茶の湯といった武家周りの文化に加え、
 
 
 
祭りや織物(小倉織)などの庶民の風俗や産業まで広いテーマをコンパクトにまとめていました。
まあ、街の文化を概括的に知るならこれくらいがむしろちょうどよいのではと思いつつ、
 
 
中庭からはこの後入場する小倉城天守を仰ぎ見て、当時の外観を復元していない復興天守とはいえ、この大きさには感心してしまいます。
 
 
こうして小倉城庭園を散策した後は、いよいよ遠目に見てきた小倉城天守に向かいますが、
 
 
ルートを誤って八坂神社経由で入ったため思いの外遠回りとなってしまい(苦笑)、
 
 
肝心の天守前に着いた時点でややお疲れ気味です…。
ちなみに、天守の入口前の広場には、
 
江戸時代初期の剣豪・宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いを模した像が建っていますが、これは巌流島が当時小倉藩領(現在は山口県下関市)だったのと、宮本武蔵が当時小倉藩の客分だったことに由来しています。
 
 
 
そして天守内部は5階建てとなっており、最初の1階は小倉城と小倉藩の歩みを中心とした展示です。
 
小倉城は戦国時代に毛利氏が九州進出の拠点として築いたことに始まり、毛利氏の撤退後は大友氏の豊前国北部の拠点として重臣の高橋氏が入りました。
 
その後、豊臣政権下で大友氏が凋落すると代わって森勝信・勝永(後に毛利姓に改姓)が6万石で入府するも、関ヶ原の戦いで西軍に付いた咎で改易されてしまいます。
 
一方、関ヶ原の戦いで東軍に付いた細川忠興が豊前一国と豊後北部の計39万石を与えられて小倉城に入り、小倉城を天守を中心とする近代城郭として整備しました。
 
 
細川氏の治世は忠興・忠利の2代32年と決して長くはなかったですが、小倉の街の整備や亡き妻細川ガラシャを弔うミサ(写真1枚目の模型)を行うなど、39万石の城下町として大きく発展しました。
 
ちなみに、上述の宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦いが行われたのもこの細川氏の治世下です。
 
 
この後は1632年、肥後熊本藩主の加藤忠広(加藤清正の子)が不行跡により改易されたことに伴い、細川忠利が54万石で熊本に転封され、代わって譜代大名である小笠原忠真(徳川家康の外曾孫)が15万石で入ります。
 
 
以降、幕末まで10代約240年の小笠原氏の治世が続き、小倉藩は有力な外様大名が多い九州における幕府の監視役として重きをなしますが、それ故に幕末の第二次長州征伐の折には小倉城は炎上の憂き目に遭いました。
 
明治~昭和初期には他の城跡と同じく軍の施設が入ったのを経て、1959年に約120年ぶり(天守は1837年の火事で焼失していました)に天守が再建され、今も小倉のシンボルとしてその威容を誇っているのです。
 
 
そんな小倉城の歴史を学んだ後は、ゲームや御輿の体験コーナーなどが続き、その一角には、
 
2009年に誕生した小倉城のマスコット「とらっちゃ」が佇んでいました。
 
額に小笠原家の家紋(三階菱)をあしらったこのキャラクター、小倉城で「虎」をモチーフとした理由は、
 
天守1階・2階に展示されている「迎え虎・送り虎」の絵に由来しており、この2作はともに日本最大級の高さ(4.75m×2.5m)であるとともに、
 
 
小倉城が炎上した1866年(寅年)に因んで描かれたものとされています。つまり、野球ファンにはお馴染みの某猛虎軍とは似て非なるものです(当然)。
 
 
 
そして2階は細川氏・小笠原氏など小倉城に所縁のある人物や小倉城、小倉藩の文化の紹介(写真1・2枚目)、3階は上述の宮本武蔵・佐々木小次郎に関する展示(同2・3枚目)となっています。
 
 
個人的には2階の小倉城天守の模型・江戸初期の大太鼓が興味深かったなと思いつつ、この時は目立った展示のなかった4階のギャラリーを挟んで、
 
 
最上階(5階)の展望スペースに到着します。
このスペースには特にお城に関する展示はありませんが、展望スペースとしての眺めはとてもよく、
 
先ほど訪れた小倉城庭園をはじめ、小倉の街を360°のんびりと見て回りました
 
 
とはいえ、お城の周りは普通のビル街なので絶景とまではいえず、目を惹いたのは大分出身の建築家・磯崎新のデザインによる奇抜な市立中央図書館ぐらいかな、というのが正直な感想です。
 
 
さて、この後は展望スペースでのスイーツタイムを挟んでもう少し小倉市内散策は続きますが、記事の容量の都合から今回はここまでとします。
 
 
次回(中編)は小倉市内散策の残りを紹介してから、大分に旅の舞台を移す予定です。
ではでは。