おはようございます。

今週からプロ野球の交流戦が始まり、1カード目から各地で熱戦が続いていますが、交流戦開幕に先立つ最大の話題が西武ライオンズの松井稼頭央監督の休養でした。

 

監督2年目で昨年は5位、今年は交流戦前で借金15の最下位と低迷する成績の責任を取っての判断ですが、その前に2軍監督を務めた上でのこの惨状は休養もやむなしですね。

 

代わって渡辺久信GMが11年ぶりに急遽監督として現場復帰していますが、中々復調に至らず今後も厳しい展開になるだろうと思います。

 

(出典:中日ドラゴンズ公式ウェブサイト)

 

FAによる流出を含む世代交代の失敗と貧打というと我らが中日ドラゴンズも見ている光景なので他人事ではなく、併せて先週末にバンテリンドームで見た上掲ポスターをどうするんだとツッコミたくなりました(苦笑)。

 

あと、コーチ経験なしからの監督就任とはいえ2年連続最下位を経て、今も何事もなく采配を振るう立浪監督のメンタルの強さと中日フロントの寛容さを改めて感じた中日ファンは私を含め多いだろうと感じた次第です。
 

 

  1月4日(木曜日)ベルリン⑤

 

 

さて、本題の年末年始のドイツ周遊旅行記7日目のベルリン市内観光の途中から再開します。

 

 

午前中は絵画館での芸術鑑賞をメインポツダム広場界隈を散策し、それから昼食を済ませた後には、ブランデンブルク門の西のティーアガルテンに移動します。

 

こちらは「獣の公園」を意味し、元々はブランデンブルク選帝侯の狩猟場でしたが、18世紀に狩りを好まないフリードリヒ大王が市民公園として整備して以降は、都心の緑豊かな憩いの場として市民に親しまれているそうです。

 

そして、この広大な公園の中心に建つのが、

 

 

1864年~1871年にかけてのデンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争の勝利を記念した戦勝記念塔です。

 

 
ドイツ語で「ジーゲスゾイレ(Siegessäule)」と呼ぶこの高さ67mの石造りの塔の頂点には、
 
 
黄金の勝利の女神像がベルリンを見守るように君臨しており、1871年に成立したドイツ帝国の栄華を象徴する存在として今も街のシンボルの1つとなっています。
 
ちなみに、戦勝記念塔では内部の285段の階段を上って高さ50mの展望スポットに行くことも可能ですが(有料)、この日の雨模様と風の強さから断念しました…。
 
 
また、戦勝記念塔を囲むロータリー沿いには大モルトケ(写真1枚目)や鉄血宰相ビスマルク(同2枚目)といった、ドイツ帝国の建国の功労者の像も見られます。
 
なお、こうして華々しく1871年にドイツ統一を実現したドイツ帝国(第二帝国)は、第一次世界大戦の敗戦により50年に満たずして崩壊したのですから、歴史の一歩先というのは本当にわからないものですね。
 
あと、ティーアガルテンの北側には緑に囲まれつつも警備が厳重な建物(ベルビュー宮殿)がありますが、
 
 
もともと18世紀末に王族の夏の離宮として建てられたこの宮殿は現在はドイツ連邦大統領官邸として、大統領の政務と生活の場となっているそうです。
 
こんな緑に囲まれた瀟洒な宮殿で過ごすと、たぶん心も穏やかになれそうと変な感想を抱きつつ(苦笑)、
 
再び鉄道に乗って動物園駅で下車。
こちらでは別に動物園に入場するのが目当てではなく、
 
 
旧西ベルリン最大のショッピングエリアの最寄駅のため、まだクリスマスマーケット(写真3枚目)も営業する賑やかな街並みをブラブラと散策しました。
 
そして、商業施設群とは別の意味でにこのエリアの象徴的なスポットといえるのが、
 
 
1889年に崩御したドイツ帝国初代皇帝ヴィルヘルム1世を称えるカイザー・ヴィルヘルム記念教会
 
1895年に造られたネオロマネスク様式のこの教会は、
 
 
第二次世界大戦中の1943年11月に連合軍の空襲によって一夜にして廃墟となりますが、戦後に戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして、完全には復旧されることなく塔を部分的に改修・保存して現在に至りました。
 
 
そのため、ファサード中央のバラ窓や塔の頂点など所々に損傷・消失が見られるとともに、
 
 
 
内部は戦中のベルリンや破壊される前の教会の写真(写真4枚目)などが展示される記念ホールとなっており、
 
 
特に天井や床の装飾はモザイク画のクラシックな装いとなっていて中々の見応えです。
 
 
 
また、そこまで広くないので内部の見学に時間は要せず、あまり時間がなくても立ち寄れる場所だと思います。
さらに、この記念ホールの隣には、
 
一見無機質な箱のような新教会が建っていますが、文字どおり新たな聖堂として1961年に建設されたものであり、
 
その内部は2万枚を超える濃いブルーのステンドグラスがとても幻想的で、息を吞む美しさでした。
 
六角堂のような壁に沿って、360°に渡って張り巡らされたステンドグラスは、外観の無機質さとのコントラストがとても面白く、
 
 
またステンドグラス以外は実は現代ホール的な装いで、キリスト像(写真2枚目)やパイプオルガン(同3枚目右)も現代風だったのにも目を惹かれます。
 
 
 
そんな様々な形のコントラストが面白い新教会も、記念ホールと一緒に訪れるのがお勧めです。
 
あと、新教会の外壁の一角には2016年にこの教会前で起こったテロ事件の被害者を追悼する碑(写真4枚目)があり、8年が経ってなお多くの献花が寄せられていました。
 
 
 
この後は、前日の夜に訪れたフリードリヒシュトラッセ駅に移動し、その北側に建つ淡い水色の建物「涙の宮殿」の外観を鑑賞します(写真2枚目)。
 
”宮殿”といってもこの建物が王侯貴族に由来がある訳ではなく、あくまで東西分断時代の出国所として悲しい別れの舞台だったことによる俗称ですが、
 
 
現在は分断の時代の越境を追体験できる博物館となっているそうです。今回は時間の都合から入場しなかったものの、唐突に街中に出国所がある点は、かつての分断された都市の名残として物珍しく感じました。
 
 
そして今度は、フリードリヒシュトラッセ駅の南側から前日に訪れたジャンダルメンマルクト方面に南下
こちらはデパートやブランドショップなどが並ぶ高級ショッピングストリートでしたが、
 
 
そんな中に日本のアニメ・ゲーム等のフィギュアショップがあったのは、場違い感が半端なく面白かったです。
 
 
こうした街並みを進んだ上での次の目当ては、
 
かつて外国人が車又は徒歩で東ベルリンに訪れる際に必ず通る検問所「チェックポイント・チャーリー」のあった交差点と通りです。
 
米兵とソ連兵の写真が両面に掲げられたモニュメントは、まさに「別世界との境界線」だったことの証であり、当時は緊張感溢れるスポットだったそうですが、
 
 
今は検問所の小屋と壁博物館
 
 
さらに英語・ロシア語・フランス語・ドイツ語で書かれた警告看板米兵・ソ連兵に扮する人たちを見かける程度で、定番の撮影スポットとして人気となっています。
 
どうでもいいですが、現在はその看板隣にケンタッキー・フライド・チキンが営業(写真2枚目右:看板)している点に資本主義の勝利を象徴しているように思いました。
 
 
続いては、チェックポイント・チャーリーからマウアー通りを北上し、途中に戦前に建っていた教会の姿を模したモニュメント(写真2枚目)や、
 
 
重厚な佇まいのベルリン情報通信博物館(連邦財務省別館も併設)などを眺めてから、
 
唐突に旧社会主義時代そのままの建築が目に入りますが、こちらは朝鮮民主主義人民共和国大使館です。
 
 
いわゆる北朝鮮の国旗(写真2枚目中央)が堂々とはためくこの建物は、折からの雨模様もあってどこか不気味な佇まいで、通り沿いに停まる自動車から突如怪しい人物に拉致されれないか不安になります(汗)。
 
ちなみにこの大使館の建物ですが、以前北朝鮮側が無断で一部をトルコの企業に賃貸しホステルを営業させて収益を得ていたそうで、今はドイツ当局の命令により閉鎖
 
個人的には命がけで泊まってみたかったですが、今も昔もいわくつきということですね…(苦笑)。
 
 
こうして世界に50弱しかない貴重な北朝鮮大使館の外観を暇潰しに鑑賞した後は、チェックポイント・チャーリーに一度戻って西に進路を変え、
 
 
 
東ドイツ時代の雰囲気たっぷりの屋外展示施設(写真1~3枚目)や連邦財務省の分館(同4枚目)沿いを通過。
後者の向かいに静かに佇む、
 
テロのトポグラフィー」と呼ばれる情報公開施設を訪れます。
 
 
この場所はナチス・ドイツ時代に国家保安本部の庁舎が建っており、悪名高きあの親衛隊(SS)及びゲシュタポ(秘密警察)の本拠地だったそうです。
 
第二次世界大戦後に同庁舎は撤去されて更地になり、1980年代になってSS・ゲシュタポの「テロ」というべき恐怖政治の事実を未来に伝えるため、
 
 
彼らの罪業と欧州全土にもたらした災厄にまつわるパネル展示が通り沿いに設けられていました。
 
この展示のポイントは、ナチス・ドイツの指導者だけでなく恐怖政治を支えた当局関係者、ナチス支持に熱狂した市民など名もなき当事者にも着目している点で、
 
 
 
ドイツ人がその現実を直視するだけでなく、我々も誰もが恐怖政治の担い手又は被害者となる可能性があることを、改めて認識すべきものといえるでしょう。
 
また、この建物にはパネル展示のほか、ナチス・ドイツ時代の珍しい遺構として、
 
 
かつて地下牢だったという庁舎の廃墟が部分的に保存されており、この場所でかつて行われた悲劇を思うと、出すべき言葉すらありません…。
 
そんな歴史的スポットのこの場所ですが、見どころはもう1つあり、ちょうどこの地下牢跡の上の通り沿いに、
 
ベルリンの壁の一部が保存されていました。
ナチス・ドイツと東西分断という、ベルリン市民にとっての別の意味での災厄が併存する点で、
 
 
 
とても見ごたえがありますし、近隣に美術館(写真3枚目)やベルリン州議会議事堂(同4枚目)の重厚な建物が並ぶ中でも独特の陰鬱な空気を感じた次第です。
 
 
 
この後は、こちらもベルリンの壁の遺構である旧監視塔(修復中。写真2・3枚目)に立ち寄ってから、
 
 
 
フリードリヒシュトラッセ駅の隣のハッケシャー・マルクト駅(写真1・2枚目)に移動。
 
前日に続き博物館島(同3枚目)に向かったのですが、記事の構成の都合上今回はここまでとします。
 
 
次回は3つの美術館・博物館を紹介して7日目のベルリン市内散策を締め括った上で、

8日目のポツダム観光に入っていく予定です。
ではでは。