こんにちは。

今週、東京・新宿で男女関係のもつれにより25歳女性が51歳男性に殺害された事件がありましたが、両者はガールズバーの客とスタッフの関係だったそうです。

 

法律的には当然、51歳男性の方が裁かれるべきである点はいうまでもありませんが、そこに至る経緯を見ると26歳年下の風俗店員に数千万円を入れ込む男性もそういった男性の欲望を糧に生活する女性も、倫理的には大概でしょう。

 

まあ「職業に貴賤なし」といっても、ビジネスモデルとしてほどほどにしておくべきというよい事例かと思います。

 

これは某「頂き女子(笑)」やホストでも同じことで、人間の感情を弄ぶビジネスは、最後は人間の感情の暴走で報いを受けることも覚悟すべきと感じる今日この頃です。

 

 

  1月3日(水曜日)ベルリン③

 

さて、約3週間ぶりとなったドイツ周遊旅行記6日目の午後のベルリン市内散策の途中、世界遺産の博物館島の一角を成す新博物館の見学から再開します。

 

 

最後に訪れた4階は、古代からさらに遡って石器・青銅器・鉄器時代の展示を見ることができ、

 

特にこのフロアの目玉の1つのヘラジカの骨格標本(写真2枚目)の大きさは、恐竜と見紛うばかりでした。

そして、4階のもう一つの目玉が、

 

B.C.1000年頃のものと推定される黄金の帽子です。

 

古代の魔術師が被ったこの帽子は、上部がカレンダーの機能を備えており「時を司る」重要な役割を果たしたとされますが、こんなものが約3,000年前に造られた点とそのまま現存している点に驚かされました。

 

 

 

こうして4フロアに渡る展示を見て回ってきたのですが、その中で写真撮影禁止の最大の見どころがあり、

 

それはエジプト新王国時代の第18王朝のファラオのアメンホテプ4世の正妃をモデルに、B.C.14世紀半ばに造られた彩色石灰岩彫刻「ネフェルティティの胸像」です。

 

その生きた人間のような美しい造形と鮮やかな彩色は実に見事で、新博物館どころかベルリンの文化的アイコンとされており、実際に見ると確かにそのとおりでした。

 

こうして新博物館を見学した後は、もう一つくらい博物館を見学しようと思い、中世~近世の芸術品を展示するネオバロック様式のボーデ美術館(写真1枚目)や、

 

 

近現代の芸術品を展示しており、ギリシャ古典様式の外観が印象的なナショナルギャラリー(写真1枚目)にも興味を惹かれましたが、時間の都合上、

 

今回はその中でも最も有名なペルガモン博物館の別館に当たるパノラマ館に入場します。

 

古代ギリシャの貴重な歴史的遺産を展示するペルガモン博物館の本館は現在改修中のため、

 

 

 

代わって古代ギリシャの彫像をいくつか展示したり、

 

 

360°の大パノラマで古代ギリシャの街並みをCGで再現したホールを鑑賞しました。

 

正直、本館のイシュタル門や大祭壇と比べると物足りなさは感じますが、古代ギリシャの遺構の規模や当時の賑わいを理解する点ではよくできたCG展示といえます。

 

 

 

他にも5つの博物館から成る博物館島の敷地を一通りぐるっと回った後は、

 

 

通りの向かいに建つフンボルト・フォーラム(写真3枚目)の外観を鑑賞しました。

 

この建物が建つ敷地には、かつて18世紀初めに建てられたプロイセン王宮がありましたが、第二次世界大戦後に東ドイツ政府によって爆破され、代わって東ドイツ政府の人民議会等が入る共和国宮殿が設けられました。

 

「宮殿」と称しつつも無機質なガラス張りの建物だった共和国宮殿は、東西統一後に老朽化とアスベスト問題から閉鎖され、今後の活用が長く議論されたそうです。

 

最終的に王宮を再建するとともに、完成後には近代ドイツを代表する学者であるフンボルト兄弟の名を冠し、全世界を対象とする文化フォーラムとしての機能を中心とする施設としての役割を担うことになりました。

 

内部の詳細は後ほど、入場見学したタイミングに改めてご案内しますが、3面はオリジナルのバロック様式

 

1面は共産主義時代を思わせる簡素・無機質な現代的なスタイルで再建されたのも興味深いところです。

 

 

続いてここからは、東ベルリンの中央を貫く菩提樹の並木道「ウンター・デン・リンデン」を散歩。

 

この通り沿いには、ベルリンの近現代を象徴する数多くの文化的施設を見ることができ、

 

 

 

写真順に現在はドイツの戦没者追悼施設となっているノイエ・バッフェ(新衛兵所)、旧皇太子宮殿、フンボルト大学本館に国立歌劇場と建物の威容を含めさすがかつてのプロイセン・ドイツ帝国の都の趣です。

 

 

そして州立図書館(写真2枚目)が経つ通りの中間地点にはフリードリヒ大王の騎馬像(同3枚目)が建ち、ホーエンツォレルン家の名残も感じられる中、

 

 
少しずつ空が暗くなり、夜の訪れとなります。

この散歩中、暗さもあってより目を惹いたのが、

 

アンペルマンと呼ばれる信号の図案であり、こちらは東ドイツ統治下の1961年にデザインされ、1970年代に東ベルリンに普及したものです。

 

このアンペルマンは東西統一後、順次西ドイツの通常の信号に置き換えられる予定でしたが、デザイナーと市民の働きかけにより撤去を免れ

 

 

近年ではベルリン州の正式制定歩行者信号機として旧西ベルリン区域に拡大されただけでなく、全く縁のない旧西ドイツの諸都市の一部にも導入されるに至っています。

 

ちなみに、写真はウンター・デン・リンデン沿いのアンペルマンのグッズショップで、こういった形で旧東ドイツの文化が残ることはとても興味深いですね。

 

 

この後は、いったんウンター・デン・リンデンから外れて南北の目抜き通りのフリードリヒ通りに入り、

 

 

それから間もなくフリードリヒ・シュトラッセ駅(写真2・3枚目)に到着します。

 

この界隈は、東ベルリンでも有数の繁華街で商業施設やレストランが軒を連ねていますが、その中で日本人としてぜひ見ておきたいのが、

 

 

この駅高架下の風景であり、こちらは東京の新橋~有楽町間の高架のモデルとなったそうです。

 

私のように通勤で毎日新橋駅を利用する人間としては、日本にいきなりテレポートした不思議な感覚を受けるほどで、ぜひベルリンを訪れる時にはこの場所を、そして旅行前後には新橋駅界隈を散歩してみるのがお勧めです。

 

 

この次は、フリードリヒ通りを南に進んで、高級ブランドショップやデパートが並ぶ中を1ブロック奥に入り、

 

 

ジャンダルメンマルクト(近衛騎兵広場)と呼ばれる、コンツェルトハウス(写真1枚目)と2つのよく似たドームを擁する教会が建つ広場を訪れます。

 

こちらは、その均整の取れた景観から「ベルリンで最も美しい広場」と称えられることもあるそうですが、残念ながらこの時は工事中だったため、その美しさを実感することはできませんでした…(涙)。

 

 

 

こうしてフリードリヒ通りを南北に散策した後は、再びウンター・デン・リンデンに戻り、

 

 

菩提樹がライトアップされた光景を楽しみつつ、通りの終点まで西に向かって歩いていきます

 

そして通りの奥に見えてきた、誰もが知る堂々たる威容を誇る門こそが、

 

 

18世紀末にプロイセン王国の凱旋門として、アテネの神殿の門を手本に建てられたブランデンブルク門です。

 

東西分裂後には門のすぐそばにベルリンの壁が築かれていたため、人々はこの門をくぐることはできませんでしたが、

 

 

「壁」崩壊後には「分断の象徴」から「再統一の象徴」に、さらに「自由と平和の象徴」として、ベルリンどころかドイツを代表する建築物となりました。

 

ちなみにこの門、東西分裂前にもナポレオンのベルリン入場の折に門の上の女神像とクワドリガ(4頭立ての馬車)をパリに持ち去られる数奇な運命を辿っています。

 

結局、ナポレオン失脚後の1814年に返還されましたが、近現代のベルリンの激動にどこまでも晒されますね…。

 

 

そしてブランデンブルク門を抜けて北に向かうと、

 

 

すぐ先に写真の重厚で威厳のある建物が見えてきて、

 

こちらは1884~1894年に帝国議会議事堂であり、現在はドイツ連邦議会議事堂となっています。

 

日本の国会議事堂よりも規模は小さいものの重々しい外観のこの建物は、1933年に精神疾患を患う共産主義者(又はアナーキスト)によって放火されて炎上

 

この事件を受けた緊急大統領令がナチス独裁の確立(=ヴァイマル共和制の崩壊)に繋がったのはあまりに有名ですが、第二次世界大戦後は西ベルリンに属しながら議会として使用されることはなく

 

 

東西ドイツ統一後に8年間の大改築工事を経て、1999年に現在の姿で再び議会議事堂として蘇りました

 

なお、この1990年代の大改築の際には新たに屋上にガラス張りのドームが設けられており(設計はイギリス人のフォスター・ノイマン)、一般見学が可能となっています。

 

ブランデンブルク門と同じく、この連邦議会議事堂もまた近現代のベルリンの激動の舞台となったといえますね。

 

 

以上、午後からのベルリン市内散策はここで一区切りで、帰り際には中央省庁とは思えないガラス張りのパウル・ローベ館(写真1枚目)や連邦首相府(同2・3枚目)沿いを歩いて、東京と比べて警備の少なさに驚きつつ、

 

 

夜のシュプレー川(写真1・2枚目)を渡ります。

そして、日中以来のベルリン中央駅(同3枚目)から、

 

 

ホテルの最寄りのアレクサンダープラッツ駅に移動。

 

 

駅ナカの飲食店で、ドイツなのにイギリス名物という適当ぶりが明らかなフィッシュアンドチップス(写真2・3枚目)を夕食にいただいてから、ホテルに入って6日目を終えたのでした。

 

 

 

次回は7日目のベルリン市内散策2日目の模様を、午前中いっぱいくらいまで進める予定です。

ではでは。