おはようございます。

先週末に行われた東京都の目黒区長選挙では、現職の青木英二氏が多選批判の中で接戦を制して6選を決めました。

 

私が20代の頃、目黒区に住んでいた当時からずっと同じ区長と考えると賛否が分かれるのも納得ですが、息子が区議会議員を務めることの利益相反くらいしか、多選の中で致命的な問題がなかったのもまた事実です。

 

むしろ、緑のたぬきが推した自分ファーストの会の前都議会議員の方が傲慢な態度と発言で悪評が高いなど、現職以外の候補だとむしろ区政が悪くなるのが明らかであり、現職再選は区民の良識が現れた結果ともいえます。

 

国の政権もそうですが「変える」ことが必ずしも善ではないことは、私を含め選挙権を持つ国民・住民として十分認識する必要があると感じた選挙結果でした。

 

 

  郊外に残る神戸市内唯一の国宝建築

 

 

さて、本題の先週末の兵庫旅行2日目(日曜日)、駅前のドトールで朝食を済ませると神戸駅から三宮駅に移動

 

 

さらに三宮から神戸市営地下鉄西神・山手線に乗り換えて、街の中心部(山手地区)を西進して郊外の学園都市駅で下車します。

 

(Maztani - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=93610093による)

 

神戸市営地下鉄は、1977年に西神線の名谷駅~新長田駅間の5.7kmで開業し、現在は3路線(形式的には6路線)を運行しており、今回乗った西神・山手線は1980年代に全通した街の中心とニュータウンを結ぶ路線です。

 

この学園都市駅の周辺も、その名のとおり公立・私立の大学が集積するニュータウンの一部で、駅前には商業施設も整備されていますが、バスで2kmほど北に走ると、

 

 

写真だけでは神戸市と絶対にわからない、山々を背にした田園風景と道路のみが広がります(苦笑)。


 

そして最寄りのバス停から徒歩10分、野菜の直売所がより田舎っぽさ(写真1枚目)を醸し出す近くには室町中期の建築と伝わる仁王門(同2・3枚目)が建っており、この先がこの日の最初の目的地の太山寺です。

 

 

 

開山は飛鳥後期、創建は奈良時代初期でいずれも藤原氏に連なるこの古刹は、元正天皇の勅願寺として広く信仰を集めた歴史を持ち、趣ある参道(写真2・3枚目)や、

 

 

白壁に囲まれた複数の塔頭寺院からは、往時の播磨国東部の名刹の名残が随所に感じられます。

 

 

 

こうして仁王門から参道を進んだ突き当りには石段(写真1枚目)があり、その先の中門(同2枚目)をくぐるとようやく境内の中心に到着。

 

中門から直進して右手には17世紀末の建立と伝わる三重塔(写真1枚目)、左手には同時期の再建の阿弥陀堂(同2枚目)が建ち、それ以外にも、

 

 

 

写真順に護摩堂(17世紀後半)、羅漢堂・釈迦堂(江戸時代後期)、太子堂などが点在しており、
 

中でも手前に鳥居を構える太子堂は、所謂「神仏習合」的な宗教観が見て取れました。
 
 
さらに、山を背にしたこの緑豊かな古刹の最大の見どころといえばやはり、境内の中心に建つ、
 
鎌倉時代後期・13世紀末に再建された国宝の本堂を置いてほかにありません。
 
その規模は柱真々間で正面20.82m・側面17.76mと横長で大きく、仏教の大衆化を受けて多くの門徒が一度に集まることができる新しい仏殿の創始期の歴史的遺産という点が、学術的に高く評価されているそうです。
 
 
 
外観は薄い朱色で極彩色過ぎないのが却って年季も含め、周囲の景色に調和して趣ある印象を受ける一方、
 
 
内部はかなりがらんとしていて、神社と見紛うほどの朱塗り尽くしとの対比が、より印象に残る空間でした。
 
 
まあ、やたら豪華絢爛でも周囲の雰囲気には合っていないので、地元の古刹としてはこれでよい気もします。
 
ちなみに実は、県内に6箇所14件存在する国宝建築の中で唯一神戸市内に存在するとのことで、あまり今の神戸はお寺とイメージは結び付きませんが、近代化以前の神戸の歴史を学ぶ上では重要な遺産と感じた次第です。
 

 

  山陽線沿線とはイメージの違う播磨地方

 

 
この後は、バスに乗って学園都市とかハイテクパーク、ニュータウンといった表示に違和感しかない一帯を後にし、
 
 
 
学園都市駅の隣の伊川谷駅(写真1・2枚目)から、来た道を戻って繁華街の新開地にもほど近い湊川公園駅(同3・4枚目)で下車します。
 
 
県名の由来にもなった兵庫区の中心ながら(写真2枚目:兵庫区役所)、どこか都会というよりローカル都市の香りを漂わせるこの一帯ですが、駅の上部に駅名と同じ湊川公園が整備されています。
 
そして、この「湊川」は南北朝時代の1336年に足利尊氏・直義兄弟と新田義貞・楠木正成が戦った湊川の戦いの舞台として歴史的には有名で、
 
それに由来して公園の一角には楠木正成像が、馬に乗って駆ける勇ましい姿で佇んでいます。
 
 
 
生涯にわたり後醍醐天皇に仕え、鎌倉幕府の倒幕や南朝の守護に大きく貢献した楠木正成(大楠公)は、生前・死後とも逆賊から忠義の士まで評価が二転三転した人物ですが、歴史を動かした人物であることには間違いありません。
 
たまたま次の目的地への乗継ぎのため下車した駅ですが、遺構がなくてもこういった歴史上の地名に触れるだけでロマンを感じますね…。
 
 
そんな神戸の歴史的スポットをしばし眺めた後は、神戸市営地下鉄と比べると昭和感が溢れる、ダンジョンのような地下駅の神戸電鉄(神鉄)湊川駅に入場します。
 
(図案:神戸電鉄の社章)
 
神戸電鉄は、間もなく創業100周年(1926年創業)を迎える準大手私鉄で、阪急阪神東宝グループに属しながら営業上は半ば独立した経営を行い、
 
(ButuCC - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=32724788による)
 
同社が運行するのは神戸市内を中心に西は小野市、東は三田市まで東西に長い計5路線から成る路線網です。
 
沿線は三田牛で有名な三田、有馬温泉、新開地と中央~東部は知名度が高い一方、今回乗った西側ではあまりメジャーとは言えない播州の中央部を走り抜けます。
 
 
それはそうと、湊川駅で電車を待つ間に朝に購入しておいた駅弁「神戸中華焼売弁当」を賞味♪
駅弁では肉メインのものを食べることが多いのに加え、神戸らしさも相まって美味しくいただきました。
 
 
 
昼食を済ませると、車両まで昭和の香りが漂う列を成す車両に乗り、まずは神鉄有馬線を北上しますが、
 
その途中に通った鵯越駅(写真)は、源平合戦のハイライトの1つの一ノ谷の戦いにおける奇襲「鵯越の逆落とし」に由来する、上述の湊川と同じく歴史的地名です。
 
こういった歴史を街中で感じるのは、長らく日本の歴史の中心だった畿内らしいなあと思いつつ、
 
 
電車は山間部(写真1枚目)を上り、途中の鈴蘭台駅からは神鉄粟生線に入っていきます。
 
この粟生線は、神鉄では最長・最多の路線距離29.2km・計20駅を擁する路線で、神戸市北区の鈴蘭台駅から兵庫県小野市の粟生駅までを結ぶ路線です。
 
私は終点2駅前、この機会に存在を初めて知った小野市の中心部の小野駅(写真2枚目)で下車しましたが、予想どおり観光客は多くなかった印象を受けました。
 
 
ちなみにその小野駅の駅ビルには「乗って残そう 未来の粟生線」という掲示がありましたが、これ自体が粟生線の厳しさを物語っているように思います…(汗)。
 

 

  東大寺と縁の深い播州の国宝寺院

 

その上で駅前ですが、小野市の中央駅ながら駅前ロータリーにはコンビニも存在しないという冴えない環境のため、この小野市も近年合併でできた市と思いきや
 
 
意外にも1954年の市制発足以来、平成の大合併の際も吸収を含め一切合併せず、市制施行当初の面積のまま今年で70年目を迎えるそうです。
 
そんな小野市は、観光マップ(写真2枚目)を見ると知名度は高くないものの歴史ある古刹が点在するようで、
 
 
駅前から約4km、バスで向かった浄土寺はその代表格というべき国宝寺院です。
 
鎌倉時代初期、東大寺の再興に大勧進職として主導的な役割を果たした重源上人が建立したこの寺院は、
 
 
 
こちらも上掲の太山寺と同じく、神仏習合の名残が窺える八幡神社(写真1~3枚目)のほか、
 
 
 
写真順に文殊堂や鐘楼堂、開山堂、薬師堂(本堂)といった伽藍が境内の中心から円周上に建てられています。
 
そして、参道から見上げる位置に建ち、本堂(写真4枚目)と相対するのが、
 
 
重源上人が浄土寺を創建した1192年から唯一現存している浄土堂(阿弥陀堂)です。
 
明治後期から国宝に指定されているこの御堂は、鎌倉初期に流行し再建後の東大寺南大門にも取り入れられた天竺様(大仏様)で建てられており、当初から現存する日本唯一の天竺様の御堂として高く評価されています。
 
その特徴は、シンプルながらシンメトリックな佇まいに優雅さを感じる外観よりも内部に見ることができ、残念ながら写真撮影は禁止ですが、
 
 
複雑かつ精緻に組み上げられた朱塗りの柱と屋根、本尊の後光のように日光を取り入れる窓の設計は実に見事ですし、
 
御堂と同じく創建当時から現存する本尊の木像阿弥陀如来及び両脇侍立像はその歴史・大きさ・佇まいのいずれをとっても国宝の仏像たるに相応しいものでした。
 
 
 
また、御堂以外にも境内の左右には各々塔頭を擁し(写真1~3枚目)、山の背には八十八カ所霊場のミニチュア版(同4枚目:参道の入口)が設けられるなど見て回れる要素も備わっており、中々興味深かったです。
 
鉄道で行くのも、駅からもアクセスが至便とはいえない古刹ですが、東大寺の所縁を訪ねる先としてはぜひ訪れる場所といえると思います。
 
 
 
こうしてこの日2つ目の国宝寺院の拝観を終えると、往路と同じコミュニティバスで小野駅まで戻り、そこから終点の粟生駅まで移動しました。
 
粟生駅は、この神鉄粟生線のほか、後述する2路線を合わせた計3路線が交わる交通の拠点ながら、駅前は小野駅と同様にひっそりとした印象を受けますが、アルファベット2文字(AO)は世界の駅名でも大変珍しいそうです。
 
日本では頴娃駅(EI。鹿児島県南九州市)・飯井駅(II。山口県萩市)が他に該当しますが、ギネスの世界最短記録は1文字の「z」で申請した津駅(三重県津市)だとか。
 
実際は日本語発音はさておき、アルファベットでは「TSU」の3文字なのになあと、津駅を見る都度思う心の狭い人は私だけなのでしょうか(笑)。
 
さて、この兵庫旅行はもう少しだけ続きますが容量の都合で今回はここまでとして、残りは今週のトピックス記事と併せて金曜日迄には掲載させていただきます。
ではでは。