おはようございます。

今週、メジャー挑戦のため渡米していた筒香嘉智選手が古巣の横浜DeNAベイスターズに正式に復帰しましたが、そこに至るまで報道が過去になく二転三転しました。

 

その内幕については真実が明らかになる可能性は低く、またセンシティブな話なので興味もないのですが、結果としてよい形に収まったように思います。

 

この点、渡米前のような活躍までは望み薄な一方、精神的な柱としての役割は期待できるのでしょうね。

 

ただ、復帰後に十分な結果が出せなかった時にこの歓迎ムードがどう変わるか、さらにチーム首脳陣が我慢できるかが問われるところだと思います。

 

 

  1月3日(水曜日)ベルリン②

 

さて、本題のドイツ周遊旅行記は2桁の第10回に入り、6日目の午後にベルリンに到着したところから再開。

 

旧東ベルリンの中心だったアレクサンダー広場は、ユニクロ(写真中央下)など資本主義の豚が出店しながら今も共産主義時代の無機質な建物が並び、

 

 

一部に新しい建物が見られるものの(写真1枚目中央上)、高さ368mのテレビ塔(同2枚目)も含め、どこか曇天が似合う重い空気を感じます。

 

ちなみにこのテレビ塔は1965~1969年にかけて旧東ドイツ政府がベルリンのシンボルとして建築したもので、近未来的なデザインが特徴的です。

 

とはいえ、この銀の球体っぽさは一時代前の近未来観そのものだと思いますし、ここから当局が東ベルリン市民を監視していたと言われても信じてしまいますね…(汗)。

そして、アレクサンダー広場のもう一つのシンボルが、

 

こちらもレトロな意匠の世界時計です。

数字の上下に記された都市の現時点の時刻を示す機能は至極わかりやすく、テレビ塔と同時期の1969年の完成から55年を経た今も現役ですが、

 

 

日本の時間帯(UTC-9)のところ、東京とソウルの上に敢えてピョンヤンを表記している点は、旧共産圏らしさがよく出ているように思えました。

 

そして、アレクサンダー広場から駅の高架をくぐって市役所通りに入ると、右手手前にはテレビ塔の下部

 

 

その先の広場の一角にはマリエン教会を見ることができます。1270年に建てられたベルリンで2番目に古い歴史を持つこの教会は、日本人的には森鴎外の小説「舞姫」の舞台(モチーフ)としても有名ですね。

 

続いて向かって通りの左側に建つのは、

 

通称「赤の市庁舎」ことベルリン市庁舎です。

プロイセン王国の首都だった1861~1869年の間に北イタリアの盛期ルネサンス様式で建造されたこの建物は、

 

 

建設以来ベルリン市役所(冷戦期は東ベルリン市役所)として使われており、その異名は共産主義ではなく赤い硬質煉瓦(レンガ)による外観に由来しています。

 

第二次世界大戦の空襲で一度破壊されたため、現存する建物は1951~1956年に再建されたものですが、その意匠は元通り破壊前の姿だそうです。

 

そして、この市庁舎は向かいのテレビ塔とともに近現代のベルリン東部のシンボルとされています。

 

 

 

次に、市役所通りから少し路地に入ると、石畳の道と全体に背の低い建物が並ぶニコライ地区に入ります。

 

ベルリンの発祥の地と言われるこの地区は、中世の趣を今に残す市内でも珍しい場所であり、

 

 

地区の中心に建つニコライ教会は、1230年創建のベルリン最古の教区教会だそうです。

 

ただ、この街並みは実はオリジナルではなく、1987年にベルリン市が市制750年の歴史を記念して中世風に再現したもので、このニコライ教会もまた第二次世界大戦の戦火により廃墟となった建物を復元しています。

 

共産主義の旧東ドイツが身分制社会の中世を懐古するというのも奇妙な話だと思いますが、

 

 

プロイセン以降の激動の歴史の中で近世以前の面影が失われたベルリンにあっては、例え一種のテーマパークとしてもこういった地区は貴重なのでしょうね。

 

 

続いてニコライ地区から再び市役所通りに戻り、さらに市内を流れるシュプレー川が見えてくると、

 

その右手前には広場が設けられています。

マーケットもないだだっ広いこの場所の名前は、

 

マルクス・エンゲルスフォーラムというバリバリの共産主義の名残を漂わせるもので、広場の中心にはマルクスとエンゲルスの像が今も残っています。

 

そんな時代錯誤甚だしい2人の像だけでなく、

 

 

 

かつての東ドイツ時代を想起させるモノクロ写真や彫刻が点在しているものの、近年は戦前の歴史的な街並みを復元すべきとの声もあるそうで、いつまでこの共産主義の遺物の面影と名前が残るのかが気になる次第です。

 

さらに、そんな共産主義時代の面影はこの広場だけでなく川向こうに静かに佇む、

 

この無機質かつシンメトリックな壁と窓の建物からも感じられますが、こちらの詳細はいったん後回しに、

 

 

まずはより目立つベルリン大聖堂の外観を鑑賞♪

こちらはベルリン「最大」規模であり、プロイセン王家にしてドイツ帝室だったホーエンツォレルン家の菩提寺という高い格式を持つルター派プロテスタント教会です。

 

 

プロテスタントのイメージを覆す重厚・瀟洒な外観は、いかにも長い歴史がありそうですが、実は1905年に今の姿に建て替えられたもののためむしろ新しい方といえます。

 

ちなみに教会なのに入場料をとり、歴史も120年に満たないため入場は避けました(苦笑)。

 

 

 

そして、このベルリン大聖堂の向かい、シュプレー川の中州の北西部一帯に形作られた歴史と伝統ある博物館のコンプレックスが、世界遺産の博物館島なのです。

 

(Sansculotte - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=504108による)

 

正確には大聖堂(上の地図の色塗り箇所右下)も含まれる中州の北部は、5つの異なるテーマの博物館が集結した美の殿堂という印象を受けます。

 

 

そんな実績のある博物館群のうち、

 

 

 

一通り博物館島の中や外周をブラブラしてから、この日訪れたのは1箇所限りで、

 

 

新館的なジェイムズ・シモン・ギャラリーを経由して訪れた新博物館です。

ちなみに、ジェイムズ・シモン・ギャラリーの一角で行われていた特別展のテーマが、

 

 

 

昨年8月に訪れたウズベキスタンだったので、仏像(写真4枚目)などの展示を懐かしく感じました。
 

 

他には博物館島周辺のジオラマ展示もあるジェイムズ・シモン・ギャラリーですが、やはり他の島内の博物館群と比べると地味な存在という印象は否めません…。

 

一方、奥の新博物館は2009年の再建と大変歴史は浅いものの、自慢の古代エジプトの文物は入口から入ってすぐ正面から最後まで見続けられる展示の多さです。

 

 

 

また、施設としては全4フロアから成り、最初に訪れる地階(Ground Floor)は、古代エジプトといえば誰もがイメージする神像(写真2枚目)やミイラの棺桶(同3枚目)、

 

 

 

精緻な壁面絵画(写真4枚目)などが展示され、地下っぽい雰囲気によくマッチしていました。

 

 

また、副葬品にも用いられた装飾具(写真1枚目)は、数千年を経た今も鮮やかな色を放ち、人間の創作力ははるか昔から変わらぬ輝きを見せているように思います。

 

 

 

こうした作品は1階(欧州圏での表現で実際は2階。以下同じ。)以降もこれでもかというほどに続き、吹き抜けや高い天井を活かした大規模な展示(写真2枚目)が、

 

 

古代エジプトの技術力と創造力の高さを象徴するかのように並んでいました。例えば写真2枚目の門は、石を直線状に切断・加工する技術を現すものですね。

 

 

 

そして時代が進むにつれ、同じ古代エジプトでも創作性と独自性に富んだ作品が見られるようになり、

 

例えばこの「Berlin Green Head」は、石像ながら顔の細かな造形と特徴の緻密な強調が特徴的で、B.C.7世紀~1世紀頃の作とされています。

 

 

また、彩色も加えられることで次第に重厚さだけでなく華やかさが備わっていくのも顕著となり、

 

 

 

割と統一的な印象を受ける古代エジプトの作品の中で、個性が強くなっていく流れも感じ取れました。

 

 

 

さらに2階(3階)に上ると、展示も後半に入り、

 

1世紀頃の作の少年像「Xanten Youth」を見て、両目と右手が失われながらも、少年の肌の質感と全体の動きが明瞭に表現されている点に惹かれたり、

 

 

 

すっかり色鮮やかかつ材料も多彩となった器や皿(写真3・4枚目)に、顕著な彩色技術の発展を見て取るなど、教科書では一律で「〇〇文化」と総称される文化・文明の中での多様性を堪能します。

 

 

また、門扉やレリーフの装飾(写真1・2枚目)もより精緻となり、私のような素人の傍目では中世ヨーロッパと区別がつきにくいほどでした。
 

 

中でも金の宝冠(写真3枚目)は、非常にシンプルながら多くの宝玉が埋め込まれており、以降の王冠のベースが古代の時点で整っていたのには驚きです。

 

さて、新博物館の散策はもう少し続きますが、記事の構成と時間の都合上、今回はここまでとします。

 

 

次回は、GWのイタリア・スロベニア周遊旅行を挟むためしばらく休載した上で、引き続き博物館島の見どころを紹介するとともに、

 

近現代のベルリンの歴史を象徴するスポットを、夜に至るまで順次取り上げていく予定です。

ではでは。