おはようございます。
今年の春から、私の出向元でも転職や育児・介護等で退職した人材を再採用する仕組みが導入されたそうです。
最近では「アルムナイ採用」と呼ばれるそうですが、出向元の運用で残念なのは、出向元を退職した時点の採用区分・役職【以下】で再採用するというもので、退職後のキャリアを全く評価しない点です。
日本社会全体で人手不足が問題となって久しい昨今、ここまで買手市場さながらの態度は古色蒼然そのもので、正直「話題だから導入した」程度の熱意しか感じられません。
せめて退職後の経験に応じて、「出向元を退職した時点の採用区分・役職【以上】」で再採用するくらいの積極的な姿勢を見せてほしいところですが、あの閉鎖的な人事部門からすると期待はできないのでしょうね(苦笑)。
リュブリャナの歴史(後編)
(Ronnie Macdonald from Chelmsford, United Kingdom - Ljubljana 24, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25801923)
さて、本題のイタリア・スロベニア周遊旅行記予習編の第2回は、スロベニアの首都・リュブリャナの近現代史から再開します。
20世紀前半まで約600年にわたりハプスブルク家の統治下にあり、古ドイツ語で「流れない水は洪水を起こす」を意味するライバッハと呼ばれたこの都市は、
オーストリア・ハンガリー二重帝国の領邦だったカルニオラ公国の首都でしたが、1918年の同帝国の崩壊に伴いその位置付けは大きく変わりました。
第一次世界大戦後、バルカン半島に形成されたスラブ人国家であるユーゴスラビアの一部となり、この位置付けは王政・共産主義・民主主義と国家体制等が変わりつつも約70年続くことになります。
また1918年には、街の名称もライバッハから今のリュブリャナに改められ、これはこの街が従来のオーストリア文化圏からスラブ文化圏に移った証左の1つでした。
ユーゴスラビア王国の下ではドラヴァ州(現在のスロベニアとほぼ同じ国土)の州都だったリュブリャナは、第二次世界大戦中の1941年に枢軸国の侵略を受け(ユーゴスラビア侵攻)、イタリア王国に占領されました。
このイタリアの占領下では、リュビアナ州の州都リュビアナとイタリア語に名称が改められ、元ユーゴスラビア王国の将軍のレオン・ルプニク(写真1枚目)、さらにイタリアが敗れた大戦末期はナチス・ドイツの支配を受けます。
(地図:Arbalete - 投稿者自身による著作物, based on File:Yugoslavia (1946-1990) location map.svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=26524072による)
そして、第二次世界大戦の終結後にはユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成国であるスロベニア社会主義共和国の首都となり、約45年にわたり西側との玄関口として連邦内でも豊かな発展を見せました。
さらに1991年にスロベニアがユーゴスラビアから独立すると同国の首都となり、
独立宣言直後にユーゴスラビア連邦軍が侵攻した十日間戦争でも、以降泥沼化していくユーゴ内戦の中でも大きな被害を受けることなく、隣国イタリアやオーストリアなど西側諸国との繋がりをさらに深め、今に至っているのです。
ヴェネツィアの概要
(左:Stephan Brunker - first upload in de.wikipedia by Stephan Brunker, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=184348)
(右:オランダ語版ウィキペディアのIdéfixさん, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3221773による)
次に、今回の旅の最大のハイライトのヴェネツィアについて、その概要を取り上げます。
ヴェネツィアは、イタリア東部のヴェネト州の州都であり、アドリア海に面する人口約25万人の都市です。
(Nikater - 投稿者自身による著作物 based on OpenStreetMap, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14738553による)
そして、ヴェネタ湾上に浮かぶ島々に造られた海上都市のイメージが強いヴェネツィアですが、自治体としては本土側も含み、その面積は約400㎢に上ります。
また、都市の名称はラテン語でウェネティ人の土地を意味しており、古代イタリア人の部族の1つだったウェネティ人がアドリア海の奥に広がるこの地に住んだことに由来。
そんなヴェネツィアは、本土側がメストレなどリーズナブルなホテルが並ぶ街や工業地帯で占められるのに対し、
(Suicasmo - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=91107437による)
そのメストレから橋が架かるヴェネツィア本島を中心とするアドリア海の最深部のヴェネツィア湾にできた潟に浮かぶ島々は、歴史ある街並みで世界的に有名です。
なお、人口では本土が約20万人、島しょ群が約5万人と圧倒的に本土の方が多いです。
(写真1枚目:Didier Descouens - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=83863498による)
そしてこのラグーナと呼ばれる潟の上に築かれた、小さな島々が橋とカナル・グランデ(大運河)などの縦横に走る運河が走る中世以来の趣ある街並みは、古くから水の都・アドリア海の女王などの愛称で称えられてきました。
(Saffron Blaze - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15146981による)
そんな地理的事情のため、街の交通には水上タクシーや水上バス(写真)などが主に用いられ、鉄道や自動車・トラムは街の玄関口までしかありません。
(Giovanni.mello - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5234649による)
また、その潟に浮かぶ立地からアクア・アルタと呼ばれる異常潮位を起こす高潮が有名で、その規模は街の中心のサン・マルコ広場は完全に水没するほどです。
(写真2枚目:CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=345564)
(同3枚目:Didier Descouens - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=24921402による)
こうした地理・交通事情の一方、ヴェネツィア本島を中心に歴史的な建築物には枚挙に暇がなく、教会ではサン・マルコ寺院(写真1枚目)やサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂(同2枚目)、サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂(同3枚目)が代表格です。
中でもサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂は、人気漫画の「ジョジョの奇妙な冒険」の舞台としても一部の日本人には有名で、聖地巡礼の定番となっているそうです。
(Inselmann - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2119976による)
次に宮殿では、ヴェネツィア共和国時代の総督官邸兼政庁だったドゥカーレ宮殿が最も有名ですが、それ以外にも貴族や豪商らが築いた「パラッツォ」と呼ばれる邸宅がメインストリートや運河に沿って並び、
(写真1枚目:Didier Descouens - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15721492による)
(同2枚目:Didier Descouens - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=25203928による)
名門貴族によって15世紀前半に建てられたカ・ドーロ(写真1枚目)や、現在は18世紀ヴェネツィア美術館となっているカ・レッツォーニコ(同2枚目)など、周囲の景色も相まって1つ1つが目を惹く美しさを誇ります。
(写真1枚目:By I, Sailko, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19404990)
(同2枚目:By Xtrasystole - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23334107)
そしてこちらも日本のアニメ・漫画ファン的には「ARIA」の舞台として頻繁に登場した高級ホテル「ダニエリ」は、14世紀に総督の私邸として建てられた瀟洒な宮殿を前身とするのも相まって、たびたび取り上げられています。
(Chene Beck - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=15271108による)
他にも運河が縦横に走る街らしく、リアルト橋(写真)などの秀逸なデザインの橋や、多くの歴史的な名画等を展示する美術館群といった見どころや、
(Frank Kovalchek from Anchorage, Alaska, USA - Couple in love at the 2010 Carnevale in Venice (IMG_9534a), CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13290679による)
さらに季節限定ですが例年2月末~3月初に開催されているヴェネツィア・カーニバルは、多くの人々が仮面と豪華な衣装を纏って街を闊歩する光景が大変有名で、所謂「世界三大カーニバル」の1つです。
以上、このようにイタリアでも有数の観光名所の1つであるヴェネツィアですが、その立地から特に観光公害に悩まされ続けており、
それを受けて2019年には公序良俗を維持するための治安条例を可決・施行し、さらに今年4月からは日帰り観光客を対象に入島税を導入するに至りました。
個人的には、こうした治安維持や混雑解消のためには一定の負担もやむを得ないと思いつつ、私も1人の観光客として節度ある行動を心がけようと思います。
最後に、そんな歴史と魅力を備えた「水の都」ヴェネツィアは、日本でいう「小京都」のように、世界各地で運河がはりめぐらされている水の都に対し「○○のヴェネツィア」と異名が付けられており、
例えばベルギーのブリュージュ(ブルッヘ)やロシアのサンクトペテルブルクなどは「北のヴェネツィア」、
中国・江蘇省の蘇州や北海道の小樽市は「東洋のベニス(ヴェネツィアの英語発音)」の異名が付いています。
…東京?寝言は寝て言ってほしいですね(失笑)。
次回は、そんな「水の都」ヴェネツィアが歩んだ歴史について概観する予定です。
ではでは。