おはようございます。
今日から新年度が始まり、私の出向先を含め虎ノ門界隈は例年同様いかにも新人さんらしきスーツの集団が目立ち、昼には食事処が混雑するんだろうなと想像します。
初めての社会人生活という方には、慣れるまでは疲れが溜まると思いますが、それは大なり小なり人事異動等があった社会人にもあることなので、まずは新しい環境における自分の役割を果たすことが大切です。
ともかく健康第一、お互いゴールデンウィークを一つの区切りに頑張っていきたいですね。
1月2日(火曜日)
シュパンガウ②・オーバーアマガウ・ミュンヘン③
さて、本題の年末年始のドイツ周遊旅行記は誰もが知るマリエン橋から望むノイシュバンシュタイン城の眺望から再開します。
橋の下は深い渓谷(写真1枚目)、背にはバイエルン南部の平原(同3枚目)が広がる山中に建つこの城は、
王都ミュンヘンとは全く違う、政治や俗世間から離れた避暑地にあり、国王ルートヴィヒ2世が自らの夢と情熱、そして多額の国費を投じて1869年に建設が始まりました。
すなわち、日本でいう明治維新直後にドイツ帝国の一領邦の王が建てたということで、その著名さに対して歴史や伝統には乏しい存在です。
とはいえ、ドイツを代表する観光名所であることは誰も否定できない事実であり、冬にもかかわらず天候にも恵まれてこの眺望を楽しめたのはよい思い出です。
この後は、マリエン橋から来た道を戻って三叉路から別のアップダウンの緩やかな道を進む途中、木々に囲まれた中から少し開けた先には、
麓のシュパンガウとフュッセンの街が眼下に広がり、その中でもさらに写真2枚目中央の小高い丘の上に建ちクリーム色の外観が際立つ、
ホーエンシュパンガウ城の全景は、まさにヨーロッパの古城という佇まいで見応えがありました。
なお、このホーエンシュパンガウ城はルートヴィヒ2世の父のマクシミリアン2世が19世紀前半にネオゴシック建築で建てた夏の狩りの城であり、上述のルートヴィヒ2世も家族とともに幸せな子供時代を過ごしたそうです。
そんな子供時代の思い出が、晩年にこの地にノイシュバンシュタイン城を建てる契機になったのかなと思いつつ、
参道をさらに進むと、正面には白亜の城館の姿が次第にはっきり見えてきます。
そしてこちらは、西から眺めたノイシュバンシュタイン城ですが、マリエン橋からの姿と比べると少々のっぺりした印象を受けました。
さらに北の城壁に沿って城門に至る道を進んでいると、間近で見上げると外観の装飾は割とシンプルに感じ、
東側の正門もまた、ここだけ切り取るとノイシュバンシュタイン城とは全くわからなさそうなくらい、王家の城館のファサードとしては落ち着いた雰囲気です。
ちなみにこの時、ツアーで予約されていた入館時刻まで少し余裕があったので、
北側の展望スポットに立ち寄って城の全景を眺めてみましたが、最初のマリエン橋の眺めがあまりに完璧な美しさだったこともあってか、そこまで歴史の重みを感じないゴチャゴチャした城館という印象しかありませんでした。
まあ、それだけマリエン橋からの眺めが奇跡的なアングルなんだろうなと理解しつつ、
そろそろ城門をくぐって入城。
この城は、上述のとおり近代、19世紀後半に建てられたにもかかわらず、中世の文化や騎士道精神に耽溺したルートヴィヒ2世の趣味により外観・内部とも中世風を採用し、
重厚な城郭の佇まいとなっています。
とはいえ、中世と違い実際に籠城戦や将兵の収容を想定した造りとはなっておらず、
後述する城内も同じですが、全体にテーマパーク(作り物)感は否定できないところです。
そんな何とも言えない感想を抱きつつ、予約時間になったのでガイドツアーが開始。今時のバーコードを読み取る入場ゲートから城内に入っていきます。
なお、城内は写真撮影禁止のため、詳しくは紹介しませんがさすが多額の国費を投じて建設しただけのことはあり、居室や回廊の装飾は豪華絢爛でした。
また、ルートヴィヒ2世が愛したリヒャルト・ワーグナーのオペラ「ローエングリン」「パルシファル」等の名場面を再現した絵画や洞窟の再現など、自らの嗜好が存分に反映された点でも面白かったです。
ただ、それは歴史や当時の政治・文化に裏打ちされたものとはいえず、結局は自分のオタク的な趣味を世襲で得た権力と財力で実現したに過ぎない虚構ともいえます。
事実、ルートヴィヒ2世はバイエルン王国が普墺戦争の敗北(姻戚関係の深いオーストリア側で参戦)やドイツ帝国の成立により弱体化する中、元々の精神病の気もあって次第に内向性や孤独な狂気に満ちた生活に陥っていました。
そんな中で、自らがパトロンとなったリヒャルト・ワーグナーの表現する中世の世界に耽溺し、ノイシュバンシュタイン城をはじめとする豪華な建築物を次々と領内に建て、
さらに彼の生涯の最晩年には城内の大部分が完成したこの城に住まいを移し、それ以降王都ミュンヘンに戻ることはなかったほどです。
こうしたルートヴィヒ2世の放蕩ぶりにより、バイエルン王国の財政は破綻に瀕したため、ついに1886年6月12日には家臣団により精神病を理由に廃位され、その翌日に軟禁先近くのシュタルンベルク湖で謎の水死を遂げました。
彼の死後、バイエルン王国政府はノイシュバンシュタイン城を観光施設として一般開放するとともに、建設途中の一部の建物を竣工させて以降は造営を中止し、今に至るまで未完の城ながら世界的な観光名所となっています。
そんな投じた国費と豪華さに対してどこか空虚な雰囲気も感じた山中の城ですが、それでも誰もが知る観光名所であり、マリエン橋からの眺望が見事なのもまた事実なので、個人的には行ってよかったと思う次第です。
こうしてまた一つ、ヨーロッパ旅行の王道スポットを今更ながら満喫した後は、城の外観を時折眺めつつ坂道を下ってシュパンガウの街に戻ります。
その途中、いかにも観光客がたくさん訪れそうな歩道沿いのカフェ&レストランに入り、
何となくパスタを食べたい気分だったので、ドイツとは全く繋がらないミートソースパスタを注文。
添えられたチーズ(写真3枚目)とともに食べましたが、正直に言って特筆すべき点はない普通の味で、観光地だからこの値段も許されるのかなと感じました(適当)。
ちなみに、デザートのアイスクリームはスイス発祥の有名ブランド「モーベンピック」のものなので、やはりドイツ感はありませんがこちらは納得の美味しさです。
ランチを済ませると、再び参道を下りますが途中では馬車と行き違ったり(写真3枚目)、小さな沢(同4枚目)を見かけたりと散歩気分で楽しみ、
余裕を持って麓のシュパンガウの街に戻りました。
そしてツアーバスに乗って出発、というところですが実はこの時バスの乗車場所を間違えていて、危うく取り残されそうになったのは肝が冷える思い出です(汗)。
そんな危機一髪のトラブルはあったものの、ツアーバスに無事乗車してからは約50分、アルプスの山々に囲まれた道を東に向かい、オーバーアマガウの村の外れで下車。
この土産物店やビジターセンターが設けられた公園もまた、上述のルートヴィヒ2世に所縁のある場所で、
自転車や馬(笑)の利用が禁止(写真2枚目)された自然豊かな遊歩道を先に進むと、
彼が1874~1878年に建てたリンダーホーフ城とその庭園が広がっていました。
ただ、こちらも「城」といっても実際は避暑のための離宮であり、また冬季は庭園が閉鎖され彫像にカバーがかけられていたので、外観だけ見るとノイシュバンシュタイン城と同じく豪華な印象はなかったです。
そして、このリンダーホーフ城の内部も写真撮影禁止と妙に制限が厳しく(苦笑)、詳細をお伝えできませんがそのロココ様式の佇まいはやはり豪華なものでした。
これは、ルートヴィヒ2世がフランスのルイ14世を崇拝していて彼の遺した大トリアノン宮殿を模したためと言われていますが、現実逃避と過去の真似事が続くどこまでも薄っぺらい人生だなあと調べるほど感じます。
とはいえ、この城自体は庭園を含め250年の怒涛のドイツの近現代を乗り越えた貴重な歴史的遺産であり、
シンプルに豪華絢爛な装飾を楽しむ、という点でも見どころのある建物だと思いました。
まあ、ルートヴィヒ2世の治世はバイエルン王国と王家的には黒歴史なのかもしれませんが、その辺の評価はバイエルンの方々に実際に聞いてみたいところですね。
以上、ヴィース教会・ノイシュバンシュタイン城・リンダーホーフ城と予定どおり目的地を巡った後は、街中の渋滞を含め約1時間半でミュンヘン中央駅に到着。
早朝出発&疲れが溜まってくる5日目というタイミングもあり、夕食は駅のスターバックスの軽食(写真2枚目)で済ませるとそのままホテルに直行し、終日日帰りツアーで過ごした5日目の旅路を終えたのでした。
1月3日(水曜日)
ミュンヘン④・ベルリン①
続く6日目は、まだ外の暗い早朝にホテルをチェックアウトしてミュンヘン中央駅を訪ね、
もはや使い慣れた、この旅では最後の利用となる高速列車「ICE」に乗車します。
約4時間20分という今回の鉄道旅行では最長の移動は、バイエルン州・テューリンゲン州、さらにザクセン・アンハルト州を縦断してブランデンブルク州に入り、
私にとって初の東ドイツ上陸となる首都のベルリンの中央駅に、お昼前には到着しました。
ベルリン中央駅は写真のとおり地下から高架まで立体的な構造で、ちょっとしたショッピングモールのような造りになっており、ICEの着く地下(写真1枚目)からSバーンの発車する高架部(同4枚目)まで上り、
アレクサンダープラッツ駅にSバーンに乗って移動。
旧東ベルリンの中心であるアレクサンダー広場の最寄駅であるこの駅は、
内部・周辺とも旧東ドイツの無機質かつ重厚な雰囲気が至る所で感じられ、
よくわからんオブジェ(写真2枚目)の存在も含め、旧共産圏あるあるのノスタルジー満載の風景が楽しめます。
そして駅前の高層ホテルにチェックイン後、1階のバーガーキングで旧共産圏の中心で資本主義の豚の餌(失礼)を気楽に済ませたところで、記事の構成・容量の都合上、今回はここまでとします。
次回からは3日間の長いベルリン滞在を通じて訪れた多くの見どころを、じっくり取り上げる予定です。
ではでは。