こんにちは。
他人を中傷・挑発するのに乱暴な言い掛かりをつけるのは、大坂冬の陣の契機となった方広寺の鐘の銘文「国家安康 君臣豊楽」など古くから枚挙に暇がありません。
先日の辻外務副大臣とイスラエル外相の会談後、外務省がXに投稿した写真で机上に置かれたスイカをパレスチナに勝手に見立てて切れ散らかしていた輩もその一例です。
この意味不明な妄言は、日本・イスラエルはもちろん、当のパレスチナでさえ一顧だにせず、すぐに鎮静化したようですが、こうした陰謀論が限られた輪の中で生まれ増幅するグロテスクな光景の一端を見た気分でした。
社会人としてはこのような「それらしい」言説の真贋を見極め、冷静に論評する姿勢でありたいものですね。
12月31日(日曜日)
マインツ②・ダルムシュタット
・フランクフルト③
さて、本題の年末年始のドイツ周遊旅行記は、ラインラント=プファルツ州の州都のマインツから再開。
中世から街の中核だったマインツ大聖堂(写真1・2枚目)を一通り拝観した後は、中央駅に戻る道すがら、
マルクト広場の隣のグーテンベルク広場を通り、劇場(写真1枚目)と広場の名の由来となった近代印刷技術の父と称えられるヨハネス・グーテンベルクの像(同2枚目)をしばし眺めました。
なお、グーテンベルクはマインツで生まれたため、前回触れたシラー通りのシラーと違ってちゃんとマインツとは深い縁のある人物です。
そしてマインツ中央駅(写真1・2枚目)から、一旦フランクフルト中央駅に戻り、若干の待ち時間を経て別のホームから再びICEに約20分乗ります。
こうして辿り着いたのがダルムシュタット。
今では人口約16万人の中規模都市ですが、かつてはこのヘッセン州を含む領土を有するヘッセン大公国の公都だった歴史ある街です。
ただ、駅前はトラム(写真1枚目)以外は特に何もない郊外のような印象で、街の中心部に通じているライン通り(同2枚目)もやたら広く近代以前の趣はほぼありません。
これは、第二次世界大戦中の空襲で公都時代の建物のほとんどが失われるなど大きな被害を受けたためであり、
大通り沿いを含め、ダルムシュタット市内の建物は戦後に建て直されたものがほとんどを占めています(写真:イスラエル国旗が掲げられた市の行政機関)。
とはいえ、街の中心に近づくと再建とはいえ近代風の趣を残す商店や民家などを見ることができ、かつての大公国の都としての誇りが感じられました。
とりあえず往路は駅前から歩いてみようと、ライン通りを東に向かうこと約30分、案の定トラムに乗ればよかったと若干後悔した頃に(苦笑)、街の中心部に到着。
最後のヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒの像と記念碑(写真1枚目)が建つルイーゼン広場は、近代建築の市庁舎と現代的なショッピングモール(同2枚目)がともに並ぶアンバランスな印象を受けます。
さらにこの広場から、日本だと千葉県千葉市の海浜幕張駅からZOZOマリンスタジアムに行く時しか乗った記憶のない横長の連結バス(写真1・2枚目)に乗り、今は博物館となっている城館(同3・4枚目)を通り過ぎ、
少し郊外の変哲もない住宅街で下車しました。
そしてここから、坂道に沿って一戸建てのお洒落な邸宅が並ぶ「マチルダの丘」に上ったのですが、こちらは「地球の歩き方 ドイツ2023-24」の地図のバス停の位置関係が盛大に間違っているので注意が必要です(苦笑)。
具体的には、Mathildenhoheのバス停で下車して南の坂を上るとありますが、実際は東の坂を上る必要があり、地図のバス停はHochzeitsturmという全く別のものです。
まあ、私たちは久しぶりに「地球の迷い方」に盛大に騙されたと笑って済ませる程度で片付け、
丘の南側のベーレンス・ハウス(写真2枚目)から邸宅鑑賞を始めました。
このマチルダの丘は、上述のヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒが19世紀末~20世紀初にかけてドイツ各地から芸術家を招聘して造り上げた芸術家村であり、
当時流行したユーゲント・シュティール(ドイツにおけるアール・ヌーボーの呼称)によって、気鋭の建築家らが競うように建てた芸術家の家がいくつも見られます。
(写真3・4枚目:グリュッケルトハウス)
個人的には、建物自体だけでなく、門扉の意匠(同1・3枚目)にも工夫が凝らされているのが興味深かったです。
そんな最後の大公の芸術保護政策は、第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国、さらに自らのヘッセン大公国が解体されたことで道半ばで終わりますが、
彼の残した芸術村は、南側の華麗な装飾(写真4枚目)が目を惹く芸術家コロニー美術館を中心に今も残り、美しい建築群とともに近現代のアートを私たちに伝えてくれているのです。
そんな芸術村の建物群のうち、最も多くの作品を残したのが建築家のヨゼフ・マリア・オルブリッヒであり、写真のオルブリッヒハウスをはじめ、
現在はドイツ・ポーランド研究所となっているハウス・ダイタース(写真2・3枚目)など通り沿いにはいくつもの近現代風の特色ある作品を見ることができます。
その風景はまさに屋根のないオルブリッヒ建築博物館といってよく、中でも最も目を惹く建物がオルブリッヒ・ハウスに隣接する階段(写真4枚目)を上り、
芸術家コロニー美術館の裏手を回った先に建つ、
大公の結婚を記念して建てられた結婚記念塔とその隣に建つモダンな展覧会場です。
手前の広場の市松模様(写真3枚目)も印象的なこの塔は、オルブリッヒの代表作の1つであり、その面白さは結婚式の宣誓の手の5本指をモチーフとした全体の姿のほか、
12星座のモザイクが輝く塔の外壁の日時計など、特定の部分の装飾にも見出すことができます。
それ以外にもアート作品が複数見られる芸術村の中心は、近所の子供が遊ぶ住民に身近な空間でもあるようで(写真1枚目左)、この点はとても羨ましく思いました。
さらに、この結婚記念塔と並ぶこの丘の上でも色々な意味で不思議(不自然)な建物が、
黄金のドーム屋根が煌びやかなロシア教会です。
ドイツでは信者の少ないロシア正教の教会がこの地に建つ理由はわかりませんでしたが、もしかしたら大公の妹がロシア帝国最後の皇后アレクサンドラだった縁もあるのかなと連想しました。
この後、日が暮れてライトアップされた教会(写真1・2枚目)や丘から見下ろす街の眺め(同3枚目)などを鑑賞してから、このマチルダの丘を後にして、
本来の最寄りバス停のHochzeitsturmから、中央駅に直行する路線バスに乗車します。
そして中央駅に着くと、フランクフルト行の電車が年末の運行計画により同日中の運行を停止している衝撃の事態が判明しました。
そこでドイツ鉄道の駅員に相談した上で、相棒ともフランクフルトに戻るルートを検討した結果、
まずはこの日の鉄道の臨時終点となったLangen駅まで移動し、同駅から臨時のローカルバスに乗車。
1本西側の空港寄りの鉄道路線経由で、本来の予定から2時間遅れでフランクフルトの東横インに到着しました。
今回はさすがに若干焦りましたが、最悪、ダルムシュタットに戻って鉄道で大回りする方法もあったので、そこまで悲壮感がなかったのも事実です。
そんな疲労困憊で戻ってきた東横インは、無駄のない狭さ(笑)も含め日本とほとんど同じ客室となっており、実家並みの安心感を受けます。
また、気分転換に1階に降りて、日本の東横インより広めの朝食ラウンジ(写真2枚目)を眺めると、
入口と同じく、所々に神社の鳥居を連想する赤を取り入れたデザインと、唐突な感のある日本画や写真の組合せは、ドイツ最大の金融都市の中心とは思えません(苦笑)。
また、夜にはラウンジでしゃぶしゃぶ(写真3枚目)を15ユーロ(約2,400円)で食べられるのは、日系ビジネスホテルならではですね。
そしてこの後はいよいよ、2023年の終わりがあと数時間に迫ってきたところですが、この日の疲れもあって客室に戻った後はゆっくりと休憩…。
客室の窓からも見える年始の花火(写真左上)と爆音が聞こえる頃には、体力を取り戻しました(苦笑)。
この後、そんな締まらない年越しで終わるのも嫌なので、
多くの人が集まるマイン川に架かる橋まで、すでに新年ですが2023年に区切りをつけるため向かいました。
道すがら、思い思いに花火をぶん投げる欧州ならではのカオスな光景、さらに警察や消防・救急のサイレンが絶えずなり続ける模様は、
街の中央での打ち上げ花火を含め、ようやく約4年を経て感染症流行前の社会活動が戻ったことを世界各地で祝うかのような賑わいぶりです。
とはいえ、空に上る花火はさておき、橋から河原に投げ込んだり橋の上で光と炎、煙を放つ花火には本能的な恐怖を感じざるを得ず(汗)、
頃よいタイミングでこの賑わいから離脱。
ゆっくりとホテルへの帰路に就き、昨年のマレーシアと比べてリアルタイム感はなかったものの、2023年への別れと新年の到来を体感したのでした。
次回は元旦、舞台を南部のバイエルン州に移して外観メインのミュンヘンの街巡りを取り上げる予定です。
ちなみに、今回で私にとっての2023年ネタは全て完結となり、遅ればせながら昨年の積み残しをようやく解消できて少しスッキリした気分になりました。
ではでは。