おはようございます。

元旦の能登半島地震から2ヶ月が過ぎ、各種メディアで取り上げられる機会が減るとともに、現地では自主避難所への配送の終了など順次日常に戻りつつあるようです。

 

今後、指定避難所や宿泊施設の避難民受け入れも終了していくのでしょうが、一見冷たく見えるこの対応も、最後は自立を促す必要性を考えると合理的といえます。

 

この点、居心地が良すぎて居座られても困るとか、生存権の確保などの点で、避難所の施設水準がやり玉に挙げられており、ほどよい環境というのは実に難しいものです。

 

まあ、多くの人間は怠惰になるとどこまでも墜ちる点を踏まえると、今くらいの水準で適切なのかもしれませんね。

 

 

  12月31日(日曜日)
フランクフルト②・マインツ①

 

 

さて、本題の昨年末の年末年始のドイツ周遊旅行記は未だ2023年が終わらない大晦日の午前、フランクフルトゲーテ広場から再開します。

 

引き続きフランクフルトの市内散策として訪れたのは、ゲーテが先例を受けたとされるカタリーナ教会ですが、

 

 

 

残念ながら大規模修復中(写真1・2枚目)で入場できず、近隣の百貨店(ガレリア・ハウプトヴァッヘ。同3枚目)がお休みなのと、朝から続く小雨もあって、この周辺は人も少なく寂しい限りでした。

 

そしてゲーテ所縁の名所はこのカタリーナ教会以外にも、

 

 

今は博物館となっている彼の生家「ゲーテ・ハウス」がすぐ近くに建っています。

 

残念ながらオリジナルは第二次世界大戦中の空襲でほぼ完全に焼失しましたが、戦後に忠実に復元され、また中の調度品は地方に疎開させてあったのでゲーテとその一家が過ごした居室を見ることができるそうです。

 

ただ、こちらも大晦日なので休業しており(苦笑)、これだけお馴染みのフランクフルトでも入場観光した場所は本当に少ないんだよなあと思いつつ、

 

 

 

街の中心部に歩みを進めました。次に訪れたのは、フランクフルトを象徴する場所の1つである、

 

 

木組みの意匠の美しい建物が並ぶレーマー広場です。

この広場の中でも、西側の写真3枚目の切妻屋根の建物の中央は旧市庁舎(通称:レーマー)であり、

 

 

ケルン市庁舎と同じくイスラエルとウクライナを支持する両国の国旗が掲げられていました(写真3枚目)。

 

また、レーマーの2階には神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式後の祝宴が行われた広間(カイザー・ザール)があり、内部を見学できますが、

 

 

 

残念ながらこちらも休業…(写真1枚目)。

次のトランジットの機会に回すことになりました。

 

なお、レーマー広場の南にはニコライ教会(写真2~4枚目)が建っており、こちらは1290年創建で第二次世界大戦の戦火も免れた貴重な歴史的遺産です。

 

現在は外観・内部とも比較的シンプルなプロテスタント教会ですが、宮廷の礼拝堂として建てられた神聖ローマ帝国と所縁の深い存在といえます。

 

 

この後は、レーマー広場の東側からシルン美術館(写真1・2枚目)のロビーや狭い路地を抜けると、その先には荘厳な時計塔(同3枚目)が見えてきて、

 

13~15世紀にかけてゴシック様式により建築された巨大なフランクフルト大聖堂に到着しました。

 

 

1415年に建築が始まり、1877年に完成した高さ95mの塔が我々を見下ろすこの大聖堂は、神聖ローマ帝国皇帝の選挙及び戴冠式が行われた歴史と格式ある教会で、

 

 

 

観光客をそこまで見かけなかった朝のフランクフルト旧市街でも、多くの方が礼拝に訪れていました

 

 

なお、この時は大晦日のミサが行われていたので聖堂の奥に入ることはできず、やっぱりフランクフルトと私は入場観光という点では相性が悪いと思った次第です(苦笑)。

 

そんな大聖堂の参拝後は旧市街から中央駅に戻りますが、

 

 

往路とはルートを変え、街の中心を流れるマイン川の沿岸に沿って歩みを進めました。

 

予習編でも触れましたが、この街の正式名称は「フランクフルト・アム・マイン」といい、マイン川沿いのフランクフルトと称するとおりこの川もまた街の象徴の1つです。

 

また、Frankfurtの語源が「フランク人が渡河した地」を指し、ドイツ東部のオーデル川沿いにもフランクフルトという街があることから、その街はフランクフルト・アム・オーデルと呼ばれています。

 

とはいえ、この2つの街は知名度に圧倒的な差があるので、ドイツでフランクフルトといえば一般的にはこのフランクフルト・アム・マインを指す点はご留意ください。

 

 

 

そんな小ネタはさておき、トラムの線路や現代風のフランクフルト歌劇場(写真2枚目)などを眺めがてら、街を歩いてフランクフルト中央駅(同4枚目)に到着。

 

 

そしてちょうどこの時にはお昼に差し掛かっていたので、駅ナカのフードコートに入り、

 

ベルリン発祥のご当地グルメのカリーヴルストを、スパイスたっぷりにいただきました♪

 

相変わらずのソーセージとポテトの組合せですが(苦笑)、カレー味のソースはケチャップやマスタードとはまた異なる味わいで、安い割に満足度は高かったです。

 

 

 

昼食後には、ICEで約35分移動してライン川とマイン川の合流点に位置するマインツに向かいました。

 

マインツは、水運と陸運の要衝として古くから交易で栄え、8世紀末に大司教座が置かれて以降は宗教都市としても発展し「黄金のマインツ」と称えられたそうです。

 

そして現在は、経済の中心はフランクフルトに移ったもののラインラント=プファルツ州の州都として連邦国家であるドイツでは重きをなす都市であり続けています。

 

 

 

そんなマインツの見どころは、中央駅からトラムに沿って南東に10分ほど歩いた先の旧市街に集中しており、

 

 

旧市街までの道のりは、特別に目を惹くものもない普通のヨーロッパの地方都市という印象です。

 

途中、シラー通りにはその名のとおりシラーの像(写真)が建っていましたが、マインツがシラーに縁のある都市という訳ではなく、単にドイツを代表する詩人・歴史家・劇作家・思想家を称えるもののように思えます。

 

 

 

あと、この通りの奥の広場にはFastnachtsbrunnenと題する奇妙なモニュメント(写真1~3枚目)や、瀟洒な館をリノベーションしたアパルトマン(同4枚目)が建っていたのが記憶に残った程度です。

 

 

そんなシラー通りを出て坂道をトラムに沿って上ると、可愛らしい色合いの小さな教会(写真3枚目)が現れ、こちらがザンクト・シュテファン教会です。

 

 

後述の大聖堂と同じく10世紀末創建の歴史あるこの教会は、外観・規模ともドイツではよくあるもので、

 

 

また教会内の回廊は、第二次世界大戦で破壊された後の再建とは思えないほどに、中世の趣が感じられ、

 

 

これだけでも十分見応えがありますが、何よりもこの教会の名を知らしめているのが、

 

聖堂内を青の世界に染め上げるステンドグラスです。

 

 

人影が少なく大変静かなのも相まって、全体として神秘的な空間を織り成すこのステンドグラスは、

 

 

 

あのマルク・シャガールが手掛けた、新約・旧約の2つの聖書を題材としたもので、肉眼や望遠鏡で1つ1つの絵に絞って眺めると、

 

シャガールの親しみやすいタッチを存分に味わうことができ、教会としてではなくステンドグラスの美術館としても大変魅力的に映りました。

 

 

 

そんな素敵な青の聖堂を堪能した後は、古い城壁に沿った坂道を少し下り、参道のような開けた道(写真4枚目)に出ると、その向こうには、

 

教会や聖堂というより、宮殿・お城のような巨大なロマネスク様式の建物が見えてきます。

 

 

 

フランクフルトのレーマー広場と同じく、昔ながらの木組みの建物に囲まれたマルクト広場の南に面する、この荘厳かつ巨大な建物が、

 

神聖ローマ帝国時代には皇帝の選挙権を持つ7人の選帝侯の首席(大書記官長)として、聖俗両面で絶大な権限を振るったマインツ大司教が座したマインツ大聖堂です。

 

975年に当時のヴィリゲス大司教が建設を命じたこの大聖堂は、ケルン、トリーアやアーヘンを超える聖界諸侯としての強力な権威を象徴するように、

 

 

入口も城門のような重厚な造りとなっていました。

とはいえ、さすがに衛兵や警備スタッフまではおらず

 

 

聖堂内に入場すると、そこは壮麗豪華というより落ち着いた雰囲気の広大な空間となっており、中央には東西両端に内陣(写真2・3枚目)を擁する点に、大聖堂としての格式の高さが感じられます。

 

また、南北には普通の教会の身廊並みの規模の側廊が設けられており、

 

 

 

側廊沿いには小さなチャペルが並びます。

こちらは、中世半ばの建築のためいずれも豪華さよりも厳かな造りながら、宗教建築としての完成度は高かったです。

 

 

 

他に地下には過去の大司教らの墓が並び、

 

 

また内陣の祭壇もベーシックな造りで、ロマネスク様式の大聖堂の構造を学ぶには最適のように思えました。

 

 

 

なお、ケルン・トリーアと並ぶドイツ三大聖堂の1つに挙げられるマインツ大聖堂ですが、三大聖堂の中で唯一世界遺産に登録されていません

 

第二次世界大戦の爆撃を受けたものの、部分的には10世紀末の建築が現存しているのでこの差は不思議ですが、内部の際立った点のなさが原因の1つかもしれません

 

また、上述のザンクト・シュテファン教会と同じく回廊も見学できるのですが、

 

 

こちらはザンクト・シュテファン教会の回廊をより大規模かつ美しくしたもののように映り、

 

 

 

同時代・同じヴィリゲス大司教の下でザンクト・シュテファン教会に先立って建てられたというのも納得です。

 

以上、マインツの2つの聖堂の見どころを紹介したところで今回はここまでとします。

 

次回はマインツから、かつてのヘッセン大公国の首都ダルムシュタットに舞台を移し、可能であれば2024年の年明けまで進めたいと考えています。

 

2024年が始まってすでに2ヶ月半近くが過ぎる中、早くブログ上で2023年を締め括りたいところです。

ではでは。