こんばんは。

ここ数年、JRの特急列車では全車指定席化が進んでおり、先週末訪れた中国地方でも今年4月からスーパーはくと・スーパーいなば・やくもが全車指定席となる予定です。

 

全車指定席化は、指定席料金による収入増以上に車内での検札コストが大きく下がる点(本来空席の席に座る客のみ検札すればよい。)で鉄道会社にとって大きなメリットがあり、乗客も検札対応が不要となる点で気が楽です。

 

お得なきっぷのデジタル化もそうですが、網羅的な検札ではなく怪しい客に絞って対策するのは合理的といえます。

 

とはいえ、青春18きっぷ+特急指定券で不正乗車する等の不逞の輩がいないとも限らないので、ランダムでの検札などで発覚のリスクを認識させることも重要となりますね。

 

 

  中国山地を横断する路線を訪ねて

 

 

 

さて、先週末の中国地方周遊旅行1日目午後の姫路市内散策後から再開。再び世界文化遺産と負の交通遺産の最寄りである姫路駅に戻ります。

 

そして、改札が別(写真3枚目)に設けられた1~4番線ホーム(同4枚目)に上がり、

 

 

兵庫県たつの市出身の詩人・三木露風の童謡「赤とんぼ」をイメージしたイラストと朱色のカラーが鮮やかなローカル線のJR姫新線に乗車しました。

 

姫新線は、兵庫県姫路市の【姫】路駅と岡山県【新】見市を東西に結ぶ路線距離158.1km・計36駅から成り、その沿線には兵庫・岡山両県の6市2町が連なります。

 

 

 

そのうち、兵庫県区間(姫路~上月)については高速化事業と同時に沿線自治体による利用促進運動が行われ、

 

 

特に最初に乗り換えた播磨新宮駅(兵庫県たつの市)までは姫路市への通勤・通学需要が活発なため、運行本数は1時間2~3本と全く不便は感じません。

 

 

 

ただ、これが播磨新宮~上月間になると一気に1時間半に1本まで減少して一気に使いにくくなり、特に2回目の乗継ぎで下車した智頭急行と交わる佐用駅(兵庫県佐用郡佐用町)から先は、乗客より空席が目立つようになりました。

 

とはいえ、県境の上月駅は山中鹿之助最後の戦いの地となった上月城に近く、また上述のたつの市は龍野藩5万石の城下町として観光地となっており、沿線の努力を含め兵庫県区間は救いがあるようにも思えます。

 

とはいっても、2022年度の播磨新宮~上月間の営業係数は896と中々の厳しさで、

 

 

一方で岡山県方面に目を向けても、旧美作国の中心だった津山~上月間は1,142とさらに悪化します(汗)。

 

旧国鉄車両(写真2枚目)を見て岡山に来たなあという気分になりつつ(苦笑)、江戸時代初期は森家18万石、後に親藩の津山松平家が10万石で入った要地の城下町にもかかわらず、どうしてこうなったと言わざるを得ません。

 

 

 

ちなみに、津山駅前はそんな城下町の雰囲気を再現した建物やバス停(写真1~3枚目)が設けられているほか、江戸時代の蘭学者の箕作阮甫の像(同4枚目)、

 

 

後はSL機関車や隣接する「津山まなびの鉄道館」の旧津山扇形機関車庫などの展示が見られ、お城と鉄道の街としてPRしようとしているのが窺えます。

 

 

まあ確かに、津山は今もJR姫新線以外にも南にJR津山線、北にはJR因美線が走る鉄道の要衝であるため戦略的に間違いではないですが、山陰・山陽を結ぶ特急が通っていないのが弱く、全国的な知名度は決して高くありません。
 

ただ、全く別の話題として国民的ロックバンドのB'zの稲葉浩志さんがここ津山市出身で高校まで過ごしたため、B'zファンの聖地となっているのは一部で有名といえます。

 

市内には稲葉さん所縁の場所も多く、また今夏には7年ぶりの凱旋ライブも開催予定のようです。

 

 

 

 

そんな「お城と鉄道とB'zの街」の本格的な観光は次の機会にして、今回は約1時間の待ち時間を経て、JR姫新線では3回目の乗継ぎとしてこの日最後の列車に乗車。

 

播磨新宮から先は辛うじて列を成す2両編成が続いてきましたが、津山以西に至ってはほぼ乗客はおらず、その営業係数は津山~中国勝山(真庭市)は907中国勝山以西に至っては3,745の大台に乗るヤバさ具合です(汗)。

 

 

そんな過疎路線を約5時間かけてゆっくりと全線走破し、終点の新見駅には午後8時前に到着しました。

 

この新見駅も南北にJR伯備線、東西にはJR姫新線と翌日乗るJR芸備線が走る鉄道の要衝ですが、

 

 

 

駅前は人影も少なく寂しい限りで、津山駅と違って特急車両(やくも)も停まる街とは思えないくらいでした。

 

姫新線は兵庫県と沿線各市が乗客増に向けて懸命に努力する一方、岡山県は県・市ともJR西日本任せで、特に最悪の線区を要する真庭市はJR西日本の株主になることが存続対策と言い張る厚かましさです(汗)。

 

 

新見市のどこにA級グルメがあるのか知りませんが(写真1枚目)、JR姫新線、特に岡山県区間の先行きは暗いなあと思いつつ駅近くのビジネスホテルに向かい、早朝の出発から長かった1日目を終えたのでした。

 

 

以上、1日目にコンプリートした路線は過去に訪れたことのある神戸市内の路線群を含めて10本に達し、

 

また兵庫県の駅メモ巡り194/369駅と、全体の半分を少し上回るところまで来ています。

 

とはいえ、まだ神戸市周辺~阪神間の路線群とJR播但線・福知山線・加古川線という陰陽連絡線がしっかり残っているので、現実はまだリーチさえ遠い状況ですね(苦笑)。

 

 

  早朝から西日本最凶の過疎路線に挑む

 

 

 

続く2日目(土曜日)は、前日に続いて未明に起床すると午前5時過ぎには新見駅に到着し、JR伯備線と比べて余りに悲惨JR芸備線のダイヤ(写真4枚目)を眺めます。

 

特に土日祝日の場合、始発(5:17発)の次が13:02発と約8時間の間隔となり、前日の終電(21:45発)から始発の間隔(約7時間半)より長いのには驚くばかりです。

 

また、そんな厳しい現実からは、「みんなの架け橋」に絶対なっていないだろとポスターを見て感じました(汗)。

 

 

そして、JR芸備線の解説は過去に当ブログで済ませているので、今回は速やかに本題に入りますが、まずは当然のように列を成さない鉄の箱に乗車。

 

 

 

営業係数3,181の備中神代~東城間は未明の闇夜を走り、ジャブといった感じで広島県に入りますが、東城以西は山間部+線形・路盤の悪さから鈍行ぶりが凄まじく、東城から約50kmを走るのに1時間半を超えるほどです。

 

平均15~25km/hで走る鉄の箱という、もはや大量輸送も速達性も失った交通機関の始発には、

 

私以外には、ともに新見駅から乗り通した鉄道愛好家4名以外に乗降客が現れることなく、午前6時半過ぎに山中のターミナル駅である備後落合駅まで向かいました。

 

 

なお、この東城~備後落合間の営業係数は15,516とJR西日本でも最悪の水準で、非公表のJR東海を除くJR5社の全路線でもワースト3に入る赤字区間です。

 

また、同区間は1日当たりの平均通過人員は20人と全国ワーストながら、2019年からは倍増(注:同年は11人…。)しているものの、若干改善しているとはいっても焼け石に水というのが正直なところでしょう(汗)。

 

こんなのぼり旗を立てつつも、この備後落合駅で交わるJR木次線ともども危機的な状況にある芸備線ですが、

 

 

当然のように乗り換える車両も1両編成で、その際に新見駅から乗った4名の他の乗客のうち2名は折り返しで戻るあたり、この山陰・山陽の狭間の駅と路線には根っからのマニアを惹き付ける何かがあるのでしょうね。

 

そして、備後落合駅から西は車窓の景色を撮影してもブレないことのみが取り柄の牛車のような歩みが続き、

 

 

 

昭和期には謎の怪獣「ヒバゴン」の生息地として話題を集めた比婆山の麓の比婆山駅(写真1・2枚目)や、

 

ちょっとした落石ですぐに運休になる弱々しく狭隘な鉄路を抜けて、山の向こうの庄原市に入った頃にようやく部活動に勤しむ中高生の乗客が見られるようになりました。

 

とはいえ、その営業係数は備後落合~備後庄原が3,777、備後庄原~三次が958、さらに半年前に乗った三次以西(三次~下深川)が888と、

 

 

 

さらに、空がすっかり明るくなった午前8時過ぎには、この運行車両の終点の三次駅(写真4枚目)に約半年ぶりに訪れることになります。

 

旧備後国に属し広島県北部の中心都市である三次市内には、今は三次から広島駅まで向かうJR芸備線と、約半年前に乗ったJR福塩線の2路線が運行していますが、

 

  

隣接するバスターミナルは駅よりよほど広大かつ立派に整備されており、そのニーズの高さが窺えます。

 

まあ、JR芸備線も三次以西は大体1時間に1本運行しているので、広島に行く分にはどちらもアリなんですが、広島駅以外に直接行こうとするとバスに軍配が上がります。

 

その点は、芸備線の備後庄原方面(1日8本)や福塩線(1日6本)からしても明らかですね…(汗)。

 

 

 

そんなバスターミナルには、広島東洋カープとコラボしたリムジンバス(写真1・2枚目)のような大量輸送と、次に私が乗った小さなローカルバス(同4枚目)の両方がそれなりの頻度で往来しており、

 

 

芸備線・福塩線はすでにコンプしたので、私は次に鉄道が走っていない北西方面に出発しました。

 

 

  鉄道がなくなって6年、その遺構を訪ねて

 

 

そんなローカルバス旅行は、三次市内の三次もののけミュージアム(写真1枚目)や道の駅ゆめランド布野(同2枚目)といった三次市内の施設を通り、

 

 

間もなく島根・広島の両県を南北に流れる江の川沿いに出ます。以降、この江の川に沿っての旅が続くのですが、そこには多くの鉄道の遺構が今も残っていました。

 

 

この小さな単線の線路をかつて88年に渡り走っていたのが、広島県【三】次市の三次駅と島根県【江】津市の江津駅を結ぶJR三江線でした。

(写真3枚目:三江線全線開通記念碑

 

路線距離108.1km・計35駅のこのローカル線は、上述の江の川に沿って凄まじくクネクネした線形を辿り、広島・島根両県の3市3町を結んでいたそうです。

 

 

 

そして、1回目のバス乗換場所である道の駅グリーンロード大和(写真4枚目)の手前で島根県美郷町に入り、

 

JR三江線の廃駅の1つである伊賀和志駅にアクセスしたところで、ついに広島県をコンプリート

 

広島県は、瀬戸内海沿いや広島市内は比較的容易にゲットできる一方で、先述の芸備線・福塩線、そしてこの廃線となった三江線の回収に手間を要することから、1回でコンプリートするのは難しいと思います。

 

そのため、上手く時刻表を調べて広島県北部をどう効率的に移動するかが広島県コンプのポイントですね。

 

 

さて、この後は小さな道の駅からJR三江線の遺構を巡る旅が続きますが、そちらは2018年4月に廃線となった三江線に纏わるエピソードとともに次回ご案内します。

ではでは。