おはようございます。
先週、乃木坂46の山下美月さんがグループ卒業を発表したのをネットニュースで見て、直感ではまだ早いなあと思ったのですがもう3期生の加入から7年半も経ったのですね。
アイドル界隈では区切りの24歳という年齢よりも、ご自身の中でやり切ったという判断故の卒業と思いますし、後はどう最後のセンターと卒コンを盛り上げるかだと思います。
私はもう推し活から離れましたが、こうして推していた頃のメンバーが卒業するのはやはり寂しいと感じました。
12月30日(土曜日)
デュッセルドルフ②・ケルン③
さて、本題の年末年始のドイツ周遊旅行記は冒頭ネタと同じ乃木坂46所縁とは言い過ぎですが、元メンバーの生田絵梨花さんの生まれたデュッセルドルフから再開。
中央駅(写真2枚目)からインマーマン通り(同3枚目)を通り沿いのお店を眺めながら真っすぐ進み、
大規模な商業施設とクリスマスマーケットの屋台が煌びやかな新市街に出ると、ケルンやアーヘンと違った近現代の商工業都市の趣を顕著に感じました。
クリスマスが過ぎても年始までこうした装飾が残るのは、日本との大きな違いだなあと改めて思いつつ、とりわけこの新市街の広場周辺で目を惹いたのが、
水辺に面する斬新なアート建築「ケー・ボーゲン」でした。館内には高級デパートも入っているようですが、外観からは何の施設かさえ想像できません(苦笑)。
そんな最先端の建物も見られる広場から賑やかさが続く通り(写真2枚目)に入ると、そこはすでにデュッセルドルフの伝統的な中心エリアの旧市街です。
近世ドイツを代表する詩人のハインリヒ・ハイネの生家をリノベーションした書店(写真)も残る旧市街もまた、
ライン川に近い広場には巨大な観覧車が煌々と煌めき、その足元にはクリスマスマーケットの出店が並ぶ11月下旬以来の光景が続いていました。
そしてライン東岸には多くの観光船が停泊する風景を見ることができますが、その先の水面は暗かったことから、そんなにナイトクルーズは盛んではないようです。
さらに、このデュッセルドルフ旧市街のクリスマスマーケットの中核を成すのが、
市庁舎も面するマルクト広場であり、そこはマルクト=マーケットの語をそのまま体現しているかのように多くの店が並び、特に多くの人々が行き交っていました。
騎馬像(写真2枚目)やクリスマスツリー(同3枚目)などが手狭な広場に凝縮された模様は、その中を歩くとより楽しい思い出になった次第です。
以上、デュッセルドルフ中央駅から旧市街に至る見どころを巡った後は、ユニクロ(写真3枚目)も入る新市街の商業施設のフードコートを訪ね、
ドイツとオーストリアの共通かつ代表的な郷土料理の1つであるシュニッツェルを夕食にいただきました。
肉はカラっと揚がってサクサク食感、加えてフライドポテトも美味しくご当地グルメに舌鼓を打ちますが、旅行2日目にしてすでに昼・夜とこれだけポテトを食べると、旅行全体で何回食べるか想像ができませんでした(苦笑)。
夕食後、中央駅には往路と同じく新市街とインマーマン通りを通って戻ります。その際、インマーマン通りでは往路と反対の北側の歩道を使ったのですが、
歩道沿いには串焼き、とんかつ、鉄板料理に北海道グルメと多種多彩な日本語表記の日本料理店が並んでおり、
特にラーメンの「麺屋武一」さんは、私の通勤経路や出向先のオフィスの近くでも見かける店なので、この瞬間だけ東京に帰った気分になれました(苦笑)。
そんな日本企業が多く進出する街らしさを最後に改めて感じつつ、そのままデュッセルドルフを出発。
午後8時過ぎにはケルンに戻り、中央駅を出ると、
正面のほのかにライトアップされたケルン大聖堂を、もうこの立地に驚くこともなく仰ぎ見ます。
ド派手なライトアップでなくとも、その存在感と重厚な装飾を味わうには十分と感じた一方、
ケルン中央駅は逆に派手過ぎると思う観光客は、たぶん私だけではない気がします(苦笑)。
この後は、ホテルに戻るのではなく駅の東に向かい、ライン川に架かるホーエンツォレルン橋を渡ります。
ライン西岸のケルンの中心街と、東岸の展示場が並ぶメッセエリアを結ぶこの橋は、案の定フェンスに愛を誓う錠前(写真4枚目)が無数に付けられており、これだけ愛が重いとやや圧迫感がありました(苦笑)。
そしてこの橋はドイツ鉄道と共用(写真1枚目)のため、実は昨夜からすでに1.5往復しているのですが、じっくり橋上からの景色(同3枚目)を楽しむのは初めてです。
そして高級ホテルや展望台(トリアングルパロラマ)付の抗高層ビルも建つライン東岸からは、
手前にライン川とホーエンツォレルン橋、奥に大聖堂を望むケルンを代表する夜景が広がっていました。
ケルン大聖堂と中央駅が間近な上、大聖堂自体があまりに巨大なので、大聖堂の全体像を眺めるにはこれくらいの距離感がちょうどよく、またドイツを象徴する河川であるライン川を望むのもなお良しです。
こうしてケルンのシンボルである大聖堂を、橋を渡って戻る途中もじっくり堪能し、ケルン・アーヘン・デュッセルドルフの3都市を巡った2日目を終えたのでした。
3日目は午前8時前にホテルを出発し、この2日間何度も出入りしたケルン中央駅からICEに乗車。
Wi-Fiも余裕で繋がる快適な車中の約1時間で、ノルトライン・ヴェストファーレン州を出てラインラント・プファルツ州を東西に横断し、ヘッセン州最大の都市にしてドイツの金融の中枢であるフランクフルトに到着します。
写真2・3枚目のフランクフルト中央駅に降り立ったのは2018年12月にイタリア・フィレンツェ旅行の長い乗継時間に立ち寄って以来となる通算2回目で、
フランクフルト・アム・マイン国際空港の利用頻度の高さと比べて意外と縁がありませんでした。
そしてこの時は休業が多い大晦日の早朝のため、たくさんの櫛形ホームを持つ駅構内は比較的空いており、駅の鉄道模型(写真3枚目)を誰にも邪魔をされることなく、ゆっくりと眺めたのが記憶に残っています。
そんな到着後はまず、南側の出口から駅を出てすぐ先に建つ日系ホテルの東横インに入館。
日本ほど見るからに東横インだ!という外観ではありませんでしたが、看板のカラーリングと通算257店目・ドイツでは最初(かつ唯一)を示す「DE-1」のナンバリングは、日本国内と同じで親近感が湧きました(笑)。
この時はまだ早朝だったので、スーツケースを預けただけでチェックインは後回しにすると、
次に気分を盛り上げるためわざわざ中央駅の中を通り、正門的な位置付けの東口(写真2枚目)を鑑賞。
5年前と変わったのは駅舎の一部が改修中で白い幕(同2枚目左)に覆われていたことくらいで、
駅に対面するカイザー通り(写真1枚目)と併せて、ドイツ最大・欧州屈指の金融都市の玄関口らしい趣は変わらず漂っていたように思います。
なお、帝国感のある通りの名に対して意外にも和食(写真1枚目)や中華料理、トルコ料理など様々なお店が並び、建物の厳かさに対して親しみの持てる区画でした。
続いてカイザー通りを東に進むと、細長い園地と高層タワーが眼前に広がり、その中でも際立つ存在感を放つのが、
つい10年前まで欧州中央銀行(ECB)の本店が入っていた、ユーロ記号のオブジェが有名なユーロタワーです。
ECBが移転した後もなお、写真1枚目のオブジェは残され引き続きフランクフルトのシンボルとなっており、6年ぶりに眺めてもやはりインパクト抜群です。
このユーロ記号のオブジェとユーロタワー以外では、モダンな歌劇場(同2・3枚目)や、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の巨匠のシラーの像(同3・4枚目)、
展望テラス(54階)まで有料で上れるというマインタワー(写真中央右)が園地を歩く中で目を惹きましたが、
個人的には写真1・2枚目のドイツ連邦銀行のヘッセン支店のようなクラシックな建物の方が好きなので、この周辺は淡々と見て回ったように思います。
その後も園地の遊歩道を北に進むと、その一角に壮麗な建物が建つ広場が見えてきて(同4枚目)、
パリのオペラ・ガルニエをモチーフにした後期イタリア・ルネッサンス風のアルテ・オペラの重厚・壮麗な佇まいをしばし立ち止まって眺めました。
残念ながらオリジナルは第二次世界大戦中の空爆で破壊されたものの、戦後に市民の献金などにより再興され、今もクラシックやバレエの公演などフランクフルトを代表する芸術の殿堂の1つとなっているそうです。
この後はアルテ・オペラからフランクフルト生まれの国民的詩人の名を冠したゲーテ通り(写真2枚目)に入り、
私たちのような貧困層には縁のない高級ブランドが並ぶ模様を、まだ開店前のため人影がまばらな中で、ゆっくりと闊歩して東のゲーテ広場(写真3枚目)に出ます。
広場沿いは古めかしい建物、それを囲むように高層ビルが林立する中に設けられた大きな広場の中央には、
その名のとおりゲーテの像が立っていました。
ドイツ人は本当にゲーテ・シラーが好きだなあと思うと同時に、日本だとあまり文豪や思想家の名前を冠した場所を見かけないなあとふと思案した次第です。
それだけ、日本はドイツと比べて一般庶民と文人との間に距離があるということなのでしょうかね(適当)。
さて、これからフランクフルトの市内散策はハイライトの旧市街に入っていくところですが、記事の容量と構成の都合から今回はここまでとします。
次回は3日目午前中のフランクフルト市内散策に加え、昼食を挟んで午後の大聖堂の街・マインツ散策の途中まで、可能な範囲でじっくりと進めていくつもりです。
ではでは。