こんばんは。
先週、東京都の小池知事が台湾を訪問したことを巡り、中国外務省が批判を行いこれに小池知事が反論する、という奇妙な泥仕合がありました。
東京都と北京市が友好都市の関係にあるにもかかわらず、台湾に二股をかける小池知事の醜悪な姿勢に中国が批判するのは尤もなことですし、本来であれば小池知事は少なくとも中国の都市経由で訪台すべきだったと思います。
ただ、結局は教養も政治的思想も中長期的な視座もない、国政とは無縁の一地方自治体と小物政治家の浅慮に過ぎないので、中国政府も過剰反応の感は否めません。
今や米国に次ぐ世界第二位の大国なのですから、中国にはアジアの盟主としてどっしり構えてほしいものです。
12月30日(土曜日)
アーヘン②・デュッセルドルフ①
さて、本題の年末年始のドイツ周遊旅行記は2日目の午後のアーヘン大聖堂の入場観光から再開します。
見上げれば写真1枚目の尖塔、見回せば大聖堂の立体模型(同2枚目)が目に入る正面入口から大聖堂に入ると、
その先は真っ白な壁の前室となっており、1000年頃の作とされる松ぼっくり(写真2枚目)やA.D.2世紀又はそれ以前に造られた雌狼(同3枚目)の像、
1400年以前のアラバスター製の聖母像など古代~中世の彫像が何気なく飾られていました。
そして、前室の奥のガラスのドアを開けた先には、
カール大帝が君臨したカロリング朝時代の建築に見られるアーチ形のホールと金の装飾が眩しい回廊が広がり、
八角形の天井ドームもまた金に彩られていました。
この点、中世以降の教会・大聖堂と比べると精緻な漆喰ではなく金と古代風の絵が目立つのは、古代ローマの教会の影響が強く感じられますし、
祭壇(写真2枚目)も1020年頃の作ながら、洗練されたデザインというより見た目の豪華さを重んじるかのようです。
とはいっても、ローマ帝国の分裂から400年余りが経過したカロリング朝にあって、古代と変化がなかったなどということは全くなく、14世紀になって新たに据えられた「アーヘンの聖女」像(同3枚目)のように、
936年~1531年の約600年に渡って歴代の神聖ローマ帝国の戴冠式が行われた「皇帝の大聖堂」として、後世の意匠が強く現れた歴史的遺産も数多く見られます。
そんな大聖堂の格式と趣が最も現れているのが、写真手前の黄金の祭壇の奥に設けられた、
「ガラスの礼拝堂」と称えられる豪華な後期ゴシック様式のコーラス席だった空間です。
神秘的かつ美しい約25mの高さのステンドグラスで彩られたこの礼拝堂は、金のマドンナのレリーフ(写真4枚目)が中央に吊り下げられているほか、
1200年代前半の作と伝わる聖母マリアの祠(写真1枚目)やカール大帝の遺骨の一部が納められているカール大帝の祠(同2枚目。1182~1215年の作)など、いずれも金にまばゆく輝く豪華絢爛ぶりです。
ちなみに、ガラスの礼拝堂にはガイドツアーでしか入場できず、一般の参拝者は手前で奥を眺めるだけでしたが、
その方がむしろ礼拝堂の全体像をじっくり鑑賞できたので、特に物足りなさを感じることはありませんでした。
また、アーヘン大聖堂には6つのチャペルが中央のドームに面して設けられていますが、そちらはほどんどが非公開で、数少ない入場可能なチャペル(写真3枚目)も、
ガラスの礼拝堂ほど印象に残ることはなかったです。
あと、ガイドツアー限定でカール大帝の玉座が納められた小部屋にも入場できるそうですが、写真で見た感じまあいいやと思ったので(失礼)、それも割愛しました。
そんなカール大帝と神聖ローマ帝国との縁の深い大聖堂を拝観した後は、併設する宝物館に入場。
中庭から尖塔とドーム(写真2・3枚目)を見上げ、ドイツ国内どころか世界遺産として最初に1978年に登録された12件の1つという歴史の重みを体感しつつ、
後期古典主義からカロリング朝、神聖ローマ帝国の各時代に跨るアーヘン大聖堂の至宝群をじっくりと鑑賞します。
そして、この宝物館は3フロアで構成されており、
まず入口のある1階には、この宝物館のハイライトであるカール大帝の遺産が所狭しと並んでいました。
例えばカール大帝の狩猟用の角笛(写真3枚目)や懐剣(同4枚目)、さらに特に目を惹くものとして、
カール大帝の右腕の骨が納められている「黄金の手」が堂々とその煌びやかな姿を示しており、
正面の窓から骨らしきものが見える(写真1枚目)のは、人によっては気味悪く感じるかもしれません。
他にも煌びやかに金に輝く展示品としては、細やかに仕上げられたチャペルのミニチュア(写真1・2枚目)や聖母マリア像(同3枚目)、
小さな像や聖具(写真1・2枚目)、翼を広げた鷹を冠するカントール(聖歌隊の指揮者)の錫杖(同3・4枚目)などを見ることができます。
こうした数々の至宝の中でも、黄金の手と並ぶカール大帝所縁の歴史的遺産のハイライトが、
巨大なカール大帝の黄金の胸像です。
現在のフランス・ドイツ・イタリアのルーツの1つであるフランク王国の全盛を築いた英主を称えるこの像は、
首元のケープには様々な色の貴石が飾られるとともに、それが横・背に至るまで全く手を抜くことがない点において、カール大帝に対する敬意が窺えます。
また、頭上の帝冠にも煌びやかな貴石がちりばめられており、この胸像に使われた貴石が一体どのくらいの数か、またその現在の価値を全く想像できないくらいでした。
他にも皇帝の戴冠式に用いられたロタールの十字架(写真)のような伝説レベルの宝物や、
神秘的な中世の宗教画・聖具がいくつも存在し、
西欧最古級の皇帝の大聖堂としてのアーヘン大聖堂の司教座としての格式の高さが見て取れます。そんな宗教界における格式の高さは、主に地下1階の展示において、
大司教のローブや金貼りの聖人の絵(写真1・2枚目)などの豪華絢爛ぶりが象徴していました。
個人的には、その中でも貴石が施された聖書のカバー(写真2枚目)が正直そこにも装飾するかと、感心や驚きを超えてある種の呆れすら感じます。
最後に2階は企画展示となっていましたが、
貴重な展示品に慣れたのか、豪華な帝冠(写真1・2枚目)くらいしか目を惹かれることはなく、
淡々と美しい装飾品や聖具を見て回り、
こじんまりとした中に歴史的遺産が数えきれないほど集まる宝物館を後にした次第です。
ちなみにこちらは館内にあった中世ドイツの地図ですが、アーヘンやケルンの名がすでに見られる一方で、ベルリンやデュッセルドルフの記載がないのは、それぞれの街の歴史の古さがよく現れているように感じました。
こうしてアーヘン大聖堂と宝物館を時間をかけて巡ったところで、この後は中央駅に戻る道すがら、まずは、
カール大帝の居館に起源を持つアーヘン市庁舎の外観を鑑賞しました。
その市庁舎というよりお城のような佇まいは、一時期を除き中世を通じて神聖ローマ帝国の首都だったアーヘンの名残が漂っていたように思います。
その後も寒い冬空の下でも人々が集まる広場(写真1枚目)や新しいガラス張りの建物群(同2枚目)、
中世のアーヘンの城門の遺構などに立ち寄りながら、
パレスチナを支持する反社会集団(写真1枚目右・2枚目)が集まるアーヘン中央駅前に戻ってきました。
ただでさえテロ支援の誹りを免れないのに加え、日本と違いドイツ連邦政府は明確にイスラエルを支持しているので、よくこんな行動をとるなあと呆れる次第です。
また、話は全く変わりますがアーヘン中央駅の駅舎のキオスクの書籍コーナーには日本のマンガが割とスペースをとって並べられており、その中で「かぐや様は告らせたい」をやたら推していたのが気になりますね…(笑)。
そしてホームでは、ドイツ最西端の街らしくベルギー(リエージュ・ブリュッセル)行の国際列車も走る中、往路と同じくICEに乗っての快適な鉄道の旅を経て、
夕暮れ前にはケルンに戻ります。
ただ、ケルン大聖堂(写真3枚目)に入れない以上は中央駅周辺に長居する用事もないので、
若干の乗継時間を挟んで再び鉄道に乗って今度は北上し、前日に空港に降り立ったデュッセルドルフに移動。
中央駅の駅舎を出た頃には外はすっかり暗くなりましたが、まだまだ駅前から大通り、さらにその沿線の商業施設の人の賑わいは途絶えることはありません。
私にとってデュッセルドルフは、空港の利用は今回が2回目ですが街を訪れるのは今回が初めてで、
ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都にしてドイツ有数の商工業都市だけに中央駅前から高層ビルが並ぶいかにも大都会といった趣です。
また、デュッセルドルフは中学の社会科でも習うルール工業地帯の交通の要所であることから、製造業・商社を中心に多くの日系企業の欧州拠点が設けられており、在留邦人の数はロンドン・パリに次ぐ欧州第3位を占めます。
(総務省 - 当省ホームページについて, CC 表示 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=143430011による)
ちなみに元乃木坂46の生田絵梨花さんはデュッセルドルフ出身で、生田さん一家のような在留邦人数は2023年10月現在で6,684人だそうです。
そんな在留邦人の多い街だけに、中央駅前から街の中心に向かって西に伸びるインマーマン通りには、
日本の書籍や食材、また日本食のお店が軒を連ねており、リトル・トーキョーの様相を呈しています。
そして、往路に通った南側に面する店はやたらと書籍店が多く、中でもアーヘン中央駅のキオスクでも見た日本のマンガに関しては専門店まであり(写真2枚目)、
中はまるで日本のアニメショップかと見紛うほどでした。
さて、この後はインマーマン通りを進みデュッセルドルフの新旧の中心街に入っていくところですが、記事の容量の都合から今回はここまでとします。
次回は夜のデュッセルドルフとケルンのハイライトを紹介してようやく2日目が終わり(苦笑)、2023年最後の日となる3日目(12月31日)に入る予定です。
ではでは。