おはようございます(現地時間)。
9泊11日のドイツ周遊旅行は、ついに今日で実質的な最終日となり、この後はランスを観光してからシャルルドゴール空港に移動し、帰国の途に就く予定です。
久しぶりの10日を超える長旅でしたが、最終的にはフランスでナンシーの観光を見送った以外は、ほぼ予定どおりの充実した行程を実現できました。
ただまあ、観光を優先してかなり食事をなおざりにしたのは次回(GW)への反省点として、その辺に詳しい相棒に計画時に入念に相談しようと思います(汗)。
いずれにせよ無事帰宅するまでが旅なので、最後まで気を抜かず旅を満喫するつもりです。
【プロイセンのもう一つの王宮の街】
さて、本題のドイツ周遊旅行ダイジェストは8日目の朝、この日もホテルの朝食(写真1枚目)をしっかりといただいてから、Sバーンで隣街のポツダムに移動。
天気予報でもこの日が一番寒いと聞いてはいましたが、
しっかりと雪まで積もる極寒の銀世界でした(汗)。
そんな中、まずは駅から走るトラムやバスを乗り降りしつつ、2014年に再建された市王宮(写真3枚目中央。現州議会)が建つアルター・マルクト広場や、
旧市街の城壁の門だったナウエン門(写真1枚目)、周囲と異なる特徴的な屋根のオランダ人地区(同2枚目)、さらにベルリンと比べると地味なブランデンブルク門(同4枚目)といった旧市街の見どころを散策します。
そして、約300haの広大な敷地を持つサンスーシ公園に入ると、
特徴的な公園の施設群(写真1枚目:増設した来客用施設のノイエ・カマーン、同2枚目:風車)を見て回りつつ、
公園のハイライトであるサンスーシ宮殿に入場。
サンスーシとはフランス語で「憂いがない」を意味することから、この宮殿は「無憂宮」とも表記します。
この宮殿は、プロイセンのフリードリヒ2世(大王)が夏の宮殿として1745~1747年に建てたもので、後に彼の死まで通年の居城となりました。
国王であると同時に優れた文化人でもあったフリードリヒ2世は、ベルリンから離れたこの地に「憂いのない自らの理想の宮殿と庭園」を設けるため、対外戦争中にもかかわらず多くの人と財力を投入しています。
そんな庭園と宮殿ですが、肝心の宮殿の内部は、
計12部屋余りと王の離宮としてはコンパクトながら、大理石の正面広間(写真1枚目)や、フリードリヒ大王がフルート演奏を楽しんだ音楽の間(同3枚目)、
落ち着きのあるゲストルーム(写真1・2枚目)、鮮烈な印象を受けるシノワズリ(中国趣味)の間(同3枚目)などどの部屋も見応えがありました。
また次の新宮殿と異なり、音声ガイド機を持って自由に散策できるので、時間のない方にもお勧めです。
続いて訪れたのは、オランジュリー(写真1枚目)の手前で坂を下り、メインストリートを西に進んだ先に建つ、
遠近感のためいつまで歩いても辿り着かない感のあった、フリードリヒ大王が七年戦争(1756~1763年)の勝利を記念して建てさせた迎賓館の新宮殿です。
サンスーシ宮殿と比べると、約200もの部屋があり重厚な外観のこの宮殿の内部は、
有名な貝殻で装飾された「洞窟の間」をはじめ、
豪華絢爛な広間や居室が続き、当時のプロイセンと王室(ホーエンツォレルン家)の繁栄が見て取れます。
とりわけ、赤と緑のダマスク織(写真1・2枚目)の壁紙はその模様も含めて大変素晴らしく、金銀や壮麗の調度品に負けないくらいでした。
そんな豪華さと権威をともに備える迎賓館は、20世紀初頭には皇帝ヴィルヘルム2世一家が夏の離宮として過ごし、第一次世界大戦末期の1918年11月には、皇后が夫を追ってこの宮殿を後にしています。
これにより、ドイツ帝国は完全に終焉を迎えたのであり、ポツダムはプロイセンの興隆と終焉の両方を見送り、今はその王家が築いた宮殿と庭園が残されたのです。
【日本の運命を決定付けた会議の舞台】
こうしてポツダムの2つの豪華な宮殿と広大な庭園を散策した後は、バスを旧市街経由で乗り継いで、
フリードリヒ大王を継いだフリードリヒ・ヴィルヘルム2世が整備した新庭園の中に、最後の皇帝ヴィルヘルム2世が皇太子夫妻の住まいとして1913年に設けた、
ツェツィーリエンホーフ宮殿です。
一見、宮殿というより別荘のように見えるこの建物には、
宮殿の始まり(写真1枚目)や、外観と異なり豪華な皇太子妃ツェツィーリエが好んだ船室風の白亜の居室など、ホーエンツォレルン家末期の暮らしが見られます。
ただ、この宮殿の誰もが知るもう1つのポイントが、
第二次世界大戦末期の1945年7月末~8月初にかけて、大日本帝国の戦後処理を巡って米英ソの3国が協議・合意を行ったポツダム会議の舞台となった点です。
写真の会議場では、トルーマン・スターリン・チャーチルの3巨頭や3国の外相・軍首脳が連日会議を重ね、ポツダム宣言やソ連の対日参戦などが合意されました。
また、この会議場以外にも宮殿内には、
3国の首脳以下の控室(写真順にソ連・英国・米国)や、白いサロンの間(同4枚目)、
ソ連がこの会議のホストだったことを示す中庭の赤い星の模様など、歴史的舞台としての見どころが豊富で、その俎上に乗せられた日本人の末裔としては、戦争末期の歴史を知る上でぜひ訪れるべき場所といえるでしょう。
ちなみに、写真2枚目は米英ソの3巨頭が記念撮影を行った際に使った椅子で、同3枚目の現物と思うと激動の歴史を現す遺産として大変面白かったです。
この後は、新公園の北端からバスに乗って市庁舎(写真3枚目)などを経由して、
ポツダム中央駅に戻ります。
そして、遅めの昼食としてチーズバーガーセット(写真3枚目)を食べてから、
往路と同じくSバーンに乗ってベルリン市内に戻り、
最後に旧東ドイツの秘密警察・諜報機関だったシュタージの本庁舎を博物館にしたシュタージ博物館の外観を鑑賞し、その無機質な姿に共産主義時代の名残を実感。
雪のポツダムを歩いて疲労困憊だったこともあり、これで3日間に跨ぐベルリン市内散策を終えたのでした。
そして9日目は、早朝4時前にはホテルを出てSバーンに乗りベルリン・ブランデンブルク国際空港に移動します。
幾度もの延期を経て、2020年10月31日に市内の3空港を統合して開業したこの空港では、
セルフチェックインから受託手荷物の預託、手荷物検査と非常にスムーズな動線が設けられており、建物内は広いものの全く迷うことはありませんでした。
その上で、プライオリティパスで23ユーロ分まで利用できる搭乗口近くのカフェでゆっくり朝食をとってから、
エールフランス航空の運行する便に搭乗し、8日ぶりにフランス・パリのシャルルドゴール国際空港に戻ってきました。
さてこの後、出国までパリで1泊してフランスを少し観光するのですが、今回はここまでとします。
次回はそのフランスでの2件の小旅行を紹介し、このドイツ周遊旅行ダイジェストを締め括る予定です。
ではでは。