こんにちは(現地時間)。
昨年のGWの旅行中、ヨーロッパではYahoo! JAPAN関連サービスのほとんどが利用できない点に触れましたが、そうなると日本の情報を気軽に得る手段が限られます。
そのため、X(旧Twitter)を見ていると案の定、今回の能登半島地震及び羽田空港航空機事故のデマや曲解、便乗した自己主張が満ち溢れており、まさに掃き溜めです。
とりわけ、避難所へのクレームや生理用品を強請るフェミさんの暴言は聞くに堪えず、海外からこうした記事を見ると震災被害自体が大したことのないように思えました。
まあ、見るSNSが悪いのは事実なので、帰国後に備えて信頼できる情報を収集しようと思いました。
【開発が進むかつての東西の境目】
さて、本題のドイツ周遊旅行ダイジェストは7日目に入り、まずはベルリンのホテルで久しぶりにビュッフェ形式の朝食(写真3・4枚目)をいただきます。
ここまでホテル予約で朝食は付けませんでしたが、旅の疲れも溜まってきている中、カフェを早朝に探す手間を考えると好判断でした。
そして午前9時過ぎ、小雨が降ったり止んだりする嫌な天気の中でベルリン終日市内観光を開始。
まずは、かつて東西ベルリンの境界にあったことから開発が遅れ、統一後の1990~2000年代にかけて高層ビル群の建築が進んだポツダム広場を訪れます。
日本人的にはソニーの欧州拠点だったソニーセンター(写真2枚目。現在は売却済)に縁を感じつつ、
美術館などの文化フォーラム(写真1~3枚目)や各国の大使館(同4枚目=エジプト大使館)などの公共施設が建ち並ぶ区画まで徒歩で向かい、
最初に入ったのはドイツ抵抗運動記念館の中庭でした。
内部は見学しませんでしたが、この「ベンドラーブロック」と呼ばれる場所にはかつてナチス・ドイツ陸軍の最高司令部が置かれ、1944年の陸軍将校によるヒトラー暗殺未遂事件の首謀者らがこの中庭で銃殺されました。
正義感か自己保身か、動機はさておき暗澹たるナチス独裁に抵抗しようとした将校たちの勇気は称えるべきであり、今もこうして記念碑が設けられています。
次に訪れたのは、文化フォーラムの中核を占める、13~18世紀のヨーロッパの傑作を展示する絵画館です。
展示室は1フロアのみのため、世界の他の著名な美術館や博物館島と比べ、一周しても時間はそこまでかからず、
目玉のフェルメールの2作品(写真の順に「真珠の首飾りの女」「紳士とワインを飲む女」や、
ラファエロ、ボッティチェリ(写真順)といった誰もが知る芸術家たちの作品群を鑑賞できました。
ちなみに、冬のオープン直後というのもあってか館内は大変空いていて、誰にも邪魔されることなくフェルメールの2作品をじっくり鑑賞できたのは、日本で開催される特別展等ではおよそあり得ないと思います。
この後は、ポツダム広場駅前のショッピングモール「モール・オブ・ベルリン」にて、この旅では2回目となる、ベルリンが本場のカリーヴルストを賞味。
フランクフルト中央駅で食べたものよりほどよい辛さで、ソーセージ・ポテトとも美味しかったです。
【都心の大公園と西ベルリンの繁華街】
午後の初めは、かつて王室の狩猟場だった総面積210ヘクタールの公園「ティーアガルテン」を訪れます。
1860~1870年代にプロイセンが勝利した3つの戦争(デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争)の勝利を記念して、ドイツ帝国が建てた戦勝記念塔(写真2・3枚目)がそのシンボルとなっており、
ドイツ帝国が滅びて久しい今も、塔の頂上の勝利の女神ヴィクトリア(写真1・2枚目)は煌々と輝き、またその周囲には鉄血宰相ビスマルク(同3枚目)以下、ドイツ帝国の成立に寄与した軍人の像が並んでいました。
ちなみに、ティーアガルテンの北側には瀟洒な外観のベルビュー宮殿が建っていますが、こちらは現在、大統領官邸となっているため周辺の警備は厳しかったです。
そのためくれぐれも、「インシュアラー!」と叫んで入口に近づくことなどないよう注意ください(暴言)。
次に、ティーアガルテン駅の隣、西ベルリンの玄関口だったツォー駅(写真1枚目。隣接するベルリン動物園(ZOO)に由来。)に移動します。
大規模商業施設(写真3枚目)が大通り沿いに並ぶこのエリアの目当ては、ショッピングではなく、
1888年に崩御した皇帝ヴィルヘルム1世のため、19世紀末に創建されたカイザー・ヴィルヘルム記念教会でした。
ネオ・ロマネスク様式で建てられたこの聖堂は、1943年の連合軍による空襲のため、
塔の部分を残して破壊されたものの、戦後、戦争の悲惨さを伝えるモニュメントとして保存されています。
そんな経緯から、塔の部分は煌びやかに修復されつつもこじんまりとした造りとなっていて、やや窮屈な一方、
戦後、塔の隣に建てられた新記念教会は、外観こそ無骨で教会とはとても思えないですが(苦笑)、
内部は2万枚を超えるブルーのステンドグラスが360°を囲む幻想的な光景が広がっていたのには、驚きと感嘆を抱かずにはいられませんでした。
前日の首相府もそうですが、歴史的建築の近くに現代アートを積極的に取り入れ、それが新たな観光スポットとなっている点は非常に素晴らしいと思います。
【ベルリンの壁の面影を訪ねて】
続いて、ベルリンといえば「ベルリンの壁」ということで、市内の「壁」所縁の場所を巡りました。
まず、フリードリヒシュトラッセ駅前に建つこの青いガラス張りの建物は、東西の分断時代に東から西に戻る際の検問所だった施設を復元したもので、家族や友人が涙を流して見送ることから「涙の宮殿」と呼ばれています。
今は分断時代のエピソード等を紹介する博物館となっていますが、このフリードリヒシュトラッセ駅が東西の境目だった歴史を如実に感じました。
次に「壁」の検問所として最も有名で、近くには博物館などもあるチェックポイント・チャーリーです。
写真のとおり、東西の警備兵の写真が相互に掲げられ、
その傍らには英・露・独の3言語で注意書き(写真2枚目)が建てられているこの場所は、今では「壁」の定番の観光名所となっています。
あと、この近くの旧東ベルリン側エリアには、
在独朝鮮民主主義人民共和国大使館が建っており、その無機質さとやたら大きな敷地・建物に驚かされました。
また、このチャーリーズ・チェックポイントからポツダム広場に至る一帯は、一部に連邦財務省・情報通信博物館(写真1・2枚目)のような近代建築も見られるものの、東ドイツ時代の車の展示施設(同3枚目)、
今や希少となった「壁」の実物を間近に見ることができるなど、どこか分断時代の重々しさを感じてしまいます。
さらに、この壁の南側にはナチス・ドイツのゲシュタポ(秘密警察)本部があったことから、現在、その遺構沿いはナチスの圧政やユダヤ人らの虐殺等に関する屋外展示施設となっており(テロのトポグラフィー)、
じっくり鑑賞していると、外の寒さもあって心まで寒くなってしまうところです。
どうしてもドイツの近現代はナチスと切っても切れないのは仕方ないところですが、
個人的には、それはそれで過去の悲劇として学びつつ、市内に点在する魅力的な近代建築、さらに既述の現代建築を見て回るのもベルリンを知る上で重要だと思います。
ちなみに、ポツダム広場の近くには「壁」の監視塔が当時のまま残っているのですが、残念ながら修復中とのことで(写真4枚目)、実物は見られませんでした。
それにしても、今回はペルガモン博物館を筆頭に修復中に遭うことが多く、やはり感染症の影響ですかね…。
【古代と東ドイツのアンティーク】
そして日も暮れてきた頃、場所を博物館島に移してこの日は旧博物館(Altes Museum)を見学。
19世紀の建築家シンケルが手掛けた、18本の柱が整然と立ち並ぶ神殿調のこの博物館は、古代ギリシア・ローマの彫刻等のアンティークを主に展示しており、
ユリウス・カエサルとクレオパトラ7世をはじめとする古代ローマの偉人や、
神話やキリスト教をモチーフとした像が2フロアにわたって充実しています。
ちなみに、他の調度品としては統一教会並み(失礼)に豊富な壺、さらにレリーフなども見ることができますが、やや単調な感は否めません。
なお、個人的には精緻さが際立つモザイク画が、数こそ少ないもののユニークな作品(写真2枚目)もあり、見ていて最も面白かったです。
旧博物館を出た頃にはもう外は真っ暗で、営業している博物館も少なくなる中、今度は前日に外観のみ鑑賞して罵声だけ浴びせたフンボルト・フォーラムに入場。
王宮を模した外観に対し、内部は実用性を重視して現代の公共ホール(写真1枚目)のような意匠のため、あまり見ていて興味は感じませんでしたが、
中庭でクリスマスマーケットが催されるのは、王宮・共和国宮殿の両時代にはあり得ないとか、
東西統一後に「政治の透明性」と「自由意志の表明」を示すために共和国宮殿に置かれた「透明の箱」は、新たな姿となったこの場所にこそ相応しいと思うなど、随所に興味を惹く点はあったので、訪れる価値自体はありました。
なお、この透明の箱が旧東ドイツ時代に置かれていたら、別の意味で怖いものだった気がします(苦笑)。
この長いベルリン市内観光の1日の締めは、中央駅の中のご当地カフェでスイーツ分を補充した後に訪れた、
シュプレー川の河岸、大聖堂の向かいに秘密結社のように怪しく佇むDDR博物館でした。
DDR(Deutsche Demokratische Republik)、すなわち旧東ドイツの生活や文化等を紹介するこの博物館は、営業時間が午後9時までとやたら長く、
内部の展示も思った以上に充実しているので、ネタではなくノスタルジーを感じたり社会主義時代の暮らしを知る意味では、かなり有意義な博物館だと思います。
東西分断の歴史紹介や、所謂「共産趣味」の方にはうってつけの展示品は非常に豊富ですし、
かと思えば真面目に当時の東ベルリンの住宅を再現(写真1・2枚目)していたりと、
(写真3枚目のおもちゃは懐かしいですね。)
政治的色彩を含め想像以上に楽しめました。
ちなみに、こんな色モノの博物館ですが営業時間の長さと立地の良さもあってか、午後7時過ぎでも結構賑わっており、ちゃんと市民権を得た施設なんだと思う次第です。
以上、DDR博物館を鑑賞した後は、疲れた足で市役所通りを進み、マリエン教会や赤い市庁舎のライトアップを眺めつつ、ホテルへの帰途に就いたのでした。
なお、ちょうど今朝フランス・パリに戻ってきたところで、まだ8日目の分がまるごと残っていますが、順次可能な範囲で掲載を進めていく予定です。
ではでは。