こんばんは(現地時間)。

そして明けましておめでとうございます。月並みな表現で恐縮ですが、読者の皆様におかれましては、本年もご愛顧のほどよろしくお願いいたします

 

ドイツ周遊旅行も4日目、日本の話題に疎くなっているところですが、日本では新年早々に能登半島地震で大きな被害が出ているようで、早期の収束を願うばかりです。

 

2024年はまだ始まったばかりですが、個人的にはこれ以上の天災がなく、平凡な日常と適度な刺激の両方がバランスよく混在する1年であってほしいと思います。

 

 

【日本人も縁の深い大商業都市】

 

さて、本題のドイツ周遊旅行ダイジェストは、2日目の行程で唯一紹介していないデュッセルドルフから再開したいと思います。

 

デュッセルドルフは、ケルンも属するノルトライン・ヴェストファーレン州の州都であり、人口62万人を数えるルール工業地帯の中心都市です。

 

 

そのため、ケルンと比べて人口が少なく歴史も浅い都市でありながら、多くの日系企業が欧州拠点を置いており、とりわけ駅前から続くインマーマン通りは、

 

 

 

日本食品のスーパーや書店、和食レストランなどが軒を連ねる「Little Tokyo」の様相を呈しています。

 

 

 

このインマーマン通り沿いのお店を見て回るだけでも結構面白いのですが(写真4枚目の麺屋武一は通勤途中で見かけますね…(笑))、

 

商業施設やオフィスビルが並ぶ商業都市としての姿、

 

 

 

さらに新旧の両市街に跨るクリスマスマーケットの賑わいもまた、ヨーロッパらしくて良いと思いました。

そして、クリスマスマーケットの中心となるのが、

 

市庁舎(写真1枚目)が面し、神聖ローマ帝国皇帝の選挙権を持っていたプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム2世の騎馬像(同2枚目)が建つマルクト広場であり、

 

 

少々時期は過ぎてしまいましたが、クリスマスの雰囲気を楽しめたのもいい思い出です。

 

 

 

他にも近代の詩人ハイネの生家(写真1枚目)やライン川沿岸(同2枚目)を鑑賞後、商業施設のフードコートで伝統料理のヴィーナーシュニッツェル(同4枚目)を賞味

 

この街だったら確かに、日本人も不便なく暮らせるなと思いつつ、ケルンへの帰途に就いたのでした。

 

 

【小雨の中でフランクフルト散策】

 

 

続いて2023年の大晦日の3日目は、早朝に2泊したホテルを出発すると、ケルン中央駅からICEに約1時間乗り、

 

5年ぶりとなるフランクフルト中央駅に到着。

空港への往来と私のように鉄道旅行を楽しむ人が両方利用する交通の要衝だけあって、混雑は相変わらずです。

 

 

到着後は、まず駅の南口からすぐ近くの東横イン(日本ではお馴染みのホテルチェーンですが、欧州にも2店舗を展開)にスーツケースを預けてから、

 

ぶらぶらフランクフルト市内を散策しました。この時には、

ユーロマークでお馴染みのユーロタワーや、

 

 

神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式後の祝宴も行われた旧市庁舎(写真1枚目)が建つレーマー広場

 

 

同じく16世紀後半~18世紀末まで皇帝の戴冠式が行われた大聖堂などの主だった名所は、5年前に訪れてはいたものの、日中と夜ではまた印象が違いますし、

 

 

 

今回初めて巡った詩人ゲーテの銅像と生家、彼所縁の教会(写真1~3枚目)を見て回る中で、フランクフルトの人々のゲーテへの愛着を感じました。

 

他にもアルテ・オペラ(同4枚目)などの興味深い建物もありましたが、大晦日ということでどの博物館も休館だったので、早々に市内散策を終えた次第です。

 

 

ちなみに、大聖堂は入場はできましたがミサ中だったため、遠目に眺めるに留まりました。いつでも行ける街とはいえ、今回・前回とも間が悪いなあと思いますね…。

 

間が悪いといえば、3日目の午前中は小雨が降ったり止んだりだったものの、傘をさすのはアジア系の人くらいだった点に生活様式の違いを感じました。

 

 

【格式と歴史を備えた宗教都市】

 

 

そんなフランクフルト市内散策の後は、大晦日でほとんどレストランは休業していたこともあり、昼食には駅のフードコートでカリーヴルスト(写真2枚目)を賞味。

 

前日からフライドポテトばかり食べている気がするのは、ドイツ旅行の宿命として(笑)、

 

 

 

続いてはICEで約30分とフランクフルトの近郊ながら、同じヘッセン州ではなくラインラント・プファルツ州の州都であるマインツに移動します。

 

マインツ(Maintz)は、英語でよく似た発音の地雷も鉱山も全く関係なく(mines)、ライン川とマイン川の合流点に開けた街で、古くから交易で栄え

 

 

近世には活版印刷を発明したヨハネス・グーデンベルク(写真2枚目はグーデンベルク広場に建つ像。)を輩出したことでも知られています。

 

 

そんな歴史から、街の中心部は昔ながらの伝統的な建物が建ち並ぶ趣となっていますが、マインツ中央駅からトラムで向かう途中の観光名所として必見なのが、

 

後述の大聖堂と同じ10世紀末の起工で、第二次世界大戦後に復元されたザンクト・シュテファン教会です。

 

その外観は、色合いこそ可愛らしいもののどこの街でも見られるシンプルなものですが、

 

内部の一面が青に染まった光景は一種独特の美しさがあり、装飾自体は少ないものの大変見応えがありました。

 

 

 

また、その青の世界を作り出すステンドグラスが、あのマルク・シャガールが手掛けたものであり、全体の青の世界と同時に彼の絵画として1つ1つの窓を眺めるのも、また一興だといえるでしょう。

 

 

さらに、マインツの街の中心にまるで中世の城郭のように建つ重厚なロマネスク建築が、マインツの富と宗教都市の権威を象徴するマインツ大聖堂です。

 

975年に時の大司教ヴィリゲスが起工したこの大聖堂は、世俗の王侯貴族の権力を上回ることを誇示し、

 

壁面や柱、ステンドグラスの装飾などは全体に地味であるものの、その巨大さには圧倒されるばかりで、

 

 

ともに独自の内陣を備える左右の側廊だけで下手な教会の身廊より大きく、マインツ大司教が12世紀以降に神聖ローマ帝国の選挙権を持つ7人の選帝侯の首座(帝国大書記官長)を務めたことも納得してしまいます。

 

 

 

加えて、その内庭回廊もシンメトリックの美しい造りで、ぐるっと回って余すところなく眺めたくなりますし、

 

 

 

ケルンと比べると観光的な知名度は低いものの、同じ選帝侯にしてドイツ三大大聖堂の一角(残る1つはザールラント州のトリーア大聖堂)を占めるこの大聖堂は、フランクフルトからの半日日帰り旅行にとてもお勧めです。

 

 

【最後の大公が遺した芸術家村】

 

 

この後は、フランクフルトまでいったん戻ってから、今度はヘッセン州の州都ヴィースバーデンまで南下するICEに約15分乗り、ダルムシュタットで下車。

 

ドイツ帝国が崩壊する1918年まで、ヘッセン大公国の首都だったこの街は、第二次世界大戦の空襲によって多くの建物が失われたため、

 

 

街の中心に続く大きなライン通り(写真1枚目)が示すとおり、大規模な区画整理を経て現在の建物が再建され、かつての公都という面影はあまり感じられません

 

 

 

わずかに、ルイーゼン広場の中心に建つ初代大公のルートヴィヒ1世の記念碑(写真1・2枚目)や、現在は博物館となっている城館(同3・4枚目)に、その歴史を留めている程度のこの街ですが、

 

 

その唯一の見どころが、広場からバスで約5分(駅からだと約15分)の距離にある、19世紀末~20世紀初頭に芸術家のために造られた村「マチルダの丘」です。

 

この村は、最後の大公エルンスト・ルートヴィヒが芸術・文化支援のためドイツ各地から芸術家を招聘し、

 

 

 

当時流行したユーゲント・シュティール(フランス語でいうアール・ヌーヴォー)の一軒家を与えたことを起源としており、街はずれだったことから幸運にも戦災からも逃れ、当時の雰囲気をそのまま残しています。

 

特色ある建物はもちろん、家を囲む柵にも芸術性を感じるこの貴重な建築群は、2021年にはユネスコの世界文化遺産に登録されており、

 

 

野外博物館として見て回るだけでも楽しかったです。

 

さらに、住宅以外にコロニーの交流の場として、美術館(写真1枚目)や展覧会場(同2枚目)が設けられており、

 


 

中でも展覧会場に併設されている、大公の結婚を記念し彼の宣誓の手をモチーフにした結婚記念塔は、この芸術家村のシンボルとして親しまれているそうです。

 

また、丘の上の一角にはロシア教会も建てられていますが、これはエルンスト・ルートヴィヒが最後のロシア帝国皇后アレクサンドラの実兄(かつ英国のヴィクトリア女王の孫)だったことに由来するのかなと思いました。

 

 

【交通トラブルと花火で終わった1年】

 

 

 

以上、ダルムシュタットの街を堪能した後は、丘の下のバス停(写真1枚目)から駅に戻りますが、そこでフランクフルト行の路線の運行停止が判明(汗)。

 

 

急ぎ駅員に状況を確認して、相棒と作戦会議を行った上でまずはフランクフルトの手前(Langen)まで鉄道に乗車

 

そこから、混雑する路線バス(写真2枚目)で別の路線の駅(Mörfelden。同3枚目)まで行き、そこからフランクフルト中央駅に帰るという力業で帰還を果たしました。

 

最悪、お金の力でタクシーを使う手もあったので、帰れない不安はありませんでしたが、

 

 

それでもこの日の宿の東横インに着いた時には、一気に気が抜けてしまい、1階ロビーのツッコミどころ満載の壁画や展示(写真2・3枚目)を見てから客室に直行。

 

年越しの瞬間はのんびりと部屋で過ごしました。

ただ、街の至る所で花火が上がる様子を見て、体力も戻ったし最後のひと踏ん張りでホテルを出発

 

 

大混雑するマイン川の橋の上から、轟音とともに輝く花火を鑑賞しましたが、一般市民が自主的にやっているものとは思えない規模で(汗)、

 

 

近くで花火が飛び交う模様はある意味恐怖でもあり、適当なところで切り上げた次第です。

 

そんなこんなで最後にトラブルが続きながら、2023年も旅行3日目も終了。すでに始まった2024年の元日の模様は次回に回したいと思います。

ではでは。