こんにちは。

2023年の仕事は今日の午前、残った仕事をテレワークで片付けて無事終わったので、この後は明日からの海外旅行の前泊のため自宅を出発する予定です。

 

前泊の理由は、ロシア上空を未だ飛行できない関係で出国時間が早まっているためですが、ウクライナ戦争も日常化する中でそろそろこの運用を見直してほしいと思います。

 

しかも今回は往復エコノミーという弱者男性(笑)らしい座席なので猶更ですし、それでもANAというのは過ごしやすさの麺で救いかもしれません。

 

日本で1日を過ごすのも年内は今日で最後、プライベートもやり残すことなく旅立ちたいところです。

 

 

8月24日(木曜日) サマルカンド④

 

さて、今回はドイツ周遊旅行記予習編が思いの外早く終わったので、3週間ぶりにウズベキスタン旅行記の続きを掲載します。

 

4日目のお昼前、古都サマルカンドの中心にある街のシンボル「レギスタン広場」に建つシンメトリックが美しい3つのメドレセを巡っている途中、

 

最後のシェルドル・メドレセについて、偶像崇拝の禁忌に挑戦したファサードを紹介したところから再開。

 

 

 

こちらも壁面やムカルナスの装飾が華やかに彩られ、だいぶ見慣れてきたもののやはり見事です。

 

中庭の壁に沿って土産物店(写真3枚目)が設けられているのは他の2つのメドレセと同じですが、こちらは展示施設がほとんどないためか、

 

比較的人影が少なく、静かな中でゆっくり歩いて回ることができるのは魅力的に感じられます。

 

 

 

また、回廊の2つのドームもシンメトリックに設けられており、イスラムの優れた建築・設計技術を遺憾なく発揮しているのにも目が惹かれました。

 

 

後はファサードの脇の入口からは、誰かの墓室(詳細不明)に入ることができますが、他の2つのメドレセと比べるとファサード以外に見るべきものが少ないというのが、正直な感想といえます。

 

 

とはいえ、このレギスタン広場の美しいシンメトリックを成す上では当然に不可欠の存在ですし、

 

 

 

この後の自由時間で再度、3つのメドレセと広場を歩き回る中でも、この3つがそれぞれ特色ある姿を残していることが感じられたのがこの広場の世界遺産たる所以ですね。

 

 

こうしてレギスタン広場を余すところなく巡った後は、広場を出て周辺の建物(写真2枚目)や、この日の夜にじっくり鑑賞したイスラム・カリモフ前大統領像(同3枚目)を横目にぐるっと歩き、

 

 

 

バス乗り場からツアーバスで閑静な新市街に移動して、昼食のレストラン(写真3枚目)に入場します。

 

店内はイスラム風の意匠にどこか近未来も感じられる、建物の外観から想像できない趣でしたが、

 

 

前菜はこれまでのウズベキスタン料理と同じく、野菜とスープながらやや油っこい味わいです。

まあ、慣れてくるとこの味もよいものですが、胃腸が弱い人にはやはり厳しいかもしれませんね。

 

そしてメインは、これまた見た目から油っぽいご飯もので、これはウズベキスタンの伝統料理のプロフです。

 

要するに「中央アジア風ピラフ」であるプロフは、中央アジア共通の伝統料理であり、国どころか都市・地域により炊き込む食材が多彩な点が特徴的です。

 

 

私が食べたのは「サマルカンド風」と呼ばれる肉と人参がたっぷり乗ったもので、お肉大好きな私好みではありますが、さすがに少々重かったので、食後は添えられたフルーツ(写真2枚目)でバランスを取りました(笑)。

 

 

続く午後は、レギスタン広場付近に再び移動し、前大統領の名を冠したイスラム・カリモフ通りを直進。

ただ途中、あまりに陽射しが強かったので、

 

 

有料のミニバス(写真1枚目)に乗って大通りを快走。

次の目的地のビビハニム・モスク(同3枚目)の前で下車しました。

 

 

この巨大な正面アーチから圧巻のモスクは、インド遠征から凱旋したティムールが、世界に他に類を見ないモスクを造ろうとその晩年の1404年に完成させたもので、その規模は今も中央アジア最大級を誇っています。

 

 

そしてこの正面アーチを抜けた先には、広い中庭と大きなドームを持つ聖堂(写真2枚目)が現れ、

 

 

 特に色鮮やかなドームは、向かいのミナレット(写真2・3枚目)が小さく感じるほどの存在感でした。

 

そんな外側から、どの角度で見ても目を惹く聖堂ですが、実はこのモスクには落成後に建設責任者が処刑されたとか、壮大な建築計画を性急に進めたためティムールの死後に次第に崩壊したなどの様々な暗い逸話があります。

 

さらに、このモスクはティムールの寵后ビビハニムの名を冠するのですが、彼女がこのモスクの完成を急ぐあまり、建設責任者の求めに応じてキスをしたため、彼のみならずビビハニムもティムールに殺害されたとの伝承もあり、

 

 

 

グリ・アミールやレギスタン広場、後述のシャーヒ・ズィンダ廟群と比べてどこか闇が付きまとい続けました

 

それはそうと、モスクの中庭中央には何やら巨大な石の台が安置されていますが、これはコーランを置くための書見台(ラウヒ)で、ウルグベクが寄進したものだとか。

 

複製のコーランも含め「でかすぎるわ!」と思ったのは、私だけではないと思います。

 

ちなみに、オリジナルはタシケントのコーラン博物館に収蔵されており、その「オスマン・クラーン」と呼ばれるコーランは、ティムールが遠征から持ち帰った現存する中で世界最古(7世紀)のものだそうです。

 

この後は聖堂の中にも入りますが、外観の巨大さと細やかな装飾に比べて内部は見どころが多くなく

 

 

 

壁・天井・窓に至るまで修復中で、これまで見てきたモスクや霊廟、メドレセと比べると正直に言ってややがっかりしてしまう点は否定できません(汗)。

 

というのも、ティムールの死後に次第に朽ちていったこのモスクは、550年余の時を経て1974年に当時のウズベク・ソビエト社会主義共和国政府によって再建されたもので、その工事も結局未完成に終わってしまったためです。

 

 

このように巨大さと随所に細やかな装飾を残しつつもどこか闇のあるモスク、それがビビハニム・モスクでした。

 

なお、ビビハニム・モスクの通りを挟んで向かいには、相対的にこじんまりとした霊廟が建っていますが、

 

 

このビビハニム廟は、外観はシンプルながら綺麗に保たれ、内部は部分的に華やかな装飾が施されており、ビビハニム・モスクと同時代の建築物としては、こちらの方が保存・復元状態が良好となっています。

 

 

 

加えて補足すると、この廟は上述のティムールの寵后ビビハニムのものであることから、彼女がティムールに殺害されたという逸話を疑う人は少なくないそうです。

 

ちなみに、殺害説以外にはビビハニムを生涯ベールで顔を常に覆わせた、死ぬまで監禁したというものもあり、どこまでも独占欲が強いなあと思いました(汗)。

 

 

以上、ビビハニム・モスクとビビハニム廟を見学したところで、買い物タイムに案内されたのは、

 

 

モスクの北隣に建つシヨブ・バザールです。

 

このサマルカンド最大のバザールは、屋根付きの建物の下に食品・雑貨・土産物などがブロックごとに分かれて販売されており、まさに庶民のマーケットの佇まいといえます。

 

 

 

とはいえ、私は東南アジアでもそうですがバザールは買い物ではなく雰囲気を楽しむものと割り切っているので、何も買わず一通り構内を散策すると、

 

 

早々に大通り沿いのカフェに入り、名物のチャイを味わいがてら、のんびりと休憩して過ごしました。

 

休憩&買い物タイムの後は、再びイスラム・カリモフ通りを北に進み、

 

 

サマルカンド発祥の地とされるアフラシャブの丘の手前で右折。バザールと街の眺望が人気というハズラティ・ヒズル・モスク(写真1・3枚目)を遠目に眺めてから、

 

 

 

丘を囲む城壁(写真3枚目)が並ぶ南東側の駐車場までバスで移動し、ツアー行程としてはこの日最後となる、

 

シャーヒ・ズィンダ廟群に入場します。

シャーヒ・ズィンダ廟群は、ティムールとその一族に所縁のある人々の霊廟がほぼ一直線に建ち並ぶ「死者の都(ネクロポリス)」であり、

 

その入口(ダルヴァザハナ)は、1434~1435年にかけてウルグ・ベクの命により建設されたものです。

 

また、その名は7世紀、異教徒に首を刎ねられてもサマルカンドでの布教を止めなかったムハンマドの従兄が、永遠の命を得て今もこの廟群の奥深くで目覚めを待っているという故事に由来し、「生ける王」の意を持ちます。

 

 

そんな故事をガイドさんから聞きつつ、入口を抜けるとその先には「天国への階段」とも呼ばれる大階段があり、この階段には上り・下りでそれぞれ段数を数え、これが一致すると死後に天国に行けるという伝承があるそうです。

 

まあ、世界中でよくある伝承といえばそのとおりですが、私はもちろんやってみてガイドさんに後で教えてもらった段数と一致しました♪

 

日頃から徳を積み続けている私ですが、イスラムの世界でもこれで天国行が確定した訳ですね(笑)。

 

それはさておき、階段を上る途中の向かって左には、2つのドームを持つ15世紀築コシュ・グンバズ廟を見ることができ、こちらはウルグベクの天文学の師のカズィ・ザデ・ルミの廟とされています。

 

この先、階段を上り切った先が「廟群」と呼ぶに相応しい霊廟が並ぶ通りに入っていくのですが、

 

その佇まいは左右とも美しいサマルカンド・ブルーのタイルで覆われた「青の世界」と呼ぶにふさわしく、

 

 

雲一つない空を含め、どこを見ても鮮やかな青に彩られた空間は、世界に他に例のない素晴らしいものでした。

 

さて、この後はシャーヒ・ズィンダ廟群の参道を最奥までじっくり散策していくところですが、記事の構成と容量の都合上、今回はここまでとします。

 

次回は年明け、帰国して落ち着いたところでシャーヒ・ズィンダ廟群のハイライト、そして夜のサマルカンドの華やかな模様をメインに紹介していく予定です。

ではでは。