おはようございます。

先日、2024年3月ダイヤ改正に伴うJR京葉線の通勤快速及び快速運行の廃止に対し、沿線の千葉県知事と千葉市長がJR東日本にクレームを付ける一幕がありました。

 

私は千葉県民ながら公私ともにあまり縁のない路線なので、正直どうでもいいのですが、観光目的の利用はともかく通勤快速・快速での通勤時間を前提に自宅を購入した方はご愁傷様というほかありません(汗)。

 

とはいえ、本当に翻意を促したいなら、千葉県及び沿線自治体は何らかの「誠意」を見せる必要があり、JR東日本が無条件で要請を呑む謂れは民間企業としてないです

 

実際問題、今更ダイヤ改正の再変更はないのでしょうし、私も来春以降、ネズミの国や海風が吹く球場に行く時には運行ダイヤに注意したいと思います。

 

 

【ベルリンの概要①(旧帝都の名残)】

 

(Thomas Wolf, www.foto-tw.de, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19540240による)

 

さて、本題のドイツ周遊旅行記予習編は、諸地域概説としてこれまでケルン・フランクフルト・ミュンヘンと紹介してきましたが、最後にベルリンを取り上げます。

 

すでに第1回で触れたとおり、ドイツ連邦共和国の首都であり約390万人の人口を擁するベルリンは、

 

(出典:外務省ウェブサイト)

 

ドイツの東部、ブランデンブルク地方の中央に位置し、ブランデンブルク州とは独立した連邦州です。

そしてベルリンは史書において、ケルンやフランクフルト、ミュンヘンよりも新しい13世紀が初出ながら、

 

(1枚目の国旗:David Liuzzo, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2461715による)

 

近世にはプロイセン王国、さらにプロイセン王が皇帝を兼ねるドイツ帝国が都を置き、富国強兵とドイツ統一の過程でドイツの首都としての地位を固めました。

 

(Angr - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2194574による)

 

このように近世以降に急速に発展したベルリンには、新潟県長岡市とほぼ同規模の891.1㎢の面積に12の区があり、数字で数えるパリと違って伝統的な地名を残しています。

 

(Jürgen Matern - 投稿者自身による著作物(JMatern_071104_8454-8458_WC.jpg), CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3064083による)

 

そして12の区のうち中央のミッテ区には、首都らしく連邦大統領官邸や大統領府、連邦首相官邸兼首相府、連邦議会議事堂といった連邦の行政・立法機関が集積していますが、

 

(Kucharek - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4792520による)

 

司法の最高機関たる連邦最高裁判所(写真)及び連邦憲法裁判所は、いずれも南西部のカールスルーエに置かれており、この点も連邦の分権体制がよく現れています。

 

また、すでに触れたとおりドイツ経済の中心はフランクフルトなど西部に置かれているため、ベルリンは官民いずれにおいても中央集権的でない首都なのです。

 

そんな「分権化された旧帝都」であるベルリンには、世界的な企業の本社の集積も見られず、本社機能を有する最大手がドイツ鉄道という時点でお察しといえます(汗)。

 

(Times - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2227379)

 

こうした一方で、ベルリンにはプロイセン王国・ドイツ帝国時代の近代建築も見られ、市内西部には広大な庭園を擁するシャルロッテンブルク宮殿

 

 

(写真2枚目:I, Ondřej Žváček, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=19038712による)

(同3枚目:Thomas Huntke, Germany (der Uploader) http://www.huntke.de - 自ら撮影, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11089629による)

 

ベルリン大聖堂やブランデンブルク門、ジャンダルメンマルクトなど枚挙に暇がありません。

 

ただ、これらは第二次世界大戦の戦火に晒され、戦後に復興されたものが多く、完全なオリジナルが決して多いとはいえないのは歴史的にやむを得ないところです。

 

(dalbera - https://www.flickr.com/photos/dalbera/2735565030/, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4907942による)

 

文化・芸術面では、街の中央を流れるシュプレー川の中州に5つの博物館が集まっている「博物館島」が世界的に知られ、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。

 

この博物館群には、ドイツや欧州に限らず古代ギリシアやエジプトの貴重な遺産が見られますし、この小さな中州以外にも市内各所には優れた展示品を持つ博物館等が点在

 

ヨハネス・フェルメールの「真珠の首飾りの女」を所蔵するベルリン絵画館がその代表格です。

 

 

【ベルリンの概要②(東西分断の歴史)】
 

さらにベルリンの街を語る上で欠かせないのが、第二次世界大戦後の東西分断です。

 

大戦中の度重なる空襲と末期のベルリン市街戦のため、多くの犠牲を出し廃墟と化したベルリンは、

 

(Stefan-Xp - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=877731による)

 

周辺のブランデンブルク州等の東部一円がソ連の占領地域となっている中で、戦勝国である米ソ英仏の4カ国による分割統治を受けることになりました。

 

これにより米英仏の占領地域は西ベルリン市と呼ばれる飛び地となり、冷戦が本格化し始める1948年~1949年にはベルリン封鎖を受けます。

 

 

(右の地図:Leerlaufprozess - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2714737による)

 

これに対し米英仏ら西側諸国は、唯一開かれた空路を使って物資を空輸して支援しました(ベルリン空輸)。

 

そして1949年、米英仏の主導の下でドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、

 

時を同じくして東ベルリン市を首都とし、東部5州を領するドイツ民主共和国(東ドイツ)が成立。

これにより、完全に西ベルリンは東ドイツに囲まれた飛び地となってしまったのです。
 

しかし、東西分裂当初は東西ベルリンの往来だけは自由で、西ベルリンと西ドイツ本土は空路又は直通専用道路で結ばれていたため、両者の封鎖は緩やかなものでした。

 

ただ、これにより東ベルリン市民が西ベルリン経由で西ドイツに亡命する事例が相次いだことから、

 

(写真:Noir, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1402275による、地図:CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=246759)

 

1961年に東ドイツ政府は東西ベルリンの境界線を封鎖した上で、東西ベルリンの境界線上にベルリンの壁を建設し、物理的にも分断されるに至ったのです。

 

その後、緊張緩和を経て1989年のベルリンの壁崩壊、さらに1990年の東西ドイツ統一の実現と同時に、約45年のベルリンの分裂も終焉を迎えました。

 

1990年代~2000年代にかけては、ベルリンの東西の都市機能の統合や連邦の首都機能の移転が行われ、次第に東西分裂や東ドイツの面影は失われていきますが、

 

 

(写真:Photo: Andreas Praefcke - 自ら撮影, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98586による)

 

今も東ドイツの秘密警察・諜報機関を統括していた国家保安省(シュタージ)の旧庁舎が博物館(写真)となっていたり、旧東ドイツの生活を再現したDDR博物館

 

(Djmutex - English Wikipedia, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=51425による)

 

東西ベルリンの国境検問所の面影を残すチェックポイント・チャーリーが見られ、ドイツ人にとってノスタルジーと不思議さを感じる存在となっているようです。

 

(写真1枚目:flickr user IstvanOriginal uploader was Sir James at [1] - https://www.flickr.com/photos/40385587@N00/1890354603/, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3328179による)

(同2枚目:Fridolin freudenfett - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98311059による)

 

ちなみに、かつて東ドイツ人民議会が置かれた共和国宮殿(写真1枚目)は、2000年代に資本主義の豚どもによって解体され、今は旧王宮を再現したフンボルトフォーラム(同2枚目)が設けられています。

 

まあ、共和国宮殿も旧王宮を爆破して築いたものなので因果応報ではありますが、貴重な共産主義建築の1つが失われてしまったのは悲しいところです。

 

以上、近代の帝都、共産主義政権と東西分裂、未来志向の再開発が進む現代と3つの顔を持つベルリンは、

 

(Arne Müseler / www.arne-mueseler.com, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95930804による)

 

2020年には上掲のフンボルトフォーラムや、新たな空の玄関口としてブランデンブルク国際空港(写真)が開業するなど、目覚ましい変化を続けています。

 

(derivative work: Hedavid (talk)Berlin.svg: Nodder - Based on Water map of BerlinBerlin.svg, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5111085による)

 

20世紀の東西分裂の中で、上の地図の空港のように点在したインフラを統合した首都は、かつての東西格差の解消を象徴するものとして期待されているそうです。

 

 

(Portal der statistischen Ämter des Bundes und der Länder (DeStatis); David Liuzzo. - Erstellt aus Material des gemeinsamen Datenangebotes aus dem gemeinsamen Portal der statistischen Ämter des Bundes und der Länder (DeStatis). [1], CC BY-SA 2.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1275601による)

 

以上、この3回にかけて紹介したドイツの4都市を拠点に観光名所を巡るとともに、最後にフランスも1泊2日で小旅行を楽しむ予定ですが、また4都市以外の観光名所の概要は旅行記本編で軽く触れるつもりです。

 

加えて、いつもどおり9泊11日の長期旅行の中で現地ダイジェストも適宜掲載するので、こちらもお楽しみに。

ではでは。