こんばんは。

10月上旬にイスラム系テロ組織のハマスがイスラエルを急襲してから2ヶ月半余りが過ぎ、直近ではイスラエル軍がガザ北部の制圧間近との報道がありました。

 

そんな中、以前触れた極左・左翼思想に冒された連中が特定企業をイスラエル支援とレッテル張りして不買を呼び掛ける動きは、次々と対象企業を追加しているようです。

 

このままだとこの連中が国際的なチェーン企業では何も買えなくなる気がしますし、日本人には全く響かずマックやスタバ、KFCは変わらず盛況なのは正直傑作ですね(笑)。

 

個人的には早くイスラエルがハマスを殲滅して、パレスチナに平和的な政権が生まれることを期待しています。

 

 

【フランクフルトの概要】

 

さて、本題のドイツ周遊旅行記予習編の第3回は、大晦日に滞在し年越しを迎える予定のフランクフルトの概要から始めさせていただきます。

 

(出典:外務省ウェブサイト)

 

ドイツ中央西部のヘッセン州の南西に位置し、街の中心をマイン川が流れるフランクフルトは、約76万人の人口を擁するドイツ第5の都市であり、ヘッセン州では州都ヴィースバーデンを上回る最大の都市でもあります。

 

また、ドイツにはフランクフルトと称する都市・地区が複数存在することから、正式名称はマイン川沿岸を指す「フランクフルト・アム・マイン」です。

 

ちなみに、食べ物のフランクフルトは中世にこの街で作られていたソーセージを「フランクフルター・ヴルストヒェン」と称したことが由来となっています。

 

 

 

そして、街の人口こそ日本の新潟市・浜松市とほぼ同じフランクフルトは、ドイツの国内の工業と商業の中心、さらに大陸ヨーロッパの国際金融の拠点として多くの大企業が本社又は欧州拠点を置く世界的な経済都市です。

 

特に金融では、欧州中央銀行(ECB。写真1枚目右は旧本店が入るユーロタワー)、ドイツ連邦銀行、ドイツ銀行、コメルツ銀行など官民の組織が本店を置き、欧州経済において強い存在感を放っています。

 

また、中世から人とモノが行き交う交通と交易の拠点だったことから、フランクフルト中央駅(同4枚目)は欧州最大級の鉄道ターミナルですし、

 

中央駅からドイツ鉄道で直行できるフランクフルト・アム・マイン国際空港は、欧州どころか世界最大級のハブ空港として、世界中から飛行機が絶え間なく往来しています。

 

ちなみに、フランクフルト市内から約100kmの距離にフランクフルト・ハーン空港がありますが、こちらはLCCくらいしか飛んでいないので混同することはないでしょう。

 

 

 

私にとって、フランクフルト・アム・マイン国際空港は欧州で最も多く利用しているものの、市内を散策したのは乗継時間を活用した1回のみで、宿泊は今回が初めてです。

 

その散策時は中央駅に到着後、マイン河岸の博物館群の一角をなすシュテーデル美術館(写真1枚目)でフェルメールの「地理学者」(同2枚目)を鑑賞したり、

 

 

フランクフルトを代表する観光名所のレーマー広場をブラブラ回って過ごしました。

さらに、中世から見本市が立った伝統もあって、

 

(Conrad Nutschan - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=250752による)

 

市内の国際展示場「メッセ・フランクフルト」はドイツ第2の規模を誇ると同時に、同施設の運営企業は世界各地に拠点を持つ世界最大級の見本市主催会社でもあります。

 

そんなドイツ最大の経済都市であるフランクフルトは、中世において強い自治権を持つ帝国自由都市に起源を持ち、聖俗の諸侯の影響力が及ばなかったことから、

 

1806年まで神聖ローマ皇帝の選挙が行われる諸侯会議が開催されるとともに、1562年以降は皇帝の戴冠式も挙行されました(写真:選挙・戴冠式が行われた大聖堂)。

 

そして、フランクフルトの独立の気風は、19世紀前半にドイツ連邦の議会やフランクフルト国民会議が開催されたことにもよく現れたものの、1866年の普墺戦争により都市国家としての独立を失いプロイセン王国に併合

 

以降はプロイセン王国、ドイツ帝国、ヴァイマル共和国、ナチスドイツ、さらに現在のドイツ連邦共和国に至るまで一貫して国内経済の中核を担い続けたのです。

 

さらに、フランクフルトで活躍した人物や出身者には枚挙に暇がない中、とりわけ代表的存在が文豪のヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテであり、

(写真:ティッシュバイン作「カンパーニャのゲーテ」

 

(Mylius - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6756979による)

 

ゲーテは今も「フランクフルト市民の偉大な息子」と称えられ続け、その復元された生家(ゲーテハウス。写真)は観光名所の1つになっています。

 

そんな大陸ヨーロッパの金融・経済都市を拠点に、隣のラインラント=プファルツ州の州都マインツなど近郊の散策も満喫し、2023年の締め括りとするつもりです。

 

 

【ミュンヘンの概要】

 

 

続いては、2024年の元日にフランクフルトから移動して2泊を過ごす予定のミュンヘンの概要を紹介します。

 

私にとっては、2回ほどルフトハンザドイツ航空の乗継ぎで空港を利用した記憶しかないこの街は、

 

(出典:外務省ウェブサイト)

 

ドイツ南部のバイエルン州の州都であり、その人口は約150万人と国内第3位の規模を誇る大都市です。

 

そして、前回紹介したケルンが宗教、上掲のフランクフルトが自由都市という特色を持つのに対し、ミュンヘンは中世以来、バイエルン王国の首都として、その王家たるヴィッテルスバッハ家の下で繁栄してきました。

 

(写真1枚目:Wikioloderivative work: MagentaGreen - このファイルの派生元:Residenz Ecke Theatinerstraße 2014-08-02.JPG:Residenz links 2014-08-02.JPG:Residenz mitte 2014-08-02.JPG:Residenz rechts 2014-08-02.JPG:, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=34666687)

(同2枚目:Carsten Steger - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=104976126による)

 

そのため、市内には王宮(レジデンツ。同1枚目)や夏の離宮のニンフェンブルク城(同2枚目)など豪華絢爛な王家所縁の宮殿が観光名所として現存しています。

 

また、ドイツ連邦州の中でも最大の面積を誇るバイエルン州は、1871年のドイツ帝国成立後も帝室たるプロイセンに次ぐ第2の領邦だったことから今も独立の気風が強く、「自由共和国バイエルン」と自称するほどです。

 

(Diliff - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1443071による)

 

ミュンヘンの歴史は中世の1158年に始まり、1240年にはヴィッテルスバッハ家のバイエルン公がこの地に根を下ろし、以後約700年に渡り君臨し続けました。

 

ちなみにバイエルン公は1806年の神聖ローマ帝国の滅亡まで選帝侯(世俗諸侯)に数えられ、帝国大膳職長官の地位を世襲で占めたドイツ有数の権門勢家です。

 

そんなヴィッテルスバッハ家の統治は1919年のドイツ帝国の崩壊とともに終わりを告げ、一時的に社会主義勢力が強まった時期もありましたが、戦間期の大部分はその伝統と保守性故に右派や過激主義の温床となりました。

 

(Bundesarchiv, Bild 102-00344A / Heinrich Hoffmann / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5478829)

 

その代表格が1920年にミュンヘンで結党したナチス・ドイツであり、1923年のミュンヘン一揆(写真はその被告達。右から4番目がアドルフ・ヒトラー)の失敗を経て、1933年にはミュンヘンはナチスの支配下に置かれています。

 

その後は第二次世界大戦で大きな被害を受けるものの、戦後比較的早い段階で復興を果たし、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の一大経済拠点として発展を見せました。

 

(FOTO:FORTEPAN / Romák Éva, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=50828245による)

 

さらに、1972年には夏季オリンピックが開催されて世界中の注目を集めますが、この時にパレスチナの武装テロ組織がイスラエル代表選手を殺害する痛ましい事件が起きたのは、先般のハマスの暴挙に通じる点を感じます。

 

こうした歴史を経て現代に至るミュンヘンは、ヴィッテルスバッハ家の宮殿群や美しい広場に教会など、市内中心部に観光名所を複数擁するとともに、

 

(WL - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1021136による)

 

BMW(写真)やシーメンスといったドイツ有数の工業メーカーが本社を置く世界的な経済都市としての性格も持ち、マイクロソフトなど有力な外国企業の欧州統括拠点も数多く置かれているそうです。

 

なお、ミュンヘンでは元旦は観光施設が閉まっているため街並み巡り、2日はノイシュバンシュタイン城等の日帰りツアーを予定しています。

 

この点、レジデンツやニンフェンブルク城を内部見学できないのは残念ですが、ミュンヘンは今後また乗継等で訪れる機会があると思うので、本格的な市内散策はその時の楽しみに取っておこうと考える次第です。

 

(Kajebi II. - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=73256298による)

 

以上、フランクフルトとミュンヘンの概要をお伝えしたところで今回はここまでとし、次回は首都ベルリンの概要とその他小ネタ等をもって本予習編を締め括るつもりです。

ではでは。