おはようございます。

今週、北海道札幌市の秋本市長が今後の冬季オリンピック・パラリンピックの招致から撤退する意向を示し、9年間の招致活動に終止符を打ちました。

 

東京に続いて2度目のオリ・パラ開催を目指したものの、当初から機運が盛り上がらなかった上に、2020東京五輪を巡る汚職・談合事件がとどめとなったようです。

 

すでに日本が自国でスポーツの国際大会を開催するメリットが乏しいことは明らかなので、この撤退はよい決断だと思いますが、そんな中でも2025年に世界陸上を開催しようとするアホな首都の存在には呆れてしまいます。

 

まあ、無駄遣いするお金に事欠かない東京都らしいですが、再び汚職等で世界に恥を晒さないよう願う次第です。

 

 

【近現代の日独関係】

 

さて、本題のドイツ周遊旅行記予習編の第2回は、ドイツ連邦共和国の概要の途中、第一次世界大戦後~現代の日独関係から再開します。

 

日本の近代化以降、三国干渉や第一次世界大戦などに見られるとおり、大日本帝国とドイツの関係は良好とは言えず、それは第一次世界大戦後に発足したヴァイマル共和制の下でも変わることはありませんでした

 

ドイツは1910年代~1930年代半ばにかけて中華民国との友好路線である中独合作を続け、1936年に始まる日中戦争でも蒋介石政権に最新の兵器の提供と軍事顧問団の派遣を行うなど積極的に支援しています。

 

しかし、1930年代に入り日本が満州事変(1931年)以降に国際的に孤立していく中で、同じ後発の先進国であるドイツと利害が一致1936年の日独防共協定、1940年には日独伊三国同盟を締結し友好関係を構築しました。

 

そして、1939年に始まる第二次世界大戦でも日独は枢軸陣営としてともに戦い(日本の参戦は1941年)、そしてともに敗北し国土と政権を灰燼に帰することになります。

 

(Astrokey44 - Made by Astrokey44, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3228191による)

 

戦後、荒廃した国土の復興から始まった日独は1952年に国交を回復(注:東ドイツとの国交樹立は1973年)すると、現在に至るまで非常に良好な友好関係を構築。

 

とりわけ日本にとっては同じ西側諸国、欧州における最大のパートナー、さらに第二次世界大戦の敗戦国としての負の遺産など共通点も多く、デュッセルドルフに日本企業の拠点が集積するなど重要な位置付けを占めているのです。

 

 

【ドイツ連邦共和国の経済・社会】

 

(Mylius - 投稿者自身による著作物, GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=16986099による)

 

最後にドイツの経済・社会を概観すると、通貨は1999年の電子的決裁通貨としての導入当初からユーロ(EUR)を採用しています。

 

ちなみに、ユーロ導入前の通貨はドイツマルクというのは多くの方が知るところですが、現時点で「マルク」発音の通貨を採用している世界の国々は、意外にもボスニア・ヘルツェゴヴィナのみだそうです。

 

次に2022年時点の名目GDPは約4兆米ドルで、アメリカ・中国・日本に次ぐ世界第4位にして欧州最大の経済大国の地位にあります。

 

なお、国民1人当たりでは48,756米ドルと、旧東ドイツ地域の発展の遅れや移民を含む人口の多さなどもあって世界第20位、欧州では第13位に留まっています。

 

また、これらは2022年の数値ですが、2023年には日本を抜いて名目GDPでは世界第3位に立つ見込みです。

 

 

(写真:WL - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1021136による)

 

そんな経済大国であるドイツは、世界有数の先進工業国にして貿易大国の地位を占め、伝統的に自動車、機械、化学・製薬等の分野に強みを有しています。

 

著名なドイツ企業としてはBMW、バイエル、ライカ、ドイツ銀行、アディダスなど各分野の世界的企業に事欠くことはなく、明確な弱みが見当たらないほどです。

 

なお、貿易については輸出先は米国、輸入元は中国がそれぞれ最大額を占め、特に中国とは上述の近代の中独合作以来の良好な経済関係を維持しています。

 

(Thomas Wolf, www.foto-tw.de, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=86880541による)

 

質・規模ともに強みを持つ工業に加え、それを支える金融やサービス業にも厚みがあるドイツは、観光でも世界一の観光大国であるフランスには及びませんが、

 

2021年8月時点。2023年に「エアフルトの中世ユダヤ人関連遺産」が追加

(Lencer - 投稿者自身による著作物, using Karte Bundesrepublik Deutschland.svg and Welterbe.svg (created by UNESCO; Designer: Michel Olyff, vectorized by User:Hk kng), CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2415619による)

 

世界遺産の件数はフランス(52件)を上回る世界第3位の53件、中でも中世以来の地域ごとに異なる文化・建築は国内周遊や近隣諸国と組み合わせて巡るのが人気です。

 

このようにソフト・ハード両面で根強い経済を支えるのが交通基盤であり、ドイツ鉄道国内外に充実した路線網を持ち、生活・旅行のそれぞれに便利ですし、

 

フランクフルト国際空港はドイツだけでなく欧州有数のハブ空港として、世界中の航空会社が就航していることから常に乗継ぎを含む利用者で混雑しています。

 

(Marcello Casal Jr/Agência Brasil - [1], CC BY 3.0 br, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33966962による)

 

続いてスポーツ・文化については、W杯でも4回の優勝経験を持つサッカーが圧倒的に一番人気であり、国内プロリーグのブンデスリーガには、世界各国から優れた選手が集まって活躍しています。

 

それ以外にもオリンピックでも強さを見せるウィンタースポーツ全般、F1などのモータースポーツも世界有数の規模と人気を誇り、数多くのスター選手を輩出してきました。

 

近代国家としての統一には時間と苦難を要したものの、今はEUの事実上の盟主として経済・文化・スポーツなど広い分野で活躍する大国、それがドイツ連邦共和国の端的な説明といってよいでしょう。

 

 

【ケルンの概要】

 

(Martin Falbisoner - Wikimedia Commons, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=27407389による)

 

以上、ここまでドイツ連邦共和国の概要を説明してきたところで、続いては今回滞在(宿泊)する4つの主要都市について、順に解説します。

 

まず、「大聖堂の街」として世界に知られるケルンはドイツ北西部のノルトライン・ヴェストファーレン州最大の都市であり、その人口は約110万人

 

(TUBS - 次の画像を基にした投稿者自身による著作物: Germany location map.svg 次のものによる: NordNordWest, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6205989による)

 

同州の南部に位置し、ラインラント=プファルツ州及びヘッセン州に近いドイツ第4の都市として、近隣のドルトムントやエッセン、デュッセルドルフと1,000万人以上が住む大都市圏を形成しています。

 

その歴史は古代ローマ属州のゲルマニア・インフェリオルの州都コロニア・アグリッピネンシスに遡り、中世には欧州の東西を結ぶ重要な交易路の一つとして繁栄しました。

 

(Velvet - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35472522による)

 

特に街のシンボルであるケルン大聖堂は、世界最大のゴシック様式の建築物であるとともに、現在の3代目の聖堂の完成まで約600年を要したことでも知られています。

 

また、この地に司教座を置くケルン大司教は歴史的にドイツの宗教界で有数の地位をなし、中世~近世には神聖ローマ帝国の選帝侯(聖界諸侯)の一角を占めるとともに選帝侯領を治めるなど、政治的にも大きな影響力を持ちました。

 

そしてケルンの名称に由来するものとして、香水の一種である「オーデコロン」があり、フランス語でケルンの水(eau de Cologne)を意味しています。

 

1709年にケルンで初めて販売されたこの香水が、広くフランス語表記で呼ばれるのは、芳香などファッションの中心がフランスだった歴史的沿革が見て取れますね。

 

(G. Friedrich - 投稿者自身による著作物, CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4266200による)

 

それ以外のケルン所縁の著名な存在としては、欧州最大級の航空会社であるルフトハンザドイツ航空の本社が置かれていたり、1848年にマルクスとエンゲルスがケルンで反社会的な新聞『新ライン新聞』を発刊したであるとか、

 

(Peter Bouserath - This file was provided to Wikimedia Commons by the Konrad-Adenauer-Stiftung, a German political foundation, as part of a cooperation project., CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33998753による)

 

西ドイツの初代連邦首相として、戦後復興と国際社会への復帰を導いたコンラート・アデナウアーがケルン生まれという点などがあります。

 

ちなみに、アデナウアーは1917年~1933年にかけてケルン市長を務めており、あのヒトラーとの握手を拒否して市長の座を追われた気骨の士でもあるそうです。

 

以上、ドイツ西部有数の大都市と宗教都市であるケルンの概要を紹介したところで、今回はここまでとします。

ではでは。