おはようございます。

今週末は久しぶりに首都圏でずっと過ごす予定ですが、まだ今年訪れていないのは北海道・北陸・四国・九州の4エリアとなりました。

 

おそらく駅メモ巡りの関係で北陸と四国には年内に行く予定がある一方、北海道と九州は機会がなさそうです。

 

まあ、上手くいけば今年で関東甲信越・東海・北陸の駅メモ巡りはほぼ終わるので、来年こそ北海道と九州の攻略にも乗り出すのかなとは思っています。

 

 

【瀬戸内海の小島に現存する国宝建築】

 

 

さて、昨日までの夏の広島旅行の最終日(3日目)は、2日目よりは早めにホテルを出発し、再開発の工事中の広島駅南口(写真2枚目)を見納めに、

 

 

 

JR山陽新幹線で2つ隣の三原駅を2日ぶりに訪れます。

ただ、今回は三原市内に用があるのではなく

 

 

三原城跡の天守台(写真1枚目)を北に望む駅から、商店街(同3枚目)を真っすぐ海に向かって歩き、

 

 

 

昭和の役所建築そのままの三原港埠頭に入場。

すぐに自販機でチケットを購入し、

 

 

意外と小さい高速船(写真3枚目)に乗船しました。

三原港は、隣の尾道港と並んで瀬戸内海の島々を結ぶ小規模航路を複数運航しており、

 

 

 

私が乗った瀬戸田・沢・三原線もその1つです。

なお、一応海上航路ではあるものの、この日は晴天で海模様が大変よかったのと、そもそも内海なのでほとんど揺れはなく、琵琶湖フェリーと感覚的には同じでした。

 

 

そして30分にも満たない瀬戸内海を渡る船旅を経て、レモンでお馴染みの瀬戸田港に到着します。

 

この瀬戸田港がある生口島(いくちじま)は、現在は全域が広島県尾道市に属しており、私が乗ってきた海路だけでなく陸路でも尾道の中心街と繋がっています。

 

 

 

生口島に上陸した後、私は瀬戸内海の島々(写真1枚目)や古い石風呂跡(同2枚目)、さらに悪い亀を退治した伝説が残る地蔵尊(同3・4枚目)など、旧瀬戸田町の北側をぐるっと回ってから、

 

 

坂道を上って目的地の向上寺に到着しました。

15世紀初期に地元の有力武士が創建したこのお寺は、

 

  

その後、1444年に室町幕府8代将軍の足利義政によって将軍祈願所となり一時栄えたものの、その後衰退して明治以降には多くの伽藍・堂宇等が解体されています。

 

 

ただ、そんな中でも唯一、室町期からずっと解体や火災等を免れ、創建初期の姿を今に残しているのが、港からも高台の上に堂々と建つ姿(写真3枚目)が見える、

 

老朽化は感じるものの、鮮やかな朱塗りの禅宗様式が目を惹く、国内唯一の小離島にある国宝建築三重塔です。

 

 

 

禅宗らしく華美な装飾は控えつつも、細やかな彫刻が各所に施されたその姿は、1432年の建立当初のままだそうで、「約600年もの間変わらない」こと自体が、1つの大きな歴史的価値と言っても過言ではないでしょう。

 

檀家の減少等に伴い寺社の維持が大変な昨今、こうした貴重な歴史的遺産については、行政も積極的に財政や人的支援を行ってほしいものです。

 

 

この後、向上寺からの帰りはショートカットして、階段を降りて港に向かったのですが、その途中には、

 

 

島の名前を冠した生口神社が建っており、坂の斜面に建つことから、階段廊下で拝殿と本殿が繋がる構造(写真2枚目)が特徴的でした。

 

なお、生口島の由来は諸説あるものの、日本史を勉強した方は『魏志倭人伝』の記述にある生口(≒奴隷)が浮かぶと思いますが、「邪馬台国が魏への朝貢に連れて行く生口をこの地に留めていたため」とする説もあるそうです。

 

生口が本当に奴隷か否かも確かではないものの、要するに「奴隷島」だったら住民的には少し嫌ですね…(汗)。

 

 

 

そんな生口島の本当の由来が気になりつつ、瀬戸田港に戻ると、ターミナルの展示(写真1・2枚目)を鑑賞がてらしばし涼をとってから、レモンを連想させる黄色が鮮やかな高速船(同3・4枚目)に乗船し、

 

 

今度は一路、尾道港に向かいました。

ちなみに、外観は黄色づくしでしたが、

 

 

船内はごくありふれた小型船の装いなので、特に違和感なく船旅を満喫できます。…まあ、これが全部黄色だったら落ち着かないことこの上ないですよね(苦笑)。

 

あと、どうでもいいですが尾道・福山を舞台のモデルにしたというこのアニメ、放送されたのは結構前みたいですがまだコラボが続いていたんですね。

 

一過性に終わらず、継続して根付いてこそ聖地巡礼に繋がるのでとてもよい傾向だと思いました。

 

 

【観光スポットの外れに佇む古刹】

 

 

 

尾道港に着いた後は、少し早いですが混み合う前に昼食を済ませようと思い、海沿いに東に向かって歩き、

 

 

尾道ラーメンの代表として各種イベント等にもたびたび出店している人気ラーメン店「喰海」を訪れます。

2023グルメ記事 #63

 

 

店内は一見ごくありふれた個人経営のラーメン店という印象ですが、南側の窓からは瀬戸内海と対岸の島々を望む眺望(写真3枚目)が楽しめるのが好印象です。

 

また、メニューは所謂背脂が浮いた尾道ラーメンを中心に、炒飯など中華の定番を一通り取り揃えており、

 

私は少々お腹が膨れるのを覚悟(?)の上で、店名を冠した「喰海セット」を注文しました。

 

尾道ラーメンと半炒飯、餃子5個というガッツリ系のメニューだけに、食べきれるか心配ではありましたが、

 

 

 

炒飯と餃子は奇を衒わない王道の美味しさで、さらにラーメンは見た目と違い全体にくどくなく、あっさりした味わいが私好みだったため、最後まで苦しくなることも後にも引かなかったので大変よかったです♪

 

値段は1,250円と一般的なラーメンセットと比べるとやや高めですが、観光地価格の要素と味のレベルを考えるとコスパ的にもよいと思います。

 

 

 

 

ランチの後は、七夕の名残(写真1枚目)が見られる商店街を東に進み、ロープウェイ乗り場を通過して線路沿いの坂道(同4枚目)を上ります。

 

 

JR東日本・東海ではもう見られない古い車両(写真1枚目)が走る姿や、尾道水道沿いの街並み(同2枚目)が見える坂道の先には、

 

 

重要文化財に指定されている裏門(写真1枚目)や山門(同3枚目)が並ぶ浄土寺が見えてきました。

 

浄土寺は、一説にはあの聖徳太子が616年に開いたとも伝わりますが、史書等に現れるのは鎌倉時代以降のことで、鎌倉末期に中興された歴史を持っています。

 

 

現存する重要文化財の阿弥陀堂(写真1枚目左・同2枚目)は中興期に再建された伽藍・堂宇の1つで、その中でも最も歴史的価値が高いのが、

 

いずれも国宝に指定されている本堂と多宝塔です。

 

 

 

本堂は和様を基調に大仏様、禅宗様の細部を取り入れた、中世折衷様仏堂建築の代表作と高く評価され、

 

 

 

瀬戸内の古塔の一つとして、また鎌倉時代末期(1328年建立)に遡る建立年代の明らかな多宝塔として宗教的にも歴史的にも貴重な遺産といえます。

 

 

また、室町幕府初代将軍の足利尊氏が南北朝の争乱の中で戦勝祈願を行い、以後足利氏の厚い保護を受けた歴史から、今も足利市の家紋の「二つ引門」を寺紋として使っているだけでなく(写真1枚目中央)、

 

日本史の教科書でもお馴染みの足利尊氏の肖像(絹本著色足利尊氏将軍画像)も、実はこの浄土寺が所蔵してます。

 

明治~昭和初期にかけ、皇国史観の下で足利尊氏は天皇に背いた逆賊として批判を受け、多くの尊氏所縁の品々が破却されたにもかかわらず、貴重な尊氏の肖像を残している点に、足利氏への深い敬意を感じずにはいられません。

 

 

【猛暑の中、最後までご当地スイーツ】

 

 

以上、浄土寺本堂・多宝塔の拝観をもって広島県の国宝建築12件を制覇した後は、暑さの中で尾道駅に戻り、

 

 

こちらも実はアンデルセン系列のリトルマーメイドで、尾道限定のあんクリームパンを食べつつ休憩。

 

 

 

それから、JR山陽本線に乗って2つ隣の三原駅で下車しますが、この旅3回目の訪問となればやることもなく

 

 

駅のコインロッカーでスーツケースを回収してすぐ、一昨日の呉線と違い山間を走る山陽本線に再び乗り、

 

 

 

空港行バスが駅前から出る白市駅で下車しました。

ちなみに、山陽本線の本郷~白市間は、広島空港を迂回するように路線が敷かれているため、どの駅からも徒歩だと2時間弱かかるそうです(汗)。

 

 

 

そして、時間に余裕を持って広島空港に着くと、そのまますぐに手荷物検査を通過してサクララウンジ(写真3・4枚目)に入場します。

 

手狭そうな入口とは裏腹に、奥行きがあって3つのブロックに分かれたラウンジ内は、混雑時にもゆとりを持って座れる点が大変魅力的で、

 

 

猛暑でやや夏バテ気味だったため、せめてお腹をスイーツで潤そうと空港内で買った八天堂のくりーむパンをゆっくり味わうなど快適な時間を過ごしました♪

 

ちなみに、広島空港のサクララウンジがどこか目新しいなあと思って、ブログを確認すると意外にも今回が2017年のリニューアル前後を問わず初利用だったみたいです。

 

 

この点、広島をこれだけ頻繁に訪れていても意外なところに未経験のスポットがあった事実に妙な感慨を抱きつつ、最終便で帰京の途に就いたのでした。

ではでは。