こんばんは。
先週末の冬の京都旅行でもいつもどおり駅メモ巡りに励んだ結果、京都市の中心部(洛中)周辺をコンプリートしたのですが、それでもまだ半分を少し超えた程度です。
「京都=京都市とその周辺」というイメージが強いものの、実際にはローカル路線が数多く存在する丹波・丹後地方や、JR・私鉄各社が競合する京都府南部など、京都府には失礼ながらたくさんの田舎が存在しています(苦笑)。
前者は福井県の若狭地方や兵庫県の但馬地方とセットで、後者は奈良旅行とセットで順次クリアしていくつもりですが、いずれにせよ複数回かけての旅となる以上、焦らず腰を据えて取り組みたいところです。
【親鸞聖人所縁の地で国宝拝観】
さて、そんな先週末の京都旅行のダイジェスト初日は、いつもどおり朝早くに起きて東海道新幹線に乗り、京都駅で下車するところから始まりました。
曇りがちな天気ながら、雨に遭うことはなかった幸運に感謝しつつ、駅前のホテルでスーツケースを預けると、JR京都線に乗って伏見区の六地蔵駅まで移動します。
そういえば六地蔵という名称に反し、この駅界隈で地蔵を1体を見ることはなかったと思いつつ、案内板に従って住宅街の中を北東の方角に約30分歩くと、
真言宗の寺院である法界寺の正門が見えてきます。
その開山は平安時代後期の1051年と伝わり、藤原氏の一族である日野氏の氏寺で、本尊の薬師如来が厚く信仰を集めたのも併せて「日野薬師」の別名を持つ古刹です。
ちなみに、藤原北家の傍流である日野氏は、鎌倉時代末期に後醍醐天皇に仕えて倒幕の謀略を巡らした日野資朝・俊基、室町時代に8代将軍足利義政の正室となった日野富子らを輩出していますが、
鎌倉時代に浄土真宗の開祖となったあの親鸞聖人(写真:親鸞聖人像)も日野氏の出自であることは、意外と知られていない事実であり、
法界寺の隣には親鸞の生誕を称える日野誕生院(写真1~3枚目)、また境内の一角には親鸞の産湯の井戸(同4枚目)が現存していました。
そんな日野氏の氏寺である法界寺の見どころは、
何といっても正門からも見える阿弥陀堂です。
平安後期の阿弥陀信仰の高まりや末法思想の普及を受け、極楽浄土の具象化として全国各地に建てられた阿弥陀堂建築の代表作とされるこの御堂は、
1221年の承久の乱による焼失後まもなくの再建とされ、全体に派手さこそないものの、現世利益に囚われない極楽浄土の軽妙温雅な趣を漂わせていました。
また、阿弥陀堂に納められた阿弥陀如来坐像(堂内は写真撮影禁止)は、創建時(平安後期)の作であり、この御堂と併せて国宝に指定されています。
阿弥陀堂の隣には、日野薬師の名の由来となった薬師如来像を治める薬師堂(写真1枚目・同2枚目右)もありますが、こちらの建物は20世紀初めに奈良から移築されたもので、本尊ともども重要文化財に留まっています。
そんなところから、浄土真宗に所縁のある方は親鸞生誕の地として、建築に興味がある方は国宝建築を目当てに、それぞれ訪れる価値は十分ある古刹といえるでしょう。
【約2年半ぶりの桜の名所】
さらに、それぞれ秋の野原・竹林花鳥を主題とした襖絵が鮮やかな秋草の間・勅使の間と続き、豪華絢爛を特色とする桃山文化の一端を早速感じました。
次は最大の目当てである国宝建築の表書院に入り、こちらも四季の柳・山野の風景・孔雀と蘇鉄を描いた襖絵が上中下段の3つの間を彩っており、
来客を能楽や狂言でもてなすのにもふさわしい、華やかさに満ちた空間です。また、この表書院の縁側からは、
庭園の全容を遮るものなく観賞でき、この点も特別拝観で訪れる価値を高めているといえます。
中でも、通常では見えづらい庭園の細かなポイント、
例えば室町時代から「天下人が所有する石」とされた藤戸石(写真1枚目)や豊国大明神の分社(同2枚目)は、秀吉所縁の遺構として必見です。
また、賀茂川の様々な姿を表現した賀茂の三石(同3枚目)や鋭く曲がった石橋(同4枚目)は、庭園のデザインとして興味深く感じました。
表書院の奥には、秀吉が醍醐の花見で使用した建物を移設したと伝わる重要文化財の建物「純浄観」がありますが、こちらで際立つのは何といっても襖絵であり、
平成に入ってから愛媛県出身(京都市立芸大卒)の浜田泰介画伯によって描かれた桜・紅葉図は、伝統と新しさを融合させる京都の人々の懐の広さをよく現わしています。
そして一続きの御殿の最奥には同じく重要文化財の本堂(写真2枚目)が建っており(内部は写真撮影禁止)、快慶作の弥勒菩薩を本尊とする内部は、これまでと異なり比較的質素で、静かに祈るのに相応しい趣でした。
この三宝院の特別拝観の最後を飾るのは、江戸時代初期の建築で座主の居住空間とされた奥宸殿(写真3枚目)。
こちらには、寺宝とされる品々のほか、天下の三大名棚の一つに数えられる違い棚「醍醐棚」を見ることができ、その趣ある造りは一見の価値ありです。
(いずれも写真撮影禁止)
以上、見どころに事欠かない三宝院の特別拝観でしたが、それ以外にも玄関奥に奇抜な襖絵(写真2~4枚目)で彩られた広間を見ることができたり、
国宝建築の三宝院唐門を内外から鑑賞したりと、本当に飽きずに楽しめる御殿でした。
ちなみに、醍醐寺にはあと「上醍醐」と呼ばれる山上の伽藍群もあり、こちらは子供の頃両親に連れられて訪れたきりなので、次の機会にぜひ再訪したいと思います。
(注:醍醐寺の伽藍エリアから山道を徒歩で要約1時間です)
【ランチの後は京都御所巡り】
この後は、お昼時を少し過ぎていたので、境内の霊宝院(写真1・2枚目)の向かいの建物に入っているフレンチカフェ「Le Clos Sous le cerisier」を訪れました。
2023グルメ記事 #7
今から約6年前にオープンしたこのカフェは、
和とフレンチを融合させたカジュアルなランチ・スイーツメニューを提供しており、
店内は日本とフランスの意匠を組み合わせた置物(写真2枚目)が飾られ、窓からは霊宝院とその前の芝生、そして桜の木々を見ることができます(同3枚目)。
そして今回いただいたのは、薬膳スープ(写真1枚目)付きの醍醐寺薬膳カツカレーです。
薬膳というのはお寺の中のカフェらしいものの、これだけ肉尽くしだとお寺的にどうなんだろうとも思いつつ、これらを味わうと、香ばしい香りとしっかり作り込まれた味は、醍醐寺の格式にも違わない上品な美味しさでした。
値段は1,500円弱とそこそこ張りますが、この時は全国旅行支援のクーポン1,000円分を使って500円弱で済んだので、本当にこの政策には感謝しかありません。
ランチを済ませたところで、続いては最寄りの醍醐駅から京都市営地下鉄東西線・烏丸線に乗り、今出川駅で下車。
ここから京都御苑に入ると、
まずは御所の南西の敷地にある閑院宮邸跡を訪問。
今は京都御苑の紹介展示施設(写真1枚目)や環境省の事務所が建つこの地には、
格式ある四親王家の1つだった閑院宮家の邸宅が、江戸時代から明治初期まで存在し、今は庭園と1882年に新築された書院造の展示施設にその面影を残しています。
また、その一角には戦前の旧宮内省所長官舎跡の間取りが復元されており(写真1・2枚目)、当時の高級官僚の官舎の充実ぶりが見て取れました。
そして、展示施設では自然環境と人の手による庭園の見どころ(写真3枚目)をわかりやすく学ぶことができ、趣ある建物と併せてこちらも興味深かったです。
ちなみに、館内には文化庁の京都移転を紹介するポスターを目にしましたが、今年3月に明治以来初の中央省庁の移転が行われるというのは1つの歴史的出来事でしょう。
まあ、文化が未発達な坂東の無機質な街よりは、京都の方が文化庁に相応しいと思いますね。
続いては、以前外観のみ遠くから鑑賞した九条邸跡の庭園に建つ数寄屋風建築「拾翠亭」に入場します。
公家の頂点に立つ五摂家の1つ、九条家の邸宅跡の遺構であるこの趣ある建物は、
2階建ての非常にベーシックな数寄屋造りながら、
見事な透かし彫り(写真1枚目)や障子張り(同2枚目)など、細かい箇所まで意匠に工夫が凝らされており、池辺に佇むその佇まいも相まってとても素敵でした。
さて、この日(土曜日)の散策はまだもう1つのハイライトを残していますが、今回はここまでとします。
ではでは。