こんばんは。

明日からの南米3カ国周遊旅行のため、今日は成田駅近くのホテルで前泊しています。

 

普段は京成スカイライナーで成田に向かうところ、今回は時間があったので京成快速に乗ったのですが、大きなスーツケースを持って混雑する電車に乗るのは、少々気が引けますね(汗)。

会社員の帰宅時間と重なったのも大きかったです。)

 

さて、今回で最終回となる南米3カ国周遊旅行記の予習編は、民政移管後のペルーの歴史イグアスの滝を紹介します。

 

出国前夜という本当に間際の投稿となり恐縮ですが、ぜひ現地ダイジェストの前に一読をお勧めいたします♪

 

 

【ペルー共和国の歴史(後編)】

 

 民政移管、なおも相次ぐ政治腐敗

 

(By https://www.flickr.com/photos/144155804@N02/ - https://www.flickr.com/photos/144155804@N02/31714677277/, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=79386529)

 

1968年から10年余り続いた軍事政権は、経済・外交の行き詰まりによって1978年にアメリカ人民革命同盟(アプラ党)との歴史的和解を果たし、1980年には民政に移行

 

選挙の結果、軍事クーデターで一度は失脚した保守派のベラウンデ・テリーが、アプラ党との宥和の下で政権を担います。

 

しかし、職業政治家の下で再び腐敗と汚職がはびこり、経済の再建にも失敗したため、国民の支持は長くは続きませんでした。

 

 

(左の党旗:user:Huhsunqu - 投稿者自身による作品 [1], CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1275412による)

(右の党旗:CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1275344)

 

その結果、所得の低い農村部や都市のスラムを中心に過激な共産主義を掲げるゲリラ勢力が力をつけ、武力闘争を開始するようになります。

 

こうしたゲリラ勢力の代表格が、センデロ・ルミノソ(左が党旗)とトゥパク・アマルー革命運動(MRTA)(同右)であり、党旗からもヤバさと香ばしさが漂っています(汗)。

 

Manuel González Olaecheaと推定(著作権の主張に基づく) - 投稿者自身による作品と推定(同), CC 表示 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3850759による)

 

この後は、国民の支持を失った保守政権は、1985年の選挙で敗北して下野し、代わってアラン・ガルシア(写真)を首班とする左派のAPRA政権が初めて成立しました。

 

反米・反帝国主義を掲げるガルシア政権は、左派にありがちな福祉偏重の放漫財政や、対外債務の支払を一部拒否するなどの経済失政を繰り返した結果、ペルーの経済は完全に崩壊

 

失業率は66%、GNPは20年前の水準に後退、さらにインフレ率は年間8,000%に上るなど完全な国家破綻に陥ります。

 

 

(左の地図:By Tzzznfff - Source, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2907929)

 

さらに、1980年代を通して都市部ではMRTAのテロが多発したのに加え、センデロ・ルミノソが一時は国土の3分の1を支配下に置くまで勢力を伸ばし、革命政権の成立は間近と思われました。

 

8 フジモリ政権による国家再建、そして現在へ

 

(党旗:By Txolo - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70270838)

 

そんな混乱の極致にあったペルーにおいて、1990年の選挙で保守派の新政党「変革90」を率いるアルベルト・フジモリが勝利して政権を獲得。

 

南米初の日系大統領(日系2世)として、日本でも注目を集めたフジモリ大統領は、強力な緊縮財政と経済の自由化・財政健全化を推し進めるとともに、農村部の農民を武装させるなどゲリラ対策を強化したことで、国家再建に一定の成果を上げます。

 

こうした強力なリーダーシップに対し、議会の一部では非民主的と反発が起きると、フジモリは議会解散・憲法停止という強硬措置をとり、独裁的な非常国家再建政府を樹立しました。

 

フジモリ独裁体制に対しては、欧米諸国などからは非民主的と非難を受けますが、フジモリはこれを意に介さず、強権を用いてセンデロ・ルミノソを壊滅状態に追い込むのに成功します。

 

これらの実績が国民の支持を集めたことで、フジモリは10年間にわたり政権を握りますが(1995年に憲法と議会を復活)、一方でセンデロ・ルミノソやMRTAに対する非合法な弾圧・虐殺や長期政権による深刻な汚職が問題となり始めました。

 

そんなフジモリ政権に対し、日系人大統領の縁もあって日本が一時は最大の支援国となりますが、それがMRTAの反発を招き、1996年には日本大使公邸占拠事件(写真)が起きました。

 

(Copyright World Economic Forum (www.weforum.org), swiss-image.ch/Photo by Daniel Ammann - https://www.flickr.com/photos/worldeconomicforum/350215206/, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3483859による)

 

このように、次第に国内外の支持を失ったフジモリは2000年に政権の座から退陣し、代わって保守系のアレハンドロ・トレド(写真)が史上初の先住民を出自とする大統領に就任しました。

 

トレド政権は、フジモリ政権の政策を踏襲して経済成長を成し遂げますが、貧富の差の解消や治安対策では実績を残せず、2005年にはAPRAのアラン・ガルシアが再度大統領に就任します。

 

ただ、第1次政権でペルー経済を破綻に追い込んだガルシアがまともな実績を残せるはずもなく、任期中にはペルー地震(2007年)により重大な被害を受ける不幸にも見舞われました。

 

 

(写真1枚目:Photographer: José Cruz/ABrCropped (lossless) by High on a tree from a larger image showing Humala together with Brazilian president Lula da Silva. - Original from http://img.radiobras.gov.br/Aberto/index.php/Imagens.Principal.00.0.2006-03-02. Original file name: 145482.jpeg., CC BY 3.0 br, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=611748による)

(同2枚目:Cancillería de Perú - Pedro Pablo Kuczynski a su llegada a Palacio de Torre Tagle 2.jpgPresidente de la República Pedro Pablo Kuczynski a su llegada a Palacio de Torre Tagle, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=54999560)

 

その後、2011年により極端な左派オジャンタ・ウマラ(写真1枚目)が、2016年には中道右派ペドロ・パブロ・クチンスキー(同2枚目)が政権を握りますが、いずれも成果を残せずに大きな政治スキャンダルを起こし、国民の政治に対する信頼は失墜

 

この間、治安当局の努力によりセンデロ・ルミノソやMRTAなど国内のテロ勢力はほぼ鎮圧されましたが、こうした有力者による汚職・不正の蔓延は、今も政治・経済・地域を問わないペルーの根深い病巣であり続けているのです。

 

 

(写真1枚目:Galería del Ministerio de Relaciones Exteriores - Presidente Martín Vizcarra previo a ceremonia de juramentación de ministros, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=68375604による)

(同2枚目:Keiko_Fujimori.jpg: Congreso de la República del Perúderivative work: Athenchen (talk) - Keiko_Fujimori.jpg, CC 表示 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11754296による)

 

鉱山や観光資源、そして農業・水産物など多くの魅力がある国だけに、マルティン・ビスカラ現大統領(写真1枚目)がいかにペルーを発展に導くことができるか、

 

そして、大統領の座を狙い続ける人民勢力党(野党第一党)の党首ケイコ・フジモリ(同2枚目。アルベルト・フジモリ元大統領の長女)の今後の活躍にも期待したいところです。

 

 

【イグアスの滝について】

 

予習編の最後に、今回の旅行でペルー以外に唯一訪れる観光名所である、イグアスの滝の概要を紹介します。

 

イグアスの滝は、ナイアガラの滝(アメリカ・カナダ)・ヴィクトリアの滝(ジンバブエ・ザンビア)とともに世界三大瀑布に数えられ、その規模から「世界最大の滝」とよく呼ばれています。

 

なお、豆知識ですが「世界最大の落差」を持つ滝は、同じ南米ベネズエラのエンジェルフォール(979m)とのことで、あくまで滝の数や大きさ等を総合的に評価した表現らしいです。

 

 

この滝は、ブラジル(20%)とアルゼンチン(80%)の2カ国に跨っており、滝を含む両国の「イグアス国立公園」は、各々が独立してユネスコの世界遺産に登録されています。

 

また、イグアスとは先住民のグアラニ族の言葉で「大いなる水」を意味しており、「イグアスの滝」だと実は「Tonegawa River」のような微妙な表記になる訳ですね…(苦笑)。

 

最も有名なのは82mの落差を持つ「悪魔の喉笛」(写真)であり、全部で300近くに上る瀑布群で構成されるその雄大な姿は、南米を代表する観光名所の1つとして知られています。

 

また、密林に囲まれたイグアス川の下流部という立地から、5種の森林と多種多様な生物系が共存する、自然の宝庫のような地域でもあり、野鳥観察も人気のアクティビティの1つです。

 

そして、上述のとおりイグアスはブラジル・アルゼンチンの2カ国に跨ることから、両方の国から各々異なる絶景を楽しむことができるのが大きな特徴となっています。

 

一般的に、アルゼンチン側は遊歩道に沿って大小無数の瀑布群を鑑賞しつつ、「悪魔の喉笛」を見下ろす(写真)のが定番コースであるのに対し、

 

ブラジル側は、1つ1つが大きい大迫力の滝の景観を楽しむとともに、「悪魔の喉笛」を対岸から眺めるのが人気です。

 

加えて、両国側ともに徒歩・船・ヘリコプターなどお金次第(笑)で様々なアプローチができるのも、観光上の大きな魅力です。

(私も今回、船とヘリのオプションに申し込んでいます。)

 

ちなみに、イグアスはパラグアイ国境にも近く、アルゼンチン側には3カ国国境地点の碑が置かれており、こちらも地理的に貴重なことから観光スポットの1つとなっています。

 

ぜひ、こうした周辺要素を含め、「世界最大の滝」を2日間心ゆくまで楽しむつもりです♪

 

 

DSC_2584.JPG

以上、ここまで全4回にわたり、明日からの南米3カ国周遊旅行の予習編を掲載しましたが、今回も旅行中に時間の許す限り現地からダイジェストをお届けしたいと思います。

 

特に今回は、上の行程図のとおり飛行機での長距離移動が多く、かつ南米の治安上の問題から、定番の夜の街歩きは控え目又は見送るつもりなので、日数にしては普段よりコンパクトな内容になる可能性がある点は、あらかじめご承知おきください。

 

それでは、これにて予習編は閉幕として、今後は現地ダイジェスト及び旅行記本編を楽しみにしていただけると幸いです。

ではでは。