こんばんは。
今日、プロ野球の千葉ロッテマリーンズ・大嶺翔太選手金銭問題により引退を申し入れ、受理されたというニュースがありましたが、引退後ならまだしも現役の選手の金銭問題、しかも引退に至るというのは非常に珍しい話です。
 
それにしても今年の推定年俸が1,000万円、さらに過去8年間の合計推定年俸5,090万円+契約金4,000万円という多額のお金を稼いでいて借金に喘ぐのですから、引退してどう一からやり直すというのか疑問は尽きません
 
まあ、頭はともかく体だけは丈夫なはずなので、強盗やら殺人やら、変な犯罪にだけは走ってほしくないですね。
 
さて、3月末に開始したインド旅行記も今回で最終回デリー散策の続きから再開し、帰国・そして締め括りまで掲載します。
誰もが知っているが意外と行きにくい「神秘の国」、インドの魅力をぜひ最後までお楽しみください。
 
 
2月13日(火曜日) デリー④・帰国
 
霊廟の内部を見学した後は、基壇を降りてその周囲を散策。
角を正面に見る霊廟も、シンメトリックが美しいなあと改めて感心しつつ、
 
隣の敷地に建つシク教徒の寺院の遠景や、
 
南東の外れのナイカ・グンバドと呼ばれる、フマユーンの理髪師を務めたとされる人物の墓などを見て回ります。
 
いくら皇帝付とはいえ、一介の理髪師が皇帝の墓の一角に埋葬されるというのは凄い話だと思いました。
 
ただ、このためフマユーン廟全体の対称性が損なわれた(注:他の三隅には同様の建物は存在しません)というのは、イスラム様式的にはどうなのか、興味深いところです。
 
 
そして、締めは再び霊廟に視点を移し、建物中央上のドームと楼閣に注目します。
 
赤砂岩の「赤」のイメージが強い霊廟ですが、ドームは白大理石で造られており、青空によく映える見事な造りでした。
 
以上、フマユーン廟の見どころを紹介しましたが、タージ・マハルの原型という視点でも、また単独で見ても面白い史跡だと思うので、デリー散策の折はぜひ訪問されることをお勧めします。
 
 
こうしてフマユーン廟の見学を終えた後は、バスに乗って空港方面に向かい、その途中で最後の観光のため下車。
フマユーン廟よりは混雑した駐車場、そして入口を抜け、
 
緑地を真っすぐ進むと、一際目立つ巨大なミナレット「クトゥブ・ミナール」を中心に、様々な時代の遺跡・遺構が眼前に広がっていました。
 
このクトゥブ・ミナールと周囲の複合建築群は、一部を除き12世紀末から16世紀前半、いわゆるデリー・スルタン朝からムガル帝国の初期にかけて築かれたモスクや墓で構成され、その多くはヒンドゥー教寺院を破壊して作った石材で建てられたそうです。
 
 
例えば、写真のインド最古とされるモスク「クワットアル・イスラム・マスジッド」の柱を注視すると(写真3枚目)、明らかにヒンドゥー様式であることがわかります。
 
こちらはデリー・スルタン朝の最初の王朝(奴隷王朝)を開いたアイバク帝が、この地に元々建っていた27ものヒンドゥー教寺院を巨象(!)で破壊させて建てたモスクとのことで、「イスラムの力」というわかりやすい名を冠しています。
 
また、インドで最も高い72.5mのミナレット・クトゥブ・ミナールも同じく、ヒンドゥー教寺院を破壊した石材で建てられ、
 
 
特にアイバクが1206年に建てた1層目は、その名残を外壁の模様にはっきり見て取ることができます。
 
 
また。5層で構成されたクトゥブ・ミナールは、アイバクの2代後のイルトゥミシュ帝が13世紀半ばに建てた2・3層目(写真1・2枚目)と(1層目とよく似ています。)、
 
 
14世紀後半にトゥグルク朝(奴隷王朝の2つ後の王朝)のスルタンが建てた4・5層目(同3・4枚目)の様式が顕著に異なっており、完成までの200年近い歴史を実感できるのも大きな特徴です。
 
そんな歴史あるミナレットだけに、ぜひ上ってみたいところですが、過去に女学生の集団が塔内を見学中、停電が起きた混乱で塔から転落し、十数名が死傷する惨事が起きて以来、残念ながら立入禁止となっているそうです。
 
ミナレットに上れないのは少々残念ですが、クトゥブ・ミナールの周囲には上述のクワットアル・イスラム・マスジッド以外にも多くの見どころがあり、
 
まず、このアライ・ミナールは、奴隷王朝に続くハルジー朝のアラーウッディーン・ハルジー帝が、クトゥブ・ミナールの2倍の大きさのミナレットを建てようとしましたが、1316年に彼に暗殺されたことで頓挫、その土台だけが残ったものです。
 
まさに「夢の痕」といった感じですが、個人的には上部の穴が窓なのか何なのか、少し気になりました。
 
 
ちなみに、そのアラーウッディーン・ハルジー帝の霊廟もこの敷地内にあり、700年の時の中で所々崩れてはいるものの、石棺(写真2枚目)など、ところどころ墓の面影を残してはいます。
 
また、こちら以外にも構内には2つの重要な霊廟が残っており、
 
 
随所にヒンドゥー様式の石材が用いられている、クトゥブ・ミナールの2・3層目を整備(上述)したイルトゥミシュ帝の霊廟と、
 
 
16世紀前半・ムガル帝国の下で完成したと伝わるイスラム学者の墓、イマーム・ザミン廟です。
 
同じ霊廟と言ってもそれぞれ、時代背景や文化の違いが如実に現れていたのが興味深かったです♪
 
そして、クトゥブ・ミナールと複合建築群の見学を締め括るのは、構内最古の遺構とされる古代の鉄柱です。
 
こちらは、グプタ朝のインド統一を記念して4世紀に造られたもので、表面には古代文字が刻まれています(写真2枚目)。
 
そして純度99%のこの鉄柱は、1,700年近くの間錆びることなく、このデリーの地でインドの歴代王朝の栄枯盛衰、そして人々の暮らしを見守ってきた歴史を持っているのです。
 
以上でクトゥブ・ミナールと複合建築群の紹介を終えますが、ちなみにこちらもフマユーン廟と同じく、重要な歴史的遺構としてユネスコの世界遺産に指定されています。
 
ただ、現地ガイドさんの口ぶりから察するに、ヒンドゥー教寺院を破壊して造ったクトゥブ・ミナールには、ヒンドゥー教徒として色々思うところがあるように感じましたので、見学の際は少しその点を気に留めた方がいいかもしれませんね。
 
 
 
こうして、デリー市内観光を予定どおり終えた後は、時間に余裕を持って夕方に空港に到着。優先カウンターで手早く手続を済ませて、手荷物検査・出国審査もスムーズに完了し、
 
 
いつもどおりビジネスラウンジで休憩♪開放的過ぎるのが若干気になりましたが、概ね快適に過ごしつつ、
 

JALのカウンターでお勧めされたそばを味わい(無料ですが要注文)、香辛料尽くしで疲れた胃を癒しました(笑)。

 
こんなにそばを食べて癒されるというのも、人生でなかなかないように思いましたが、つい「そばの水大丈夫かな?」と最後まで不安になってしまうのも、インドらしさだと思います。
(結局、帰国まで体調を崩すことなく杞憂でしたが…。)
 
 
休憩後、余裕を持ってラウンジを出発し、土産物購入や怪しげな仏頭(写真1枚目)の鑑賞など、空港内をブラブラ散策すると、ちょうどいい時間になったので飛行機に搭乗。
 
 
日系航空会社ならではの安心の機内食・サービスを満喫しつつ、夜便なのでしっかり休息も取り、翌朝成田空港に到着。
初めての「神秘の国」インドへの旅を無事終えたのでした。
 
 
【終わりに】
最後に、皆さんの今後の参考として、インド旅行について当初の不安と現地の実情を3点ほどおまけで紹介します。
ただ、私の場合はツアーで行った上での話(しかも北インド限定)なので、その点を前提にお読みいただけると幸いです。
 
<お腹を壊さないか不安…。>
現地ガイドさんからも注意がありますし、よく旅行雑誌などでも言われることですが、「水と香辛料、あとお店のセレクトに注意」すれば概ね回避できるように思います。
特に旅行後半、胃が疲れているときには香辛料を控え目にすることをお勧めします。
 
<英語だけで大丈夫?>
英語ができれば十分です。公的表示等もヒンディー語と英語の併記なので、理解できないことはまずありません。
 
<匂いはきつくない?>
ところどころスパイシーな香りはしますが、少なくとも観光地では不快、嘔吐をもよおすレベルの悪臭はありません
くさやの方が、よほど気持ちが悪いです(笑)。
 
 
以上、これでインド旅行記は終わりとなりますが、現在連載中の2本の旅行記、そして間もなく予習編を開始予定のスイス旅行記など、引き続き充実した旅行記を掲載していきますので、引き続きよろしくお願いします。
 
それでは、今回も全10回にわたる旅行記をお読みいただき、ありがとうございました。ではでは。