こんばんは。

今週の初め以来、世間では大相撲の横綱、日馬富士関の後輩力士暴行問題の経緯が二転三転し、真相究明というより混迷の一途を深めています。

 

私は生来、先輩・後輩とか上司・部下の関係は一貫してフランクな態度を貫いていますが、本当に体育会系の閉鎖的・階層的な社会というのは、度し難い愚かなものだと思わずにはいられませんね(苦笑)。

 

…まあ、実際に何らかの暴行を振るった日馬富士はぜひ厳罰に処してもらい、相撲界全体として一罰百戒、組織の健全化を図ってほしいものです。

 

 

【アイスランド共和国の歴史】

 

さて、晩秋のアイスランド旅行まであと3日と直前に迫る中、予習編として第1回のアイスランドの概要に続き、今回はその歴史について簡単に説明していきます。

 

アイスランドは、ヨーロッパ大陸から遠く離れた北大西洋の小さな島という地理的事情から、原始期から古代に至るまでの長い間、無人島だったと言われています。

 

そして、歴史上に初めてアイスランド島が現れたのは、B.C.300年頃の古代ギリシャの学者が長い航海の果てに1つの島を発見したとの記録に遡りますが、その後も長くこの島で越冬・定住する人々は現れませんでした。

 

その間、北欧のノルマン人などヨーロッパの人々の中では、伝説の地「ウルティマ・トゥーレ」とされる島の1つとして、漠然と「極地」「北の果て」と認識されるに過ぎませんでした。

(上の図は伝説の地や生物を現わした図

 

 

(右の地図:en:User:Bogdangiusca - Earth map by NASA; Data based on w:File:Viking Age.png (now: File:Vikingen tijd.png), which is in turn based on http://home.online.no/~anlun/tipi/vrout.jpg and other maps., CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=81232による)

 

そんな未開の地、アイスランドに初めて移住・越冬したのは9世紀後半インゴールヴル・アルナルソン(左の図の中心の人物)率いるヴァイキングの集団でした。

 

ちなみに、伝承や記録によると、アルナルソンではなく、その先人のヴァイキング「氷の島」と名付けたのが、アイスランドの国号の由来となっているそうです。

 

その後、930年にはノルマン人やケルト人ら約2万人の移民で構成される世界最古の近代議会アルシングが成立し、この極北の地に定住地域ごとに自治が行われる「王なき社会」が生まれたのです。

 

アルシングの下、不文法が人々の間で順守された社会では、住民間の互恵関係が築かれて農業・商業などが発達しただけでなく、985年にはアイスランドからグリーンランドへ、さらに1000年頃には冒険家レイフ・エリクソンによる北米大陸への上陸・植民が行われました。

(右の地図はヴァイキングの遠征と移住の歴史

 

 

 

(右の像:Wolfgang Sauber - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8327318による)

 

そんなヴァイキングによる自治社会が築かれた中世のアイスランドですが、彼らの出身地であるノルウェーからの圧力は、10世紀末頃からすでに始まっており、アイスランドの人々は伝統的な北欧神話から、キリスト教への改宗を余儀なくされます。

(写真はノルウェー王の異教弾圧と、雷神トールの像

 

そして、13世紀にはノルウェーの介入がさらに強まり、1241年にアイスランドの指導者スノッリ・ストゥルルソン(上の絵の人物)が暗殺され、さらに1262年にはアイスランドはノルウェーの事実上の植民地となってしまいます。

 

その後、1814年までの約550年にわたり、アイスランドはノルウェーの支配を受け(1380年以降はノルウェーとデンマークの共同統治)、この間、ペストの流行や火山の噴火などの様々な災害を乗り越えつつ、水産品貿易や貨幣経済などが発展していきました。

 

さらに、1814年にはナポレオン戦争後のキール条約によってノルウェーとデンマークの連合は解消されるとともに、アイスランドはデンマークに割譲されます。

 

一方、19世紀に入って以降はアイスランド人政治家のヨン・シグルズソン(上の図の人物)が率いた自治権獲得運動が活発化し、アルシングの復活(1843年)外国との完全な通商権の獲得(1854年)、さらに1874年にはデンマーク王から独自の憲法と財政の独立が認められます。

 

なお、シグルズソンは1878年に68歳でこの世を去りますが、彼はアイスランド建国の父として、今も多くの国民に親しまれているそうです。

 

そして、1874年の憲法制定から30年後1904年にはアイスランド自治法が制定され、自治権を確固たるものにすると、その後も独立に向けた動きは進み1918年にはデンマークとの同君連合国家としてアイスランド王国が成立しました。

 

しかし、この王国は実質的にはデンマークの一自治州的な扱いで、独立国家とは言えませんでしたが、その状況に終止符を打ったのは、アイスランド人による独立運動ではなく1939年に始まった第二次世界大戦です。

 

(Blowback - own work based on en:Image:Iceland invasion targets.png and Image:Location map of Surtsey-fr.svg, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3869861による)

 

1940年4月、ナチス・ドイツの侵攻によってデンマーク本国が占領されると、ドイツと敵対するイギリスは、航路防衛の必要性から同年5月にアイスランドに侵攻、全土を占領します。

アイスランド侵攻

 

その後、6月からはアメリカが代わってアイスランドを占領しますが、連合軍の優勢が決定的となった1944年6月には米英の支援の下、アイスランド共和国名実ともに独立国家として成立しました。

 

ちなみに、アイスランドが独立した6月17日は上述のヨン・シグルズソンの誕生日に合わせたもので、今もこの国の独立記念日となっているのです。

 

 

続く第二次世界大戦の終結後は、1946年に米軍は一時撤退するものの、冷戦の激化から1951年に駐留を再開、アイスランドは長く、NATOの戦略上の要衝として位置付けられました。

(補足:アイスランドはNATOの原加盟国の1つです。)

 

(英語版ウィキペディアのKjallakrさん, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8835235による)

 

冷戦期は、豊富な水産資源を活かした水産業を核に、西側諸国の1つとして着実に経済成長を遂げていく中、漁業権を巡りイギリスと1955年から3度のタラ戦争を起こし、そのいずれにも勝利します。

最終的にアイスランドは濃い青の漁業専管水域を獲得

 

ちなみにこのタラ戦争、漁業権を巡る争いとはいえ、実際にイギリス海軍とアイスランドの国境警備隊の間で小競り合いが起きており、3度の戦争のいずれも両軍に死者が出なかったのは奇跡とも言われているそうです。

 

…まあ、何にしても「腹黒紳士」イギリスがアイスランドに敗れたというのは、判官びいきの日本人としては面白い話ですね。

 

そして1986年には、首都レイキャビクのホフディ・ハウス(写真)でアメリカのレーガン大統領とソ連のゴルバチョフ書記長冷戦終結に向けた会談が行われ、アイスランドは1つの大きな歴史的変化の舞台となります。

 

 

そして冷戦終結後は、欧州本土との経済連携の強化や水産業に代わる新たな主要産業として、金融業の誘致・育成に乗り出し、北欧型の高負担・高福祉の下で経済面でも豊かな社会を実現しました。

 

また、冷戦の終結に伴い軍事上の重要性が低くなったため、2006年には米軍の駐留が終了し、当時の米軍基地は今、ケフラヴィーク国際空港(写真)として、アイスランドの空の窓口になっています。

 

そんな金融業中心への産業構造の転換の成功など、一時の繁栄を謳歌していたアイスランドですが、2008年に起きた世界金融危機により、皮肉にもその金融業が大打撃を受けて国家経済は混乱に陥り、一時は国内全銀行の国有化・IMFの支援を受けるまでに追い込まれました。

 

(Joschenbacher - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9841147による)

 

その後、通貨暴落が逆に水産業などの輸出産業にとって強力な追い風となったり、観光業にも大きな恩恵をもたらしたりするなどして、2010年のエイヤフィヤトラヨークトル氷河の火山噴火(写真)はあったものの、順調に国内経済は復活を遂げ、2012年にはついに経常収支が黒字を回復します。

 

そして現在は、経済成長率・失業率は安定して良好な指標で推移し、孤島の島国ということで国防・外交上のリスクも少ない国として、世界の歴史の表舞台には出ませんが、とても安定した国家体制となっています。

 

また、上述の火山は常にアイスランドの国民の脅威であり続けていますが、一方で地熱発電や温泉といった、国民の生活を支える基盤の源ともなっており、火山との共生はアイスランドの至上命題だと、その歴史を学んで改めて実感しました。

 

 

以上、全2回にわたりアイスランド旅行記の予習編を掲載しましたが、今回も現地からダイジェストをお届けし、帰国後に旅行記本編を開始する予定です。

 

 

ただ、旅行記本編については、現在バルカン半島周遊旅行記が連載中で、さらに先日の大連・旅順旅行記に至っては連載すら開始していない状況なので、その2作の進展状況を見て開始時期を決めたいと思います。

(注:写真は上記2作の観光名所

 

そのため、本編の連載については、普段より少し長い目でお待ちいただけると幸いです。

ではでは。