去年から公開されているドキュメンタリーの映画です。


http://tennoshizuku.com/


料理が好きできょうの料理や本をみているうちに、辰巳芳子さんのファンになりもう、5年以上でしょうか。

彼女の考え方、著作は大変哲学的で、難しいかもわかりませんが、これだけ日本の食に対して、食物をどう扱うのがいいか、人間の人生に照らし合わせて根源を問いながら模索して若い世代に残していこうとされる料理家もあまりいらっしゃらないのではないでしょうか。それでいて、大変謙虚な方です。


映画を観たのは最近で、会場では監督からのお話にこの映画にかける辰巳さんの心意気を感じるエピソードなんかも話されて、88歳を去年12月に迎えられた年長者の言葉としてグっときました。

映画上映中は、それぞれの年代の方が来られ、その方その方の人生で何か重なるところがあるのでしょう、私もそうですが、すすり泣く音は、いろんな場面でこの人はこの場面、あの人はあの場面という具合で感動されてた様子。

とても自然な内容、生きていくことは誰にとっても一大事。人が生きていくことに終始一貫とした内容だったと思いました。

だから、誰が観てもいい。オススメです!


「生きることは愛すること」、芳子さんのお母様は、人をどう愛していくか=生きていくこと、という命題を持っていた方だと言います。

監督さんには、辰巳さんからの宿題で、「スープの湯気の向こうに見える実存的使命」を描いてほしい。人や物を撮って欲しくないと仰ったそうです。

難しいですね。でも、この映画は監督さんが仰るには、辰巳さんの意思を表した、いうなれば、「辰巳さんの赤ちゃん」と評されました。


病に倒れ嚥下障害の起きた辰巳さんのお父様のために、母娘はスープを作ったそうです。


命があと幾ばくも無い患者さんに、口に運べるものとしてはスープ!

これは宇宙の中で唯一地球だけが水が存在したことで生き物が誕生、人間の体もほとんどが水。

天からの雨しずくや里芋の大きな葉に溜まる水、露。

「天のしずく」です。

その水があってこそ、食物から栄養分を引き出して、「つゆ(露)?」となって体に吸収しやすくなるのが「おつゆ」、そして、「スープ」となる。そう、映画を観て私は解釈し、なるほどと思いました。


このほかに、印象に残っていることと言えば、今まで辰巳さんのお料理をする、「たおやかな」手、指に結婚指輪を初めて発見し、今まで何回もテレビで拝見してたのに気付かずにおりました。

その、結婚秘話も聞かせていただき、ますます素晴らしい方だと思いました。


ハンセン病の患者を閉じ込めた岡山県瀬戸内に浮かぶ細長い、長島の長島愛生園。

ここに現在も暮らす宮崎さんという84歳の女性の話もとても心を打たれました。

手指が不自由な中、辰巳さんの手のかかるスープをテレビでご覧になり、作った。

また、彼女と辰巳さんが対面された長島の、瀬戸内の海にポコンポコンと浮かぶ島々を観ながらの絶景の美しさと宮崎さんの病に苦しんだでしょうに、なんとも清らかな言葉。何の恨みがましさもなく。

「80を過ぎてから見たり聞いたりすることって、また別ね」という辰巳さんに対し「80を越えてからやっと今わかったことがたくさんありました」という宮崎さん。


はあ、私も80まで頑張って生きないとだめかなあ、なんてあせる


このお歳になられると、寝床で朝起きるとき、自分を宇宙の中でのかかわりで思うそう。

毎朝「宇宙の中で自分がどんな役割を果たせるかわからないけど、果たさせて下さい、その力をください」というようなことを思うそうです。


本当に美しい「愛」の映画でした。


今は東北地方にロードショーされ、私が調べたところでは都内は某女子美大?だったかで27日上映というのをみました。私の分を読むよりは、映画を観てください、というのが一番良いです!



オススメです!






暫く投稿できずに年もかわり平成25年、2013年になりました。
絶対音感という言葉、いつだか忘れましたが本が出て、物凄く話題になった時期がありました。
最近、子どもを通して音がある程度分かっているのに、音楽の演奏に結びついていなくて、非常に勿体なく思うことがありました。
一つは電子ピアノの問題。
これは、私が子供の頃はエレクトーンくらいしか親しみがなく、電子オルガンなどからその音色を知っていただけ。
現在の子どもたちは、巷に電話やテレビで数多くの電子音に触れていて、しかも夢中になるゲームの音は電子音。本当の楽器の音には、倍音という響きがつきまとっていることはたぶん意識されてないのではないかと思うのです。
音楽をやるなら、できるだけ聴覚の発達が六歳にはと言われる中、生のいい楽器の音をたくさん聞かせて欲しい。
倍音とは、ドを鳴らすとドドソドミソ♭シド…と五線譜が書ければわかりやすいのですが、響いていて、ド、という音になってる。
これは、響くと書いた音たちのピアノの鍵盤を音を鳴らさずに押したまま、下の低いドを叩くと響くので確認できます。
人間の耳にはドを弾いただけではわかりません。どうやら犬などは聞こえているそうです。
それで、電子音、電子ピアノで練習されている方が多い世の中、絶対音感がこれでついてしまうと、倍音がないので、何か別なことが起きないかと心配になるのです。
音楽療法学会でも、研究されて既に問題になり発表されてるそうです。
できるなら、アップライトの古いピアノで構わないので電子音ピアノは二次的に用意するだけで、弾けない真夜中なんかに、ヘッドホーンで練習する、というような時に利用するにとどめ、本当の楽器の音で育って欲しいと思うのです。
和音をピアノで弾く時、綺麗に響かせるのはピアノです。自分の耳で無意識にドミソの音一つずつの大きさ、音質を前後の音、左のバスの音に合わせて無意識に押し方を変えて弾いているものですが、これが電子ピアノではおそらくてきない。
日本人はヨーロッパにいくと、よく平らな音楽、と評されますが、ハーモニーに対する感覚が、指導法にもよりましょうが全くつかない現象があると思います。
混じり合う音、合唱でもアンサンブルでも、自分の出す音と他人の出す音色を感じ、それに合わす感覚が電子ピアノでは育たない気がします。
絶対音感も、ピアノなら88鍵の音が全てわかり、バイオリンやトランペット、ピッコロ、はたまた、コントラバスの低い音もわからねば、絶対音感かあると言っても意味がないと思うのです。

日頃からの環境、取り組みに、是非お子さんお持ちの方、音楽に触れている方は気をつけてあげて欲しい。
どう気をつけるかはその方の考え方にもよりますが、せっかく音が分かるようになっても、音楽のいい耳を育てるという意味で、全然違った方向に行かぬようしてあげたいですね。


iPhoneからの投稿

10月に行った3つの協奏曲のプログラムを日フィルの伴奏で聴きました。

http://okesen.snacle.jp/search/eventdetail/eid/7558d70abb40b46d754815051e313bc7



メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、ドボルザークのチェロ協奏曲、ラフマニノフの2番のピアノ協奏曲。


どれも有名な曲で、これならと娘もマチネだったので連れてゆきましたが、どの曲も2楽章のテンポの緩い楽章となると、つまんないの連発、そしてまだなの?あとどのくらい?という風で、周りのお客さんに迷惑でこちらもおちおち聴いてられませんでしたがあせる


何しろ、生の音楽会とはこんなにも心に感じるものを残してくれるんだとわかってはいるものの改めて実感。


中でも、若干27歳という若い長身のベルギー人?とのハーフの乾さんのストラディバリウスでの演奏は、出だしの彼のメロディの音色から涙がポロポロでした。恥ずかしいくらい叫び


彼の中から湧き出てくる、世界へ向けてのメッセージ、民族的にうまくいってない国々の人たちの苦しみや悲しみを感じました。音楽ってすごいですよ、だって言葉の通じない人々同士で慰めあい、泣けるんですから。


あとは、後日3,4日ドボルザークなど、いろんな部分が耳の中を行ったり来たりで余韻が残り、通常の生活に入り込んできて、あー!というときもあり、余韻を楽しみました。


私は、バレンボイム指揮のジャクリーヌ・デュプレのドボルザーク(もちろんCD)が忘れられなくて、いつやらずーっと何回も聴いていたので・・・にひひ


娘はよかった!と感想をもらしましたが、もう、オーケストラはいやとか言ってますが、たぶん、そんなことはないと思います。まだわからないだけ。




そして、つい先日浜離宮朝日ホールで行われた、ロジェ×束芋さんの催し。

まずは、ロジェさんがすんばらしかった!

私がまだ中高生?のころから、フランスの貴公子と言われた、ロジェの演奏を聴くのは生はもとよりたぶん初めて。

彼の演奏を聞いていると、音がすごくきれいで、静けさや風景、間の置き方、色彩感がすばらしく、どうしてそう弾くのかがわかるし、全体とてもきれいキラキラでした。気持ち良すぎて娘はちょっと寝てしまいましたが・・・ぐぅぐぅ


これぞ、フランス音楽の継承者!というべきのようなドビュッシーやラヴェル。プログラミングも彼が考えたようで、90分休みなしの中でグループごとに緊張感、クライマックスを設け、そのあとは聴衆もうまく休めるようなプログラミングはさすが。


束芋さん。この方、当日配られたプログラムを見ずに最後舞台に2人で姿を現したが女性であったことにまず、驚いた。


音楽の勉強はしたことがない様で、ちょっとそこが残念でした。というのも音からのインスピレーションが私ども音楽を生業とするものは言葉でいくらか説明できるのも勿論、音であたかも目の前に見えるように表現しなくてはならないので、束芋さんの映像に表現されるテーマはあっても1曲の中であまり変わり映えしないことが多かったように思ったから。曲の中でもっと本当は変化があるのになあと。


吉松隆さんの作品は束芋さんにとっても同じ日本人同士だからか違和感なく、そう、私も日本人だから、すーっと入ってきました。合っていると思いました、彼女の世界がありながら。


束芋さんがインタビュうーされている記事を見つけました。今回とは無関係ですが。http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2006/07/post_58.html


束芋さんに興味をもたれた方はこちらのウィキペディアも御覧ください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%9F%E8%8A%8B


ロジェの言葉が当日配られたプログラムにありましたが、

「~フランス作品を演奏する時は、色、そして自然の情景がいつも浮かびます。~ドビュシーとラヴェルは、沈黙、静寂、あるいは孤独の感情を音楽で表現しながら、聞く者に風景・情景を喚起させることのできる憂いつの作曲家であると。~鶏の哀しみを想像することなどどうしてできるでしょうか?けれど私は、ラヴェルの「悲しい鳥たち」の最初の数小節を弾く時、霧のかかった暗い夜の情景、そしてその闇の中で鳥たちがゆっくりと弾こうする、あるいは枯れた樹の上で悲しげに羽を休める様子が目に浮かぶ~ドビュッシーの「映像」を演奏する時、荒廃した寺院の遺跡にミステリアスな影を落とす満月の冷たい静けさを感じ、風邪の音が聞こえ、波間から大聖堂が姿を表す光景がみえるのです~」


これだけを読んでも目に浮かびますが、実際の音を生で聞くと、もっともっとリアリティがあります


娘は終演後、CDのサインに出てきたロジェ氏をみて、かつての貴公子である63歳の彼をみて「せくしーすぎる!」といって近寄りがたく会場を後にしました。また、彼の演奏を聞きたいようです。