毎年大学が春休みになると、新年度の準備や自分の勉強に時間を割くようにしている。

こないだ自宅から自転車でいける母校図書館に行った際に、エリソ・ヴィルサラーゼのコンサート&公開レッスンのチラシをみて日曜に行ってみた。
響きの作り方や、構成、ペダリングも、なぜそうするのかがわかる演奏であり、彼女のプログラミングはなぜそういう順番で弾くか説得させられてしまう。楽譜が浮かんでくるし、そこをこうしないと、ここがこう聴こえないでしょ、と全体のバランスも見事。

彼女がグートマンと組んだベートーヴェンのソナタ全集をラジオで聴いて感激してから、ずっと気になってるピアニストで、まさか母校で聴けるとは。

そんな中、母校の客員教授になられ、個人レッスンも10日間くらいやっているようで今回覗かせてもらった。
ロシアを意識した曲、ショスタコーヴィッチのソナタなどは聴いたこともなかったが、大学一年生が見事に弾いて、音の響きだけとれば、ほとんどガチャガチャの現代曲だった。私が大学一年生のころは弾きたいとも思わなかったし弾けなかったかもしれないと思い、後輩の活躍を思った。レッスンを聞くと、最初よりかなりどんな曲がわかるよう彼女のレッスンで大学生の演奏が変わった。

私が学生を終えた年齢は留学から父が亡くなり帰国したときで若くはなかった。
それから、今まで母校のレベルも上がっただろうし、弾く曲も変わったのか。
その当時でもメシアン、武満、ベルク、シェーンベルク辺りは弾いたが、ラフマニノフ一番のコンチェルトやショスタコーヴィッチのプレリュードとフーガやソナタなどロシアでは主流であろう曲を選曲した後輩たちをみて、私はこの数十年何をやっていたんだろう、と正直思った。

教えることにしても、音楽を指導したい。
ドイツで学んだスタイルや譜面からどう読んで表すかを。

何をやってきたんだろう。

環境って大事ですね。
流されず、コツコツと自分の勉強を続けていきたい。
またこうしていろんな勉強の場に参加できたらいいな。
久しぶりの投稿になります。
今日は、小5の娘の塾の話。

娘の要望で10分くらいで容易に食べられるもの、ホットドック、おにぎり、お稲荷さん、たまには半熟卵をお肉系に乗せて丼にしてやり、あとつまめるようなお惣菜をいれ細長い2段弁当にして重ねてリュックにテキストが入っていても収まるような嵩張らないスリムな弁当箱にいれてます。

それが、最近、「食べる時間がない」という。片方の弁当箱を残してきたりでびっくり!お茶も、余程緊張してるのか殆ど水筒の減りがなく、一口飲んだか飲まない日もあったりする。

それで、最近娘が疲弊してきていて、決して食べるのが遅い方ではないので、10分食べる時間が塾でないのではないかと心配になりました。
丁度塾で面接があったので、担任に話しておきました。すると、「食べ終わるのをまってるんですけど」そのうち、「食べ終わった子を待たせておけないので」
これが本音だ!と思いました。
要するに秋になり膨大な量を生徒に課したいので、1分でも早く始めたい、前の授業も時間が押す、だから娘の食べる時間は減る。
こんな推測をたてました。


暫くすると、塾帰りの娘から、「もう、毎回あの先生、部屋に入ってくるなり、オーイ、◯◯(娘の名前)、弁当食ったかー!っていうから皆に笑われるんだよ」という。
そのうち、アダ名がつくよと主人。

だけど、あの先生、一応私の言ったこと気にしてくれた。っていうか、丁度塾のアンケートを提出する期間だったから、クレームが上に行ったら困ると思うのもあったかもしれないというのもあるだろうなと、塾の裏側をみた気がした。

「弁当食ったかー!」が頭をめぐる。


最近、教える仕事と我が家の子育てに過保護、過干渉の文字を他人から突きつけられてる気がして時が過ぎています。
明日から一つ子どもに焼く世話を一つやめましょうという講座を聴講してきました。
自立を促すために。



それから、私が完全主義だと周りから言われて。


確かに、細かいかもしれませんが、どうやると自分が思う目標に近くなれるか考えるとそうなるだけなんです。
それに、完全主義と呼ばれても完全になんてできた試しはありませんから(笑)

ただ、何かをやろうとするのに、最初からこれはしなくてもいいや、とそんなに理想を負わなくても…というのがあり、自分がそこまでやりたいという気持ちが薄いから細かいことも嫌になるのかなと解釈してます。ある程度やってみての失敗はあり、だけどやる前から失敗するのが誰の目にも明らかだと、私は教育現場で茶々をいれたくなる。

それから、子どもは興味のある方へ引っ張ったり、環境を整えたり、子どもの気持ちを乗せるよう、モチベーションを高くするには小さいうちは親の力だと私は思ってます。

だから、そこまでやるのは、「やりすぎよ!」と言われる方はできないか、お子さんがその後上手く乗ってこず甘えてしまったり伸びないからじゃないかと…
子どもとは、アメとムチの駆け引きだと思います。

忘れ物を届けたり、宿題はやった?、ハンカチもった?も学齢のみならず、個々のお子さんを親がどれだけ把握してるかで、過干渉か過保護の分かれ目かと思います。

実際、レベルの低い話で恐縮ですが、うちはひと頃よりハンカチちり紙は親が言わずとも大丈夫になりましたが、その年齢が遅いか早いか、もしくは女の子だから男の子だからということも考慮に入れ、個々のお子さんによると結論を出しました。

教育の立場からはやはり、どうするとその子が成長できるかという観点が重くのしかかります。だから手をかけます。

でも、受講した講座の講師の方は、その子がどうしたら世の中の困難を1人で乗り越えていけるか力をつけるために、手を離すのだといいます。

私は、「ふーん、そう思うんだ。」でも、全部が全部それじゃあ手を離しすぎ、ほっときすぎだと。
ケースバイケースと思います。

女の子と男の子でも違うと思いました。

また頭の中がまとまったら書こうと思います。