今日はハイジの日・子どもの頃私はまぎれもなくハイジだった | HANANOのハーブとアロマのある暮らし

 

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父親は若いころ兵庫県の砥峰高原と
言うところで農場をしていた。
 
経営ではなく、兵庫県の開拓団募集に
応募したようで、毎月県庁に行くとき
は母と私もついていって神戸の街を楽
しんだことを覚えている。
 
羊もたくさん飼っていた。
大根をたくさん作っていたことも覚え
ている。
 
父や母、そして近くの村からお手伝い
に来ている おじさんやおばさんが作業
をしている近くの木にロープをかけて、
父はブランコを作ってくれた。
 
友達はウサギだった。
おもちゃは山からとれる粘土だった。
 
私が10歳で弟ができるまで学校が休み
の日は、山の生活が続いた。
 
その後弟ができてからは、父は一人で
ジープに乗って山に出かけ、夜に帰っ
てきた。
 
今思い出すと3つ子の魂100までと言う
が、チャレンジャーだった父親のため
母親はずいぶん苦労したようだったが、
私は貴重な体験をさせてもらったと感謝
している。
 
結局不作が続き、父は転職するわけだが、
夏の夜の満天の星の美しさは忘れられない。
 
砥峰高原は、今では観光地となっているが、
私の原点は、裸足で走り回りロープの
ブランコを思いっきりこいだハイジの
ような暮らし方にある。
 
あの日の私が愛おしい。