『ここから飛び降りたら楽になるかな』
『死にたい』
『もう生きててもしょうがない』
マンションに住んでいたため、仕事中そんなメールが鬱の母から来ると気が気ではなかった。会社を早退もしたことも度々あった。
そんな言葉を母の口から、そして母からのメールから毎日のように聞かされた。辛かった。どうしようもなく辛かった。
でも、母の笑顔をもう一度みたい!絶対大丈夫!今は辛いけど、絶対家族で幸せに笑っていられる日が絶対くる!そう思いながら、根気強く励ましていた。
『お母さんが死んじゃったら、私もみんな悲しむよ』『私がいるからね』そんな優しい言葉をかけ続ける日々。
現実を受け入れられず、自分の感情も分からなくなるほど動揺したのを覚えている。まだまだ鬱状態の母と共に、救急で運ばれた病院へタクシーで急いで向かった。
到着するなり、急いで妹のいる病室へ。担当医師から『意識は朦朧としているものの、幸いにも命には問題ない』とのことで、安心した。ただ、PTSDがひどく、トラウマ症状がある為、精神病院への入院が決まった。
もうキャパオーバーというか、意味が分からなかった。自分以外の家族全員が心の病に犯されているという現実。
22歳の私には、この辛い現実はとうてい受け入れがたいことだった。まるで越えられなそうな、固くて高い壁。
でも、どこかで乗り越えられないことなんてやってこない。乗り越えられることしか訪れない。そんな言葉がふっと頭をよぎった。『大丈夫!乗り越えられる!』と、強くて諦めないもう1人の自分がいた。→つづく