違うということ
こんにちは原本しづかです。今日もみなさまおつかれさまです。イスラエルの戦争の話、衝撃的なニュースですね。タイにはイスラエル人も多くいます。子どもたちの学校関係の友人も、イスラエル出身。今朝会ったときに、「家族、お友だちは大丈夫?」と聞いてみました。幸いなことに、その友人の知り合いは巻き込まれた人はいないとのこと。でも、攻撃を受けている場所は友人の家からわずか2キロのところということでした。友人は、こうも言っていました。今、自分はタイにいるからできることが少なくて辛い。でも、できるだけのことはやったんだと。何をしたかというと…もちろん、家族友人に連絡を取る。そして…今タイに来てる若者たちがイスラエルに帰れるようにフライトの手配を手伝ったとのこと。彼らはアーミーに参加するべく帰国するんだそう。衝撃でした。もし日本で同じようなことが起きたら?戦うために日本に帰る…?その考えはなかった。武力に武力で応じても、何も解決はしない。事態が悪化するだけ。そんなふうに思い、喉まで出かかりましたが言えませんでした。たとえそれが正論であっても、今苦しみの中にいる人たちにそれを振りかざすと、武器になってしまう。ましてや、私なんて何もできない。平和ボケした、現実を知らない日本人。ただただ、私と彼らは違うそれを痛感しました。正しさは無意味。彼は最後にこうも言っていました。今自分ができる最大のことは、自分の子どもたちをハグすることだ、と。今いる場所で、何ができるか。今この瞬間をどう生きるか。違う考え価値観、その中で、わたしたちはどう相手を思いやるのか。私たちは、みんな違う。そう強烈に痛感した朝でした。