【Day89 2025.12.1 イスタンブール国際空港→日本】
イスタンブール国際空港を飛び立った飛行機は羽田に向かった。
イスタンブールは約20年ほど前、私が初めて一人旅をした地で、私の旅の原点である。
しかしそれ以来訪れていない。
空港とはいえ、カミーノを終えてこの地を訪れることに何かしらの意味が見いだせるのではないかと、私はどこか期待していた。
しかし空港内部はどこも同じようなもので、なんの感慨ももたらせなかった。
搭乗口に集まった乗客は日本人と外国人が半々と言ったところである。
日本語が聞こえると、ああ、あの世界に戻るのかと実感する。
帰国便は思っていた以上にスムーズだった。
旅をしていると時々、移動に関して想定外のハプニングが起こることがある。
先日のアルヘシラスからマラガへのバスのように。
それはかつてイスタンブールから帰国する際にも起こったことだった。
そんな時、私は土地が私を引き留めていると感じる。
今回、スペインはあっさりと私を送り返してくれた。
搭乗を待つ間、飛行機に乗っている間、私はこの日記を一から読み直した。
そんなこともあったなと最初は懐かしんでいたが、徐々に誰か別の人の出来事のように感じた。
特にタリファ以降ここ数日のことは、なんだか現実味を持って感じられなかった。
そして日本が近づくに連れて、長い夢から覚めて旅に出る前の自分に戻っていくような感覚を覚えた。
そのことを私は悲しいとも寂しいとも思わなかった。
むしろある種の安堵感さえ覚えていた。
以前の私だったらそのことが悲しいと言っただろう。
しかし今はただ坦々と受け止めている。
それは今までの旅にはない感覚だった。
ふと、日常とカミーノ、あるいは旅は、“対”なのかもしれないと思った。
どちらか一方では成り立たない。
ウリムとトンミムみたいに。
YesとNoみたいに。
気づいていないだけで、世の中はそういうことで満ちているのかもしれない。
宇宙は常に均衡を保とうとする。
何かが産み出されたら、逆ベクトルの何かも産み出される。
だったらなぜ存在するのかと問いたいが、結局、人も宇宙もドラマや物語が好きだし、何も存在しなかったら時間が存在する意味がない。
もしかしたらこの世界は、状況から抜け出して“対”を探し当て、打ち消し合うゲームなのかもしれない。
サンティアゴでカーリーンとジョンと三人で話していた時のことを思い出した。
話題はこの世界は良くなっているかどうかについてだった。
カーリーンは優しく繊細な彼女らしく、気付き始め、変わろうとしている人が増えているから、良い方に変わっていっていると言う。
冷静なジョンは彼らしく、そうかな、世界を見てみろよ。トランプにウクライナにガザ、本当に良い方に変わってるって言える?と問う。
私は言った。
世界は一つじゃなくて一人一つなの。
私も、カーリーンも、ジョンもそれぞれの世界を持っていて、それがこうやって交わるだけなの。
今、この空間、この実際に感じられる空間だけが世界なの。
ニュースやゴシップのように実際に感じられないものになんの意味もない。
大事なのは私たちが実際に感じられる範疇だけなの。
それ以外はただの情報で、重要じゃない。
二人は少し驚いた顔をしていて、伝わったかはよく分からなかった。
私の下手くそな英語で抽象的な概念を説明するには限界がある。
一人一つの世界が存在するのであれば、そのルールもその世界分だけ存在していいだろう。
私は私の世界のルールを一つ見つけたのだ。
それは生まれる前に、自分で決めたルールのような気がした。
人生は、自分の世界のルールを発見する旅なのかもしれない。
この日記の初日、私は宇宙空間に放り出されたような不安定な感覚に襲われたと書いた。
それは数日前、微睡の中で“私は誰?“と問うた時も同じ感覚だった。
私は今、なぜか安心感の中にいた。
日本に帰ったらいろいろと現実的なことが待ち受けている。
しかしそれに対して不思議と不安や恐怖や避けたいという気持ちは湧いてこなかった。
私が書いた脚本なのだ。
安心して演じればよい。
飛行機の中で、今も同じように宇宙空間に放り出されたような感覚である。
それは以前のような暗闇の中、掴むものを探して手足バタつかせるようなものではなく、生温かい空気に包まれて浮いているような感覚だった。
インドのバラナシでガンガーに浸かったときのような。
あるいは母の胎内にいた時はこんな感覚だったのだろうか。
母親になると言うことは宇宙の側になるということか。
それは素敵な感覚だろうな。
子どものいない私は思った。
”私は誰?“
最後の問いの答えはまだ浮かんでこない。
それは一生をかけて少しづつわかっていくことなのだろう。
問いと答えは“対”なのだ。
その答えはいつか必ず見つかるだろう。
最後の日記を書き終えホッとした私は、持て余した時間を機内サービスでアメリカドラマのF•R•E•N•D•Sを見て過ごした。
大好きなコメディなのに、見ていたらなぜか急に寂しさが襲ってきて、胸がキュッとなった。
以前も書いたがそれは振り子のように左右にゆれる。
しかしその揺れはそれほど大きくはない。
程なく真ん中で止まるだろう。
飛行機は着陸態勢に入り機内の照明が消えた。
羽田空港に降り立つまで、もうあと数十分だ。