【Day45 Camino de Santiago】2025.10.18 挑戦状 | ちびタンクのひとりごと

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【Day45 2025.10.18 オリーヴァ・デ・プラセンシア→ アルデアヌエバ・デル・カミーノ 28km】


ああ、本当は違う。

昨日の日記はあげた時からそんな思いだった。

タイトル通りうわの空の1日だった。

思考に囚われた1日だった。

でもそれはほとんどサイモンについてだった。

そのことについて素直に書くことができなかった。

それでは日記の意味がない。


昨日、彼が居る街には私の知っている人が随分といるようだった。

サイモン、リア、マリオ、べぺ、そしてヒルク。

いつかの日記でサイモンにお似合いなのはヒルクだなんて書いたことを後悔した。

本心ではそんなことを思っていないのだ。

彼らは出会って仲良くなっているかもしれないと勝手に妄想して、嫉妬している自分がいる。

バカじゃなかろうか。


最初はホックが引っかかってるな、くらいだったのに、Tシャツを預かって余計にこんがらがってしまった気がする。少なくとも私は。


一人でいたくなかったのは、そんな思考から逃れたかったからだ。

誰かがいたら気が紛れただろうし、薄まっただろうに。

それなのにまるで、その思いを噛み締めろとばかりに一人である。

そのせいで、思いは余計に濃くなってしまった気がする。


昨日昼寝をしたせいか、今朝は3時前に起きてしまった。

暖かくて快適な布団なのに、また思考が動き出してしまう。

観念して音楽でも流そうか。

アルフセンのテラスでサイモンが流したU2のwith and without youを思い出した。

知っている曲だが歌詞をきちんと読んだことはない。

調べてみると、英語が難しいだけでなく解釈もやたら難しい内容だった。

気づけばそれも、彼に関連することではないか。


結局、二度寝はできずにそのまま起きてしまった。

朝ごはんや支度を済ませて朝6時半に出発する。

今日も小さな町のためすぐに街灯のない牧場の間に入った。

ヘッドライトの灯りを頼りに歩きを進める。


思考は昨日から繋がってしまっていて、変化は見られない。

手放したいけど手放そうと思え思うほど囚われてしまう。

だったら受け入れて、満足するまで味わい尽くすしかないのではないか。


もういいや。

思いたいだけ思って、考えたいだけ考えよう。

きっとそのうち飽きるだろう。

いつも解決してくれるのは時間なのだ。


大事なのは感情を手放すことではなく、受けとめることではないか。

感情の手放しなんて意図的にできることではないのだ。


それをどこまで正直に書けるか、そっちの方が問われている気がした。

どこまで逃げずに自分の感情を見つめて、かっこつけずにありのままを曝け出すことができるか。

そのことに挑戦状を叩きつけられているような気がした。


時々立ち止まって空を見上げる。

後ろから、昨日よりさらに細くなった月が追ってきていた。

その感情の底にあるものは、早くしないとあの月のように消えてしまう。

それにタッチしない限り、絡まってしまったチェーンをほぐしてフックを解くことはできないのかもしれない。


ああ、流れ星が流れてくれればと願うが、そういう時にちょうどよく流れてくるほど都合はよくない。


8時少し手間に月の方の地平線が白み始めた。

月の下から太陽が昇るのだ。

その時気づいた。

月の輝きは太陽によってもたらされているのだと。

三日月は三日月で存在するのではない。

ずっと存在しているのに、見えない部分を見ようとしていないだけなのだと。

同じように自分の感情もずっと存在しているのだ。それに光を当ててあげられるのは、自分しかいない。


途中、パヴィアというローマ時代のアーチ型の遺跡がある以外、28kmは極めて淡々とした道だった。

with or without youを聴きながら歩いてみた。

だからといって相変わらず意味は捉えられない。


今日のアルベルゲでは、カナダのおじさんトロイ、オーストラリアのおじさんフランク、チェコのモニカと同室になった。

フランクが日本通で、お遍路をやりたいモニカは興味津々のため、日本のことで話が盛り上がる。

その間、束の間に思考は停止する。

こうやって、少しづつ解放されていくのだろう。


シャワーを浴びながら、ベゴと夫に今日も無事に着いたって連絡しなきゃな、と浮かんだ時に思った。

報告すべき誰かがいるって幸せなことだなと。

そう、私は幸せで贅沢な旅をさせてもらっている。