今年のGWも夫と街道歩き旅をした。
旅の目的地は去年同様善光寺。
善光寺西街道と言って長野県洗馬から善光寺まで約85kmを4日間かけて歩く。
(ちなみに去年は軽井沢先の追分から善光寺までの東街道を歩いた)
それは歩き初めて2日目、5月1日の早朝だった。
ビジネスホテルのベットの上で、不思議な感覚に包まれた。
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私の精神の根本は多分中学生くらいから変わっていない。
なのに肉体だけは変化して、もう元には戻らない。
40代後半になった私の身体はピークを過ぎ、衰えというものが始まっている。
一体、死ぬ時ってどんな精神状態なんだろう?
その時、ハッと気づいた。
身体と精神は別物で、私はこの身体、肉体に乗っているんだと。
まるで車にでも乗るように。
私がこの肉体を選んで乗り込んだ。
そして肉体が本当に機能しなくなったとき、私はこの肉体にさよならを言うんだね。
ああ、そうか。
だから肉体が必要なことは、できる限りやり尽くさないといけないんだ。
それは知識として入ってきたのではなく、“分かる”という感覚だった。
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さらに数日をかけてこの感覚は応用されていった。
心と身体
身体の反応はあなた(私)じゃない
感情は身体の反応から引き起こされること
その感情はあなた自身じゃない
あなた自身は常に変わらない
(例えば、めんどくさいという感覚。
これはあなたが思っているのではなく、身体のメッセージを受け取ったもの。
それを“自分は物臭だ”と思う必要はない。
“ああ、身体は疲れてるって訴えてるんだね”と受け取ってあげること。
それだけでよい)
身体は大切なパートナー
だからパートナーである身体と仲良くすること
最初に”肉体は車のようなもの“と書いたけれど、正確にはもっと意思を持った、言わばペットや馬のようなもの
ちゃんと身体からのメッセージを受け取ってあげること
感覚に耳を研ぎ澄まし、パートナーである身体とよくコミュニケーションをとること
身体を労ってあげること
大好きだよ、辛かったね、嫌なんだね、怖いんだねって
頑張ったね、疲れたんだね、嬉しいんだね、楽しいんだねって
あなたと身体は別物
だけれど大切なパートナー
身体を愛して、抱きしめてあげること
これまでありがとうと感謝すること
これからもよろしくねとお願いすること
境界線は、“外界で起こる出来事“と”身体を含めた私“ではないのだ。
”外界で起こる出来事と身体の反応”と“私”なのだ。
いずれその境界線も無くなっていく。
それが目標だが、とりあえず今はここまで。
さあ、この肉体をもって、この地球を楽しもう🌏