私は人生で何をしたいのかを今一度考えます。今が人生の転機に思えるから。私は22歳頃、結婚よりも就職がしたかったから、その道に進んだ。同世代の連中に邪魔されてお釈迦になりましたが、もしあいつらの邪魔がなかったらどうなっていたのか?私は半永久的に働き続けたのでしょうか、それとも……。結婚と就職を選べた若き日はもう遠い。今の私には、結婚を捨てて就職するという道はもうない。就職に失敗した私を救ってくれようとして、面倒を見てくれたのは、当時40代半ばのオジサンたちでした。今となっては自分もいい歳なのでオジサンとは呼べないけれど、今でも年上男性は好きなのです。だけど20代の時から比べると、尊敬が愛情に変わり、感謝しているということが、人生を引き受けたいという気持ちに変わりつつあります。自分の面倒を見るのも精一杯なのに、他人の面倒なんて見られるでしょうか……。私はネガティブで依存心が強いので、当時でさえ「この人と離れたら生きていけない」と思ったり、「この人は私が支えなきゃダメだ」と思ったり。それを共依存と呼ぶのでしょう。ですが結局私が××未遂した理由なんて大したことはない、その人と離れたことよりも、自分の世界に楽しいことがなくなったから、死を選んだのです。私なんて蓋を開けてみれば、誰かのために頑張るような健気な人ではなく、自分の楽しみのことしか考えない、超快楽主義者だったのです!だから不安です、愛されることも、愛することも。それが実のところ偽りではないかと思うからです。誰も私の蓋を開けて中身を吟味したりしない、人と人が接するのは表面上のことですから。だけどこうも考えられますね、結婚とは相手の人生に就職することであり、就職とは企業・会社との結婚だと。