[建築ふりかけ論(私見)]
ついにエースホテルがリリースされましたね。
おめでとうございます。
「有名な誰かを呼んで、何とかしてもらう」ミーハー日本人の「お墨付き好き」は、昔も今も変わらない。
昔はお墨付きといえば「外人」だったから、頼む方だってそれなりのハードルが高かったし、勉強させてもらうって意図もあった分、マシだったと思うけど。
実際「スクラップアンドビルド全盛期」の日本で、既存建物を実にうまいこと活用してみせた「新風館」は衝撃的だった。あの時、リチャードロジャースに頼んでなかったら、新風館は今に繋がってなかったかもしれない。(エースホテルは新風館という古い建物があったからこそ、日本上陸を決めてくれたと、聞いている)
さて「渡る世間は隈ばかり」、あるいは「アレも隈(新国立競技場)、コレも隈(新新風館)、たぶん隈(新品川駅)、きっと隈(新成田空港とか?)」なる、「隈建築で溢れかえる日本の背景」を私なりに分析してみたい。
超ざっくり言うと、建築家・隈研吾さんは「施主にとって圧倒的に頼みやすいポジション」を築いたのだと思う。それを私は「ふりかけ」ポジションと呼んでいる。
ところで「ふりかけ」の代表格といえば「のりたま」だが、ごはんにかけたら、玄米だろうが白米だろうが「のりたま風味」になる。「ごま塩」をかけたら「ごま塩風味」になる。
一方、「隈さん」の手にかかれば、たとえザハの設計した新国立競技場だって、見事なまでの「クマ風味」になってしまう。平面図も断面図もザハ案に完全一致していていようがなんだろうが、屋根がパラパラしてる新新国立は、どこからどう見てもクマ建築である。
「ふりかけ」は、元の素材(たとえば、既存建物や、既得権や、ゼネコン設計や、ザハの設計)を破壊したりしない。表層的にパラパラッと(大抵は木ルーバー)をふりかけるだけだ。それなのに「クマ風味」にしてしまう。そう「魔法のふりかけ」なのだ。
かくして、ミーハーおじさんは「隈さんにお願いしたんだ♡」と威張れるし、既得権おじさんは「予算内に収まってよかった♡」となるし、行政おじさんは「(デザインはよくわからないけど)有名人がデザインした新名所できた♡」となる。そう、みんな「ハッピー」なのだ。困る人は殆どいない。
困ってるのは、方々で隈さんに行く手を阻まれる「若手建築家」くらいなものだ。そのせいで、若手建築家はいつまでも貧乏から抜け出せないって?「だったら君も隈ジムで働けばいいじゃないか!」隈さんは優しく手を差し伸べてくれる。ああ!なんて素晴らしい、隈さんは神なのか。
そう、隈さんは感じがいい。おまけに背が高くてカッコいい。東大の教授なのに、物腰が柔らかく、偉そうにしたりない。プレゼンも抜群にうまい。現場のおじさんの言うことだって素直に聞き入れてくれる。かわいい子にはにっこり微笑んでくれる。ましてや、日本の既得権益を脅かしたり、文句つけたりしない。なんといっても「ふりかけ」なのだから。
「金を出してる施主のオレが、なぜ偉そうな建築家の言うことを聞かなきゃなんないわけ?」という、日本中でささやかれていたお金持ちの「ボヤキ」を隈さんが一手に引き受けて、解決しちゃったのだ。
隈さんに出逢った誰もが、隈さんのファンになる。トップのおじさんが「隈さん最高!」と褒めちぎり、クチコミがクチコミを呼ぶ。いまや隈ジムは大組織事務所で、給料だっていい。
さらにいえば、隈ジムではかなりの仕事を任されると聞く。何故ならば隈さんは世界を股にかけるミラクル売れっ子の建築家だから。ゆえにスタッフはバンバン仕事を担当させてもらえる。なぜって、若手だろうが、外人だろうが、木ルーバーをパラパラッとしておけば「クマっぽく」なるのだから。つまり隈さんは建築界では誰も成し遂げられなかった、あの「量産」さえも可能にしたのだ!
こうして、日本中をパラパラにするため、里山からスギ材をせっせと切り出してるから、花粉症人口が減少してるとか、してないとか。社会貢献もカンペキだ。
かくして、日本中にパラパラ建築が溢れかえり、建築界最高峰の東京大学教授となり、誰の追従も許さない「圧倒的王者」となった。それが「負ける建築家」であり「ふりかケンチク家」隈研吾なのである。
(と私は思う)
そんな隈さんに果敢に挑む事を巷では「クマ退治」と呼ぶとか呼ばないとか。
注釈: 隈建築の素晴らしさは表層だけではありません。ぜひご自身で体験してみてください。ちなみにあの「パラパラッ」とした木ルーバーは、超法規的な解釈、ならびに相当な技術力が必要です。よい子は真似をしないように。
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