最近の趣味は 完全に園芸関係です。

去年からは 薔薇の鉢植えに手を出してしまい

毎日 水と肥料と消毒のことで

頭をパンパンにしています。


コレはあれですね 育児と一緒です。

剪定した小枝も棄てるのが惜しくて

ユーチューブ見い見い 挿し木にも挑戦しました。

もう 絶対 失敗するに違いない。


不安のあまり バラの小枝をジッと凝視しています。

そういえば菜花はまだ食べ続けていますが
そろそろチョウチョに後を譲ろうかと思い始めました。
そこで一句

食い飽ひて やっとさかりの 菜の花畑

お粗末でした


閑話休題

宮沢賢治のセロひきのゴーシュをユーチューブで

あれこれ聞いていました。


その中の有る方の指揮者の表現に

おや?と違和感を感じたのでなぜなのか考えました。


冒頭でゴーシュを散々叱る指揮者がエラく落ちつきはらって冷静なのです。


練習中の指揮者こんなじゃないのでは。
身体の中に音楽が渦巻いていて
ピリピリしたライオンみたいになっている、というのが私の印象なのです。

(学生時代クラシック系の音楽サークルにいたことがあります)


この指揮者はゴーシュを泣かせてしまうのですが

彼を意地悪とか威張っていると解釈しては間違いで

音楽への情熱のあまリ厳しい指導になっている、

という人物だと理解しています。


だからこそ最後にゴーシュを

手放しでほめてくれるのです。

ゴーシュも一生懸命だし指揮者も一生懸命なのです。