このGWは、岩手県宮古市の実家へ帰省していました。

震災後初めての帰省です。


実家の両親や妹とは、毎日電話やメールで連絡をとり、元気な姿を確認してきました。

ほぼ平常の毎日を過ごしていると思っていました。。。


しかし、実家の近くにはまだまだ瓦礫が残り、津波で流されてきた泥が乾燥して土埃が多い状態でした。また、悲しい出来事もたくさん耳に入ってきていて、心も傷付いていました。。。


震災から間もなく2ヶ月が経とうとしています。

いつになったら、被災者の方々の傷が癒されるのか・・・



宮古市田老地区、大槌町、釜石市を見てきました。

言葉がありません。

幼いときから親しんできた街がありませんでした・・・


15メートルはあろうかと思われる建物の屋上に、瓦礫が見えました。

アンパンマンのぬいぐるみが瓦礫の中に見えました。

涙が止まりません。


現地へ行って、テレビなどの報道だけでは知り得ないことがたくさんありました。

もっともっと、被災地の現状を発信してほしい。


菅総理大臣が、家族団らんで中華料理を食べてご機嫌な表情が報道されました。

そのとき私は、瓦礫の近くにいました。

菅さんだって、休みは必要ですし、家族と食事だってしても当然でしょう。ですが、その姿をテレビでは観たくなかった。。。

自粛はひかえよう。なんて呼びかけていますが、総理大臣と、各大臣、政府関係の方々は、自粛するのが当然だと思うのですが。



震災後初めて、友人に会いました。

毎月一度は食事をしている友人です。


彼女のご実家は茨城県の内陸で、続く余震を心配していました。

先日の、茨城を震源地とする大きな地震の時は、ご実家である病院のエレベーターが止まったそうです。


そんな彼女とは、2ヶ月振りの再会です。


先々月、友人の4歳のお嬢様のピアノ発表会にご招待を受け、花束をプレゼントしました。

そのお礼にと、白金台にあるショコラティエ・エリカのドラジェをいただきました。

初めてのショコラティエ・エリカです。

パッケージが、ジュエリーの箱のようでかわいらしい。


震災の情報や続く余震で、どことなく落ち着かなかった私でしたが、久しぶりの友人との食事会で気持ちが明るくなりました。

彼女は、「GWに、景気盛り上げのために香港へ旅行するわ!!」と言っていました。


次に会うときは、お土産話が楽しみです。


東北関東大震災から1ヶ月が過ぎました。


あっという間の1ヶ月。

被災地の方々にとっては、もっと早かった1ヶ月ではなかったでしょうか。



私の実家は岩手県宮古市。

防潮堤からわずか200メートルのところに両親と妹が住んでいます。


家族とは、震災の日から2日間連絡が取れませんでした。

テレビから流れてくる情報は、「壊滅状態です。」ばかり・・・


きっとみんな大丈夫!避難しているはず。信じよう!!と思いながらも、一時は、覚悟を決めなければならないのか・・・とさえ思えてきました。


2日目の朝、実家近くに住んでいる伯母から電話がありました。

「みんな無事!・・・でも・・・」

釜石市で働いている妹と、ちょうど仕事で釜石に行っていた従兄弟の安否が分からない。と泣きながら言うのです。


その後、妹から電話がありました。

「従兄弟と会って一緒にいるから!大丈夫!!」


良かった・・・一安心しました。


しかし、犠牲になられた方は多く、手放しでは喜べません。


知り合いでも、行方不明やお亡くなりになられた方がいらっしゃいます。

3ヶ月の赤ちゃんを抱いたまま亡くなられた方、犬を助けに戻って流された方、宮古に住む両親に婚約者を合わせようとして津波に遭われ亡くなった方・・・

人の数だけ、悲しい現実があるのです。


大津波は、思い出だけではなく命さえも奪っていきました。


今はただ、ご冥福をお祈りし、生かされた人々が精一杯生きていくほかないのです。

それは、被災地の方ばかりではなく被災しなかった私たちがすべき事だと思います。



伯母からの電話の第一声は、「東京のmyuちゃんたちは大丈夫??心配で心配で・・・」でした。

どうして!私たちは大丈夫よ!!

自分たちのことよりも、遠く離れた家族を想う、これが家族なんだな、と涙が止まりませんでした。