私はこの海を日々落ち続けている。訳を話すと長くなるが、話を分割して要約して説明しよう。

 

私は過去「あの山を登れ」「そしてあの丘であの色彩の華を見よ」と言われその言葉をずっと信じ登って来た。

 

しかし、この山は全体が岩で出来ていて夏にも関わらず雪が積もっていてとても登るのに適していないような不思議な山だった。

 

だが私はあの言葉だけを信じ山頂まで登った。

 

しかしなんだ。2週間かけ苦労して登ったあの山の山頂にには一輪だけの華が咲いているだけじゃないか。

 

私はあんなものの為に私は登ったのかと少し落胆をした。まるで火のつけられたレスキューのロープみたいだ。

 

取り敢えず言われたことを思い出しあの一輪の華をスマホのカメラで撮影した後すぐ下山をした。

 

景色は顧みずに。

 

しかし私はその道中、足を踏み外し、滑落してしまった。

 

だが恐怖感は無かった。

 

それは地面は水面で活、海だったからだ。

 

私は少し落ちる不安があったまま海にに水没をした。

 

そうして今に至る。

 

しかし、この海を落ち続け早いものでもう100年。少し分かった事がある。

 

この海は落ちると同時に現実と呼ばれる非現実の錯覚が自身の眼に投射され、

「自分は落ちている」と無理やり、ない現実のテンプレートを投影されるようだ。

 

ここに来るまでは私は海に落ちていると思ったがよく見て見れば一面は黒く濁った雲だった。

 

初めからこんなのは無かったのか。私は心底安心した。

 

今、自分が羊と揶揄された蔑称を付けられていたか訳が分かった気がする。

 

私はこの虚栄を誇る家から蹴落とされこの雲の海に来たようだ。

 

おや? また滑落者が来たようだ。

 

こんな事、「あり得ぬ」とすぐ吐き捨てられたことなのに。

 

もう落胆したって意味はない。

 

私はもうじき落下しきるだろう。あとはこの願いは次に託すだけだから。

 

「では。」

 

私はそう言い残し、地面から立ち上がり目の前にあった回路を切った。