【講評】特選五句について  中原道夫選・評  [兼題]当季雑詠

百千鳥ときに礫となりて飛ぶ  板見耕人

百千鳥は特定の鳥ではなくいろいろな鳥の意味で使う。集団で行動する鳥もいれば、あまり群れない種類もいる。稲雀などは大群で、収穫の秋には〝投網〟を広げたような姿で移動する。揚句は「ときに礫と―」という中七の形容に頷くことになる。柔らかいものなのに固まるとまるで硬い〝礫〟のように見える。
  
妻と来し那須の枯野に自撮り棒  柳沼宝海
  
今となっては懐かしい思い出になってしまったよう。枯野では出会う人も少なく、撮ってもらうことも出来ず、やはり自撮り棒を持参したのは良かった。こういうタイプの句は中七にそれぞれ思い出の土地を当て嵌めて、尾瀬の―、近江の―と、シチュエーションと季節を組み合わせる―というように、ご当地俳句として互換性を愉しむことが出来る。

春の日や本家の墓の消えてをり  池永一生
 
うららかな一日、墓参で故郷へ帰省したか。まず自分の家の墓にお参りして次なる(ついでだからと)本家の墓にもと思い行くと墓が消えていて驚く。本家からそんな墓仕舞の話も聞いていない。近ごろ跡継ぎもいない家の墓仕舞が流行っていると仄聞するが、まさか分家の我が家に連絡もなく―まったくの寝耳に水。これからもこういう事態が増えていくのだろうか。暖かな日だけに妙な寂しさが漂う。

冬日射す瓦礫の中の草一本  柳沼宝海

恐らく能登大地震その後に残された荒涼たる景。三陸沖地震の津波の引いた後の凄まじい瓦礫の山とダブって見える。少し落ち着いたものの、さほど片付くふうにも見えず、依然として景の中にある。「草一本」と限定せずとも、瓦礫の中に伸び始めた状態であれば「草の丈」と、一本に拘ることもない。

 

〈全出句・得点順〉
特6 百千鳥ときに礫となりて飛ぶ 耕人 
特5 妻と来し那須の枯野に自撮り棒 宝海
特4 春の日や本家の墓の消えてをり 一生
入4 魔の山の木霊も凍る白き壁 をさむ
入4 たゆたうて人みな梅に許されに 耕人
特3 冬日射す瓦礫の中の草一本 宝海
入3 春時雨とどまることを手放して はつ音
入3 のどけしや花観音も眉ひらき 耕人
入3 圧死する人数多(あまた)能登に牡丹雪 溢平
 3 白魚の小さき一盛何グラム うらら
特2 真夜中の貌は知らねど冴えかえる はつ音
入2 紅梅の陽に日にほどけ我もまた はつ音
入2 掛け布団すき間にすっと余寒かな 溢平
入2 薄日差す屋根に植木に雪まだら 亜紀
 2 坂上の伴天連屋敷冬薔薇 をさむ
 2 春雷のトレモロのごと近づけり うらら
 2 春岬プロペラ並ぶ風の道 一生
 2 鬼が道聞くは空耳節分祭 うらら
 2 ひい孫の喜怒哀楽や障子越し 宝海
 2 夜興引(よこひき)の犬も車で向かいけり をさむ
 1 春驟雨聳ゆ煙突かすみをり 一生
 1 椿まだ零れぬほどの重さかな 溢平

 1 烏鷺の攻め一手の音や春の雷 亜紀
   席ゆずり一寸ほっこり春の月 亜紀

次回の互選句会は3月26日(火)午後2時から新橋・生涯学習センター204号室)です。