火曜日に過労からか、急性胃腸炎で倒れ、七年間、一度も休まなかった仕事に穴を開けてしまった。
何が体に起こったのかわからないまま、点滴をうち、まだ固形物が食べられないが、人の体はすごいもので、ちゃんと働き、またちゃんと考えられる。
この何がおこったわからない、
うまく言えないが、宝石箱に独りで閉じ込められ、そこに鍵をかけられたような気持ち。
この世界中で、生きてるのは、自分だけなような、浮わついた怖さ。
一年前の今日、大きな揺れのあとの気持ちだ。
あれほど長く揺れたんだから、どこかに今の状況が発信されてるはずだと、すべてのメディアを開いたが、
関東の状況はどこにもなかった。
仕方ない、2分前に東北が激震し、その情報を流すのに精一杯だった。
あわてて外に出て、しばらくうろついても、人っ子一人おらず、
電話も電機も、水もガスも止まった。
津波!
と頭によぎり、海沿いの実家に電話…通じない。
とりあえず、落ちたものを片付けて、財布を握りしめてコンビニに行った。
水が必要だと思ったからだ。
そこで、店員さんがいるのを見て、本当に安心した。
良かった。孤立してない。
電波がつながれば、TwitterもFacebookもすばらしい。
実際、ワタシもそこから以前の仕事場の被災者を探した。
でも何もかも止まったとき。
生きて動くもの、紙と鉛筆があんなに大切だと思ってなかった。
そして、いちばん響いたのは、
ひとがひとだからやること、頭でしっかり自分の体を動かすことが大事だということ。
1年がたつ今日。
あのときの怖さを思いだした。
ひとは、瞬時にすべて解決する場当たり的な方向に向かいすぎず、
利便性に頼りすぎず、
待つことも、斟酌することも、時にはすぐ解決しない我慢も受け止めなきゃなんないんだ、
と、強く思う。
その引き締めをして、夢ややさしい気持ちや、希望や、関わりが、ふっくらと。
まるで、パンが温かくふくらんで、やさしい香りに包まれるように膨らみますように。
2012年 3月11日 に記す。