小学校1年生の時の校区運動会。今でも鮮明に覚えている出来事があります。

町内会の女の子たちで集まり、カラーのビニール紐で作ったポンポンとスカートを履いて写真を撮ることになりました。応援の言葉を1文字ずつ持つのだけど、私は一番端っこの「ト」の文字。

そして、周りのみんなはカラフルなポンポンとスカートを履いているのに、私だけが「白」だったのです。

当時の私は幼心に、

「私だけ色をもらえなかった」

「端っこに追いやられた」

「私達は仲間外れにされているんだ」

と強く思い込んでしまい、その寂しさと疎外感は小学校を卒業するまで私の心に影を落とし続けていました。

だけど今、エイブラハム(ソース)の視点からあの日の出来事を捉え直してみたとき、全く違う景色が見えてきたのです。

あの強烈なコントラストがあったからこそ、私の魂は宇宙に向けて大きな願望のロケットを打ち上げていました。

「端っこだろうとどこにいようと、私は私という存在そのもので輝きたい」

「人から与えられた色ではなく、自分自身の本来の美しさを自由に表現したい」

「誰一人として省かれることなく、みんなが受け入れ合える温かい世界を創りたい」

当時は「私だけ色がない」と悲しかった「白」。

でも実は、白という色は「すべての光の色を含んだ、何色にでもなれる無限の色」だったのです。

外側の評価や誰かから与えられた役割に傷ついたあの体験を経て、今の私は、自分の中に制限をかけることが驚くほど少なくなりました。

誰かから評価されるための色を選ぶのではなく、自分自身の心地よさ(アライメント)に合わせて、自由に自分の「色」を感じ、身につけられるようになったのです。

「今日は可愛いピンクの気分」

「今日は情熱的な赤の気分」

「今日は自然体でいられるグリーンの気分」

「今日は何色にも染まれる自由な白の気分」

誰かに選ばれた色ではなく、自分が心から「好ましい」と思える感情や色を自由に表現できるようになったこと。それこそが、あの日の私からの最高のプレゼントでした。

あの時、一番端っこで白い服を着て、寂しさに耐えてくれた7歳の私へ。

「悲しい思いをさせてごめんね。そして、最高の望みを打ち上げてくれてありがとう。今の私は、どんな色でも自由に纏える本当の豊かさを手に入れて、毎日を自分の人生の主役として生きているよ。」