1年・2年の漢字を使った言葉が、日常生活にはたくさんあることは誰もが知っていることでしょう。
そして、それらを子どもの理解度に関係なく、大人は自然と使っているんですよ。
つまり、日本の子どもたちは日常的にそんな言葉のシャワーの中にいるのです。
それなのに、学校教育の中では、教科書に出てきた言葉から漢字を習い、
単漢字だけをきれいに整えて書けるようにさせます。
しかも訓読み優先で習わせています。
そんなもったいないことを、どうしてそのままにしておくのでしょうか?
忘れもしません。長男(社長)が小学校2年生の時に、「強」を習ってきました。
テレビのダイナマンやシャイダーを見ていると「強力パンチ!」が出てきます。
街中の看板広告などに「強力パワー」を度々見かけます。
それをことごとく「つよいちからの・・・」と読んでいました。
「“つよい”はキョウ、“ちから”はリョクって読むんだよ。続けて言ってごらん」と促しても、
絶対に「つよいちから」としか言いませんでした。
「だって、学校の先生は“つよい”“ちから”しか教えてくれなかった!」とガンとして言い張りました。
「お母さんも学校の先生なんだから、信じなさい」と言うと、
「お母さんは盲学校の先生でしょ!」とあくまでも抵抗し続けていました。
書けるようになった漢字を二つつなげた言葉(漢語)が、世の中にはこんなにあふれているのに、
それを正確に声に出して読めないなんて、もったいないこと極まりない!
もう一つのもったいない話は、盲学校の子たちです。
聞くことによって言葉を習得していく盲学校の子たち。言葉には非常に敏感です。
しかし、彼らにわかる訓読みだけの言葉で話すことは不可能です。
テレビからも、日常会話でも、多くの漢語が使われています。
大人が子どもに語る言葉の中にも、相当な数の漢語が含まれています。
(一度意識してみてください。びっくりするような量ですよ!)
盲学校の子たちには漢語の音だけがインプットされます。
その漢語がどのような文字で構成されているかは知る由もありません。
訳の分からない音の並びを、場面に応じて、この時はこんな言葉を使うんだ、こう言えばいいんだと、
ただ真似をして使い慣れているだけなのです。
盲学校の子たちに漢字教育を始めたときに、音読み漢語を訓読みに言い直して説明すると、
「この言葉にこの意味の漢字が使われているんだ!
だったらこれもこの漢字が使ってあるんでしょ!」
と目からうろこが急速に落ちていくような驚きで言葉を再認識していきました。
もちろん見たことも書いたこともない漢字ですが・・・
それからというもの、言葉の意味を知ろうとどんな漢字が使ってあるのかと質問攻めにあいました。
そして、一つ一つの言葉を正確に把握していく感性を磨き、言葉感覚を身に付けていったのです。
今までシャワーのように浴びせられていた言葉を理解していくのに時間はかからず、
その吸収量とスピードはものすごいものでした。
そんなことから考えると、一般の子たちは思いっきり恵まれています。
漢字が見えて、書けて、認識できて、一字ずつの意味がわかり、
その2字の組み合わせで何のことを言おうとしているのかがほぼつかめます。
漢語の理解のヒントがいっぱい見つけられる目と技能と知識はすでにあるのです。
あとは、その漢字を音読みでどう読めばいいのかを知るだけでいいのです。
1年、2年の漢字のタイトルにはそれが必ず載っています。
まずは漢字のタイトルを覚えましょう。
そして、語群から知っている言葉、聞いたことある言葉、使ったことのある言葉を探してください。
いっぱい見つかること間違いなしです。
そこにはこんな喜びが必ずあるはずです。
●あっ、知ってる!見つけた!
●この言葉にこの漢字が使ってあるんだ!
低学年のうちはこの興味付けだけでいいのです。
この意欲を喚起すると、きっと自ら知りたい!と思うはずです。
だって、子どもは知的好奇心のかたまりですよ!
新しいことを知りたいとうずうずしています。
どうかそこに働きかけることをやってほしいのです。
そうすれば、言葉集の中からだけでなく、日常の様々な所に目を向け始めます。
それを期待しています。
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画像がなかったので、ほんの少しだけ日常を。
ボンちゃんの散歩で仲良くなった近所の二人の子。(左は翠ちゃん)
お盆休みをパパさん主導で満喫している様子で、
カブトムシ取りをしたいらしく、近所の林でクヌギの木がどこにあるかを聞かれた。
早朝5時に、近くの雑木林に連れて行ってあげて、
これがクヌギだよと教えてあげた。
すると、なんと蝶がいっぱい集まって樹液を吸っていた。びっくり!