むかしむかし、人魚の国に、とても美しい姫がおりました。
六人姉妹の末っ子で、六人の中では一番美しく、類稀なる美声の持ち主で、その目は深い深い海のように青く、物静かで、考え深い子でした。
彼女にとって何よりの楽しみは、海の上の人間の世界の話を聞くことでした。年寄りのおばあさんに頼んで、彼女はおばあさんの知っていることを、よく話して聞かせてもらいました。
船や町のこと、人間や動物のこと、地上では花が良い香りで匂っているということ、きれいな歌を歌うことが出来る小鳥たちのこと・・・。
おばあさんは言いました。
「あなたがたは、十五になったら、海の上にうかびあがっていくのを許してもらえますよ。そうしたら、あなたがたは、月の光をあびながら、岩の上にすわって、そばを通っていく大きな船を見たり、森や町を眺めることができますよ!」
しかし人魚姫は一番年下だったから、上の世界を見ることができたのは一番最後でした。
先に海の上の世界を見てきたお姉さんたちは、人魚姫に自分たちが見てきたもののことを話して聞かせてくれました。
月の光を浴びた海辺の大きな町、まるで星のように光るたくさんの明かり、音楽や、車のひびき、人間のざわめき、たくさんの教会や塔、鳴り渡る鐘、お城や農園、初めて見た犬のこと・・・。
やがていよいよ人魚姫の番になりました。
人魚姫がある夜海上に顔を出すと、大きな船が1艘浮かんでいました。そこではある若い王子の誕生日パーティーが行われていました。
人魚姫は王子を目にし、なんて美しい人だろう、と思いました。彼女は王子から目が離せませんでした。
「彼の傍にいられるのならば、なんでもするわ」
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「お前、人魚の肉食ったことねぇんだって?」
勇吾はまたその質問か、と耳を塞ぎたい気分になった。
同僚はそんな彼の気持ちに気づかずこう続ける。
「食わず嫌いはいけねぇ。俺も最初はあの不細工でやたらでけぇ人魚の肉かよって思ったよ。でもな、一口食べれば世界が変わるぜ?」
そういって同僚はスプーンを彼に近づけた。好意で勧めるのだろう。でも肉を口に運ぶ事はなかった。
「生憎、ベジタリアンなものでね」
いつもこうやって逃げていた。
ここは食用人魚養殖場の食堂だった。みんな人魚の肉を食べている。栄養価が高く、人間が最もおいしいと思うような味と匂いに改良されている。人魚は海の浄化を行い、陸を作りあげる役割だけではなく、人間の主食にもなっていた。
人魚の見た目は非常に醜く作られていた。人間が憐憫の情を持たないように配慮された結果なのだ。巨大で醜い人魚…しかし、勇吾は人魚より人魚を利用する人間の方が嫌いだった。
人間のため、利用され、食われ、朽ちて、その身を大地に変える・・・。人間のための生命など、あっていいのであろうか。
勇吾は潔癖で正義感の強い青年だった。成人を迎えてこの養殖場で仕事をするようになったが、この仕事は彼には向かなかった。転職を考えて、丁度上司に相談へ行こうとしていたところだ。
「転職ねぇ」
片眉をあげながら少しつまらなそうに上司は言った。
「給料も十分与えているだろうに。何が気に入らないんだ?何が。大体お前は新人だろ?」
予想通りの答えだった。
「給料も労働時間もよくしてもらっているのにすみません。ここだけの話、デカイ生き物が苦手なんです」
「なるほど。もう少し小さければ構わないんだな?」
「・・・と、言いますと?」
「丁度シンガー養殖場に少し空きができたそうなんだが…そっちに行くか?ここからも近いぞ」
シンガーとは、巨大人魚に命令を伝える役割を持つ人魚のことだった。人間と同じ位の大きさで、命令を広範囲に伝えるため、とても高い声量を持っている。シンガーが美しい声で歌うと、周りの巨大人魚は途端に移動を始めたり、分解し始める。シンガーは人の言葉を理解できるだけの知力を持たせてあるので、反乱分子にならないようにと繁殖能力がなく、雌のみしか存在しないようにDNA操作されている。
勇吾は人魚と関わりのない仕事をくださいと言いたかったが、今の地球上どこを探してもそのような仕事はないだろうな、としぶしぶ自分を納得させた。
「親父、仕事変えたんだ。今度はシンガー養殖場で仕事だってさ」
「もう変えたのか?お前な、何度も人魚に同情するのはやめろって言ってるだろ?」
勇吾の父親はもう40年も養殖場で働いている。母親は勇吾が3歳の時に病気で他界した。人魚の肉を食べれば長生きできるというが、そんなのは嘘だと思った。
父親の話によれば、昔は防護服を着なければ外へ出られないほど地球の大気は汚染されていたらしい。そればかりか、大地も海も汚れていて、ほとんどの植物や生物が絶滅しかけていたというのだから驚きだ。父親は美しい自然を取り戻した今の地球の姿は、全て人間の知恵のお陰だというのだった。その言葉を聞く度に、勇吾は地球が汚れたのは人間が原因なのに、と思わずにはいられなかった。
父親は真面目で頑固な性格だった。養殖場の仕事に打ち込み、幼い勇吾を男手一人で育て上げるために苦労したらしい。養殖場と、家との往復であまり外の世界を知らなかった。
翌日、勇吾は上司に紹介されたシンガー養殖場へと向かった。大きな白い建物がやたら明るい太陽の光に照らされて、その存在を強調しているかのように見えた。重い足取りで中へ進むと、紺色のスーツを着た女性がにっこり話しかけてきた。
「今日から働く人でしょ?聞いてるわよ。案内を頼まれたの。よろしくね、新人さん」
「あ、よろしくお願いします」
「案内するからついてきてね。まず、調教の様子をみせるわ」
女性に案内されるまま、長い廊下を歩いていった。やがて黒い金属でできた重たい扉の前についた。錠がいくつもかかっており、外には警備員も配置されている。ご苦労様、と女性が声をかけると警備員がスイッチを押して扉を開けた。機械的な音が響き、重い扉が自動的に開いていく。
途端に人魚の歌が聞こえる。たくさん、そうたくさんの人魚がプールの中で人間の指令を伝えるため発声練習をしているのだ。だがその美しい歌声とは裏腹に、シンガーもまた醜く作られており、まるで怪物のようにみえた。首輪をされているようだ。彼には人魚がまるで泣いているように見えた。
「ここで歌の調教をするの。歌えるようになったら指定の場所へ行って歌わせるように指示をするだけ。簡単でしょ?次はこっちよ」
「あの、シンガーは知力が高いのですよね?」
「そうだけど、何?」
「だったら感情もあるんですか?」
「それが何なの?」
「いえ…なんでもありません」
「次いくわよ」
人間の言葉が理解できるくらいの知力が、能力があるというのならば、元々は人間のDNAを改造した生物というならば、感情も持ち合わせているはずだと彼は思った。しかし人魚を養殖し、調教し、利用するのがもはや地球の常識となっていた。
「ここが、処理場ね」
そこは用済みの人魚を「処理」する場所であった。シンガーは寿命が短い。学者は歌を広範囲に伝えるため莫大なエネルギーを要することがシンガーの寿命を縮めたと説明する。20年程でもう歌えなくなるのだ。歌えなくなって活動を停止したシンガーは、人間や魚と同じく、アンモニアを発生しながら腐敗し、ただのたんぱく質の塊となる。海を汚染させる前に、自らを気体に変えさせるために、シンガーの最期はここで人に監視される。成魚になって歌を覚えるまでに10年、そこから5年シンガーとして活躍した人魚は、ここで滅びの歌と共に海水に溶けて泡となる。
人魚が歌っている。最期の歌を。
みるみるうちに水へ溶けていく…。
勇吾は胃から何か黒いものがのぼってくるような…そんな感覚を覚えて嗚咽をもらした。
「あっ!ちょっと!君!」
気が付くと勇吾は走っていた。体に纏わり付いた黒い何かを取り払うように、手を振り、足を振り、前へ進む。とにかく遠くへ行きたかった。
人魚の滅びの歌がずっと耳に響いていた。