発熱すると・・・、
“熱が出た!”
“高熱はキケン・・・”
“40℃近くも出ている!”
多くの方は、このように思われるのではないでしょうか。
それもそのはず、現代医療そのものが発熱をすべからく
「悪!」
こう一方的に決めつけてしまっているから。これが私たちの常識として定着し、揺るぎない正義になっているのです。
他国に比して、医療信仰の極めて強いヒノモト・ニッポン。ココにおいては発熱をして、“百害あって一利なし”のものと考えてしまっている。
お料理でいえば、弱火は常に正しくて、中火は悪いもの。強火となれば最低最悪・・・。そんな感じになってしまう。
でも、これはあまりに極端な見方ではないかと私は思っているのです。
時に弱火、時に強火。状況に応じて中火だって活用していく。こうした機転が利いてこそ、料理人の名に値するというはずのもの。
子育てや企業経営においても、鬼が良いのか?仏が良いのか?
常に議論になるのですが、こうした二元論こそがレベルの低さを物語ってしまっている。鬼になったり、仏になったり。
臨機応変に振舞うことこそが大切ではなかろうか。そんなことを思っているのです。
今や商業施設などに入る際にも、検温器が入り口に置かれていて、そこで体温を計測されてしまう。37℃以上の方は、
“ご遠慮ください”
こんなことがすっかり当たり前になり、定着しているような印象を覚えてしまう。
でも発熱は本当に悪いものなのか?それは体の必要から生じている自然現象なのではなかろうか?
熱をワルイものと考えることには、ムリがあるのではなかろうか?
私などはこのように思っているのです。
そこで今回も前回に続いて、「発熱」について考えてみることで、
医者を遠ざけ、クスリを拒む。
そんな生き方のヒントについて、述べてみます。
(※春の思い出・・・)
■中枢と末梢
脳の視床下部には、体温をコントロールしている
「体温中枢」
と呼ばれている場所があります。
別名、『体温調節中枢』ともいわれているのですが、これは脳と脊髄、この2か所に存在している中枢神経のこと。
中枢神経とは、多数の神経細胞が集まり大きな一群のまとまりになっている部位のことで、いわば作戦本部に値するような場所のこと。
逆にバラバラに散らばっている全身の神経細胞は末梢神経、このように分けて語られているのです。
体温で考えてみると、体温中枢が主の位置であり、総指揮官のような役割になります。末梢神経はといえば、いわば従の位置で、歩兵のような役割。
このような違いがあると説明されるのです。
日本人の平熱は36.5℃、そう言われて久しいのですが、このことは体温中枢が温度を36.5℃に設定していることに他ならない。
体温は何となくそうなっている。私はこのように思ってしまいがちなのですが、実際はそうではない。あくまで脳の指令によって日々の体温は決められている。
体温中枢が体の熱を管理し続けているのです。
■貝の如く・・・
そんな体温中枢なのですが・・・、体に不具合やアクシデント等が生じると、この設定温度を変更することが分かっています。
私たちが湯舟やシャワーやの温度を変えるように、体温中枢も臨機応変に立ち働いてくれている。
不具合個所を修復しようと、平熱をやめて温度変更を行っていく。その必要に迫られ、実際に変更を行った状態こそが、
「発熱」
このように説明されているのです。例えば、40℃まで上げよう!体温中枢がこのような決定を下すと、他に異論を差し挟む余地はない。
体温中枢こそが王様で将軍で法律で、憲法。体は命令一下で、設定した体温を目指して、上昇していく。
36.5℃が平熱の私たちにとって、38℃ともなればかなりの高熱です。普通に考えれば、体がホテッてアツくてタマラナイ!
そんな状態になりそうなモノですが、実際はそうはならない
。この段階では、ゾクゾクブルブル、ずっと悪寒に悩まされ続けるわけなのです。
熱っぽくてダルイにも関わらず、体は寒さで震え続けている。それはどうしてなのか?それは体温中枢が体温を40℃に
”設定しているから”
まだ設定温度に2℃ほど足りないからこそ、寒さを感じる。体を震わせ、散々不快になることで、早く設定した温度にまで到達しようと図っていく。
その体の意志の表れこそが悪寒の意味。体温が上がっていくに従い、血液のお掃除部隊である白血球が異物や毒物を処理しようと躍起になる。
低体温を好むガン細胞も熱の上昇に伴い、活動が弱められていく。
このように解説されるのです。
※参考:『病気の自然治癒を考える・苦難の裏で起きている現象とは?』
体温中枢の命令を受けた体は、さまざまな工夫を始めます。その1つが、毛穴をバッチリ
「閉じること」
それにより、熱を外に漏らさない工夫をするのです。
そして悪寒が理由で筋肉がブルブル震える。その震えで生じる、摩擦熱を利用して、設定温度までイチ速く到達しようと図るのです。
設定された温度に至るまでは、汗ひとつかかない。
毛穴を不用意に開いてしまえば、熱が発散されてしまい、設定温度への到達までに時間がかかってしまうから。
“私は貝になりたい”
そんな感じで、ひたすら熱を内側に籠らせようとする。不用意にパカッと開いちゃうようなマネは決してしないものなのです。
総指揮官のもと、体は挙党一致の体制を組むことで、ようやく設定温度に達するわけなのです。
設定した40℃に達すると、そこで初めてスイッチがONに入っていく。
「毛穴を全開に!」
「汗で熱を発散セヨ!」
「血流をMAXに上げよ!」
こんな感じで、体の治癒力が全開に発揮されていく。カゼも、インフルエンザも、おそらくコロナも。汗が出だしたら、もう少し!
そう言われる由縁は、このプロセスにこそ理由がある。熱を発し・熱を籠め・熱を解放する。
これが発熱の科学になるというわけです。
■治す主体は?
熱を解放し始めるのと同時に、苦しかったそれまでの悪寒がピタッと止まっていく。
今度は熱っぽさ全開で、アツくてアツくてタマラナイ!
そんな局面に突入していきます。
真冬から真夏の様相へ。汗で衣服がグッショリと濡れるほどになり、それに合わせるかのように、体温は低下の一途を
「辿っていく」
この現象は体温中枢が再び平熱へと戻すように、設定変更を加えたから。このようなプロセスを辿って、平熱の36.5℃に戻っていくのです。
この発熱から平熱に戻るまでの時間は、
“48時間~54時間”
と、医学においてはこのように解説されています。人によって若干の違いはあれど、ほぼ3日もかからない程度で元の状態に戻ることがいわれているのです。
以上がカゼの自然治癒までのプロセスですが、
この流れを無視して、解熱剤などを服用してしまえば
「どうなってしまうのか?」
力づくで体温を下げるような行為に出れば、体温中枢が最初に設定した温度へと到達しにくくなってしまう。
解熱剤の薬効が発熱を抑えようとするからです。
薬効が継続している間は、熱は確かに下がります。でも、薬効が切れれば、再び体温中枢は設定した温度に向けて上っていこうとする。
これがカゼがぶり返したり、長引いたりするプロセスになります。
体の声を聴くことなく、解熱剤を飲んだり、カゼ薬を服用したり、余計な手出しをしてしまうと、後々まで尾を引いてしまうケースも少なくない。
やはり
“体のことは体に任せる”
この姿勢が大切ではないかと思うのですが、いかがでしょうか?
■参考文献
■無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る